第3話【勇者のとっておき】


「今日こそ覚悟するんだな、魔王リビッ、リヴィ……」

「リヴィエラだ」


 いつものように性懲りもなくクロムが玉座の間への門扉を開いた。

 我の名を噛んだことに一抹の呆れの念が湧くが、今回は多めにみてやろう。

 というのも、今日のクロムはどこか不敵な笑みを携えていた。

 何か面白いモノでも見せてくれるのかの。

 クロムの右手に集中している魔力には気づかぬフリをして、玉座から立ち上がる。


「ただの童同然の貴様を前にしたところで、何を覚悟しろと? まさかようやっと得物の扱いを覚えた程度で粋がっておるのか?」

「そんなことじゃない! 見ておけ、ボクのとっておきの必殺技を!」

「必殺技とは大きく出たの」


 必ず殺す技……か。

 そんな世迷言が存在するわけなかろう。三千世界に在る衆生全てに通用する技などありはしない。魔法でしか倒せない者、特異な工程を踏む必要がある化物、そもそも殺せない存在――――。


 この世界には人智を越えた奴らが跋扈しておる。

 故にクロムの言う必殺技など戯言に過ぎぬ。

 どうせ童のとっておきの児戯だと諦めるのが7割。この勇者の戯言が真であれという淡い期待が2割。

 なら最後の1割は如何に? という疑問の答えは、過去我が屠った勇者共への我なりの敬意である。


 勇者の宣う必殺技は、あながち妄言ではないのだ。

 剣技、魔法、呪術……我を消滅させるには至らなかったまでも、かつての勇者らが用いた奥の手はどれも愉しめた。

 勇者固有の恩恵ギフトであれば、クロム自身の身体能力に必殺技とやらの威力が左右される可能性も少ない。


「謝ったてもう遅いぞ!」

「誰が命乞いなどするものか、早う撃ってみせよ」


 魔力の流れからして、どのような技なのか想像はつく。よぉく狙え、と両手を広げながら近づいてやると、クロムが右手を正面にかざし、我へと照準を定めた。

 右腕を巡っていた魔力が、我へと向けた掌に凝縮し輝きを生む。


「ファイヤー!」


 女と聞き紛う声で吠えた刹那、クロム行使者の体躯ほどの火球が放たれた。

 込められた魔力はそれなり、見掛け騙しの魔法ではない。

 玉座の間に入るまでに魔力を準備していたとはいえ、この規模の魔法を時間をかけず行使できたところは上出来としよう。


「詠唱短縮……違うの。【無詠唱】。これが貴様の必殺技とやらか」


 剣術と魔法の両刀型勇者。

 かつて幾度となく我と戦ってきた者らの中にも腐る程いた、勇者としては無難な才だ。

 巨大な火球が我に当たるまで、まだ時間がある。

 迫りくる魔法を意識の外へと追いやり、今度はクロム自身を探る。すぐにわかったことが一つ。

 こ奴……完っ全に慢心しておる。は? これ当たれば我が死ぬと思っているのか? とんでもない馬鹿ではないか。

 クロムや周囲の魔力を感知してみるが、本当に何の裏もない。

 ハアァ……………………。


「終わりだー!」

「――――たわけが」


 嘆息一つ、薄い刃のように尖らせた魔力を片手へ纏わせる。

 眼前にまで迫ったクロム渾身の魔法を、いっそ憐れにすら思えてくる勝利宣言と共に、我は一刀に付した。

 縦に割れた火球が我の傍を通り抜け、背後の壁に激突。爆音と熱風が髪を揺らした。

 クロムは唖然としか言い表せない、口をあんぐりと開いたまま硬直している。


「う、嘘……だろ……」

「我としてはあの程度の魔法で、勝った気でいる貴様の正気を疑いたいわ」


 我を誰と心得る? 数多の戦士を屠り、屍の山を築いた魔王であるぞ。

 大賢者を名乗る者の魔法ですら傷一つ付けられなかった我が、あの程度の魔法攻撃に、今さら驚嘆すら湧かん。

 それよりも、


「まさか無詠唱魔法などという、最も下らん魔法を使うとはの」

「下らない? 無詠唱のどこが下らないんだよ! パッと出せてカッコいいし、村で流行ってるんだぞ」

「理由がアホすぎるわ!」


 知能差が大きすぎると会話が成り立たんらしいが、頭痛がしてきおった……。


「ならクロム。貴様が今さっき放った魔法はどのようなものか申して見よ」

「どんなものかって……炎の塊をバッ! って飛ばして、ドカーン! って爆発する魔法だよ」

「……………………」


 絶句を禁じえなかった。

 クロムの歳、所持する言の葉の数を加味しても、許容できないレベルの、ふざけた説明。

 童にしては中々の魔力を有しているというのに、なんと宝の持ち腐れな。

 

「貴様が放ったのは低級魔法【ファイア・ボール】……いや、単に炎へと性質変化させた魔力を放出したに過ぎぬのだから、魔法とも言えぬな」

「性質変化……?」


 剣術がド素人であったことから予感はしていたが、やはり魔法に対する知識も皆無であったか。

 こういうのは生まれ故郷で知っておおくべきじゃろうて。いったい教えはどうなっておるのだ。

 まさか勉学まで我が躾ねばならぬとは……。


「魔法とは己の内なる魔力を練り、編み上げることで性質と形状を変化させたモノを言う」


 先刻クロムの放った火球を両断した掌へと視線をやる。

 まるで空を撫でたかのような手応えの無さ。おそらくあの炎が球の形を成していたのも偶然。我の魔力に当てられ、容易く霧散してしまうほど不安定な状態であったのは想像に難くない。

 

「本来、魔法を行使するには詠唱による、魔力の誘導、凝縮、放出の行程を踏む必要がある。流石の貴様でも後者の魔力操作は出来ていたの」

「うん。だから手から炎の魔法を出せたんじゃないか」

「先ほども言ったであろう。アレは単なる魔力であって、魔法ではない。魔力に己が言霊によって指向性を敷くことで、初めて“魔力”は“魔法”となるのだ。だというのに…………」

「だというのに?」


 魔法について説いていると、過去の忌々しい事件が沸々と我の胸中に湧いてくる。

 未来永劫許されざる大罪!

 戦士の進化の歩みを止めた反逆者!

 おろおろと女子供のような面になるクロムを他所に、我は不俱戴天の敵の如く天井を睨みつけ吠えた。

 

「数百年前に現れたどこぞの阿呆が、【無詠唱】などという術を生み出し、こともあろうに人界で流行らせおったのだ!」


 魔法の行使に詠唱を必要とするのは、魔法には発動者の想像力イメージが深く影響を及ぼすからだ。

 発声によってイメージを明確にすることで魔法の成功率や威力を底上げする。

 ただしそれは裏を返せば、発動者に強烈なイメージがあれば詠唱を必要としない。

 その事実に注目してしまった、小賢しい者が現れたことがあった。

 炎や水など、生活を営む中で日々目にするモノ現象は、詠唱せずとも脳裏に焼き付いているからの。


「それならやっぱり無詠唱の方が良くない? 詠唱って時間かかるし噛んだらまた初めっからでしょ。無詠唱だったら魔力を集中するだけで良いし……じっせんてき? でしょ」

「噛むなどというのは論外として、詠唱時間の短縮すらできないのは鍛錬不足であろうが。己が無力から目を背けるでない。加えて無詠唱魔法には、絶大な欠点がある」


 クロムの……無詠唱魔法を好む者どもの言い分も、一概に間違っているわけではない。魔力操作の簡略化や集中による心的疲労が、刹那の決断が勝敗を分かつ死闘において、アドバンテージになるのも確か。

 しかしそれもまた詠唱の短縮、熟練度の低さから目を背ける理由と、言えばそれまでである。


「クロムよ、貴様が知る無詠唱魔法の使い手らは、どのような魔法を使っておる?」

「ボクが知るって言われても、本で読んだ昔の勇者の話だったり、村に来た旅人から聞いたことだからなぁ」

「それでも良い。無詠唱魔法を扱う奴らの大方は勇者、あるいはギフトを授けられた者らだからの」


 えーっと……と、クロムは自らの記憶を振り返り、無詠唱魔法の使い手についての情報を呟いていく。


「よくあったのは大きな炎を出す魔法。お前の話の通りなら、この魔法が1番覚えてたからボクもイメージしやすかったんだと思う。他だと風の刃に大きな水の球……あとは――――」

「氷の礫、火球の一斉掃射、水の盾、岩石砲、雷撃、そんなところであろう」

「そうそう! って、あれ? なんで魔王の方が知ってるの?」

「単純な事だ。それが無詠唱魔法の限界だからである」


 なんの補助もなしに、己のイメージだけで魔力の形状と性質を変換させるには、然程高くない限界がある。

 我は踵を返し、先刻のクロムのように右掌を数メートル先の壁へと向ける。

 

「これが先の、お前の攻撃」


 といって、炎へと性質変化させた火弾を放った。

 一瞬視界を覆い尽くすほどの巨大な炎は、高速で打ち出され壁に数秒とかからず壁に激突。ボン! という派手な爆発を起こし破裂した。


「魔法の当たった場所はどうなっておる?」

「崩れて……それに少し焦げてる。スゲェ……」


 立ち上る煙幕が晴れ、明らかとなった魔法の着弾点を見たクロムが、感嘆の息を零す。なんなら羨望の視線すら送って来ていた。勇者が魔王になんて目を向けているのだ……。

 炎が直撃した地点を中心に壁は抉れ、焦げ臭い香りが鼻孔を擽る。

 攻撃の効果の程は、ほぼクロムが言った通り。というよりそれ以上でもそれ以下でもない。


「こんなものに感動するでない。貴様に教えるのはこちらの方だ」


 間をおかず、今度は左腕を上げる。

 込める魔力は先ほどと全く同じ量。

 異なる点は一つ。

 

「【業火の槍と成り、我が怨敵を穿て】」


 ――――詠唱だ。

 今回は詠唱の有無の違いを知らしめるべく、呪文の省略はせず詠唱も一言一句ゆっくりと紡いでいく。

 それこそクロムが宣う、“詠唱の無駄”を丁寧に踏みしめるように。

 詠唱に呼応し、掌に紅色の魔法陣が浮かぶ。

 準備は整った。これで己が意志のみに好きな時に放てるが、さらにもう一句。


「縫い留めろ」


 魔法陣から現れた、煌々と輝く巨大な炎槍が壁に向かって飛翔する。

 先刻の火弾と異なり、炎槍は大した音もたてずに突き刺さった。……その全長の八割方を壁にめり込ませて。


「先の炎と全く同じ魔力で放った技だ。このような簡素な言の葉で指向性を弄るだけで、戦術は千変万化する。これでもまだ、無詠唱の方が強いと言うか?」

「…………っ」


 極めつけに「爆ぜろ」と我が呟くと同時に、炎槍が爆散。石壁に穴が空き、城外の景色が見える。

 クロムが瞳が一際大きく開き、輝きを増した。

 あぁ、この目は以前の剣術の指南をしてやった時と同じ目だ。


「無詠唱魔法は本来、詠唱魔法の不完全体である」


 魔力とは水や大気の如く姿形がない。まさに掴みどころのない魔力を何の手掛かりもなしに、組み上げるのは至難の業である。

 それを補助するのが詠唱なのだ。


 ――――――言霊には力が宿る


 人や亜人、魔族らが永い永い歴史の中で無限回紡がれてきた言の葉は、それ自体が概念と化す。

 そうあるもの。概念とは意外と馬鹿にできず、元を辿れば勇者も【魔王に対抗できるのは勇者だけ】という無辜の人間たちの願いエゴから生まれているのだ。ソレを聞けば詠唱を軽視する見方も変わる。

 概念と化した言霊は、その意味の全てを理解せずとも魔法の雛型となる。当然、各々の適性、鍛錬に依存する節があるがの。

 

「最終的に無詠唱だろうが、詠唱だろうが決めるのは貴様だ、クロム」


 例え蝋燭の火をイメージの基に練り上げた【漠然とした凄い炎】でも、かつての無詠唱魔法使い共は、自前の規格外の魔力でカバーしていた。

 それも一つの道ではある。

 だが、そういう輩共は詠唱を行うのが恥ずかしい、などという下らん羞恥心。そもそも語彙力がない。自らの知識の浅はかさを隠し、ソレだけにに飽き足らず後ろ指を指す、ゴミのような行為をしでかしていた。


 我が惜しいと考えるのはその一点。

 まだ幼いクロムには、そのような先入観が無い。

 正しく詠唱魔法を学ぶ素養があるのだ。

 我とクロムの視線が交錯する。

 あくまで我は強制せん。自らが茨道を進むことを望むことこそが、戦士が強くなる最大の近道なのだから。


「決めた。ボクに教えてくれ魔王。詠唱の仕方を」

「クハッ!」


 我ともあろう者が思わず笑い声が出た。

 剣術だけでなく、魔法もこの勇者は魔王に教えを乞うか。

 期待通りだ。


「面白い。戦闘だけでなく、我が魔道もまた貴様に叩きこんでやろう。そしていつの日か、我を滾らせる力を身につけよ」

「うん!」


 打てば響く勢いで返事をするクロム。

 

「ではさっそく、まずは第一段階だの」

「え、今日!? っていうか今から!?」

「善は急げともいう。それとも何か? その程度の生半可な意気込みで魔法を学ぼうとしていたのか?」

「ちちち、違うし。お前、今さっき2回も魔法撃ったばっかだから、待ってやろうと思っただけだし」


 あからさまな虚言。

 自信があることは大いに結構であるが、実力に見合わない虚勢は感心できんな。


「あの程度の魔法で我の魔力が枯渇するはずがなかろう。なぁに、今回貴様が魔力を使うこともない。安心して修行に励め」

「ならいいけど……」

 

 むしろ魔力切れを起こしかけていたのはクロムの方。

 いずれ魔力の総量を伸ばす鍛錬として、魔力枯渇状態で無理矢理魔法を行使させることもするが、それはおいおい……。

 此度は基礎中の基礎から始めていこう。


「ときにクロムよ。貴様は気性の荒い畜生の手懐け方を知っておるか?」

「藪から棒になんだよ。それくらい当然だよ。言葉と動きを同時に覚えさせるんだ」


 ふふんっ、鼻の穴を大きくしてクロムが答える。

 まぁそれくらいの知識は知っておるか。

 待て、座れ、良し、襲え――――。

 主に戦闘向きの畜生、魔獣の躾は命令と罰を以て調教する。

 命令を聞かなければ殴られる、という恐怖を刻むことで従順な下部へと仕立て上げるというもの。

 うむ。クロムが理解しているなら話が早い。


「【獄炎は我が闘争心の化身。そは数多の礫と化し、視界全土へと降り注ぐ】」


 我の詠唱に呼応し、天井に無数の魔法陣が出現する。 

 紅色に輝く光から現れたのは炎の礫。

 眼前に広がる絶望を前に「はわわわ……」と震えあがる勇者に、我は微笑んで言ってやった。


「真の炎とはどのような、己が目と四肢に刻め」

「いや、コレ普通に死――――」

「弱音は許さぬぞ」


 その日、魔王城ではクロムの悲鳴が夜まで響き渡った。

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