第15話『決戦のステージ』
決戦の土曜日。
配信開始を数時間後に控えた《Second Beat》の楽屋は、静かな嵐に見舞われていた。
「…ひどい」
サヤが、青ざめた顔でスマホの画面を見つめている。
俺たちのSNSのコメント欄は、神木レイジのファンによる罵詈雑言で埋め尽くされていた。
『どうせすぐ終わる』
『レイジ様に逆らうとかバカなの?』
『男のくせにしゃしゃり出てくんな』
『隣の女もブス』
それは、もはや批判ですらない。
ただの、悪意の塊だった。
サヤの指が、小さく震えている。
俺は、そんな彼女の手から、そっとスマホを取り上げた。
「見るな、サヤ」
「でも…!」
「いいから」
俺の声は、自分でも驚くほど、冷静だった。
「俺たちが見るべきなのは、コメント欄じゃない。カメラの向こうにいる、笑ってくれるはずの客だけだ」
俺は、サヤの目を真っ直ぐに見つめる。
「俺を信じろ。絶対に、笑わせるから」
その言葉に、サヤはこくりと頷いた。
彼女の瞳に、再び強い光が宿る。
玲子さんと美咲さんが、そんな俺たちを、静かに見守っていた。
◇
午後9時。
定刻通り、配信は始まった。
オープニングBGMが鳴り響く中、俺とサヤはステージの中央に立つ。
ステージ脇のモニターに映し出されたチャット欄は、案の定、アンチコメントの嵐だった。
『うわ、始まったよ』
『さっさと謝罪しろ』
『レイジ様に逆らうとか、バカなの?』
その敵意に満ちた空気を、俺はあえて真正面から受け止めた。
「はい、どうもー!《Second Beat》のユーマと!」
「サヤでーす!」
俺は、荒れ狂うチャット欄を、不敵な笑みを浮かべて見つめる。
「えー、コメント欄が賑やかで何よりですねえ」
「俺たちのために、わざわざ時間を作って見に来てくれたってことですから。ありがとうございます」
俺の堂々とした態度に、チャット欄の空気が、少しだけ変わるのが分かった。
「まあ、全部ひっくるめて、俺たちの芸の肥やしにさせてもらいますよ」
「それじゃあ、俺たちの新しいネタ、見てもらおうじゃねえか」
俺は、サヤと顔を見合わせる。
そして、宣戦布告の口上を、高らかに叫んだ。
◇
俺たちが始めたのは、この前の練習で見つけ出した、新しいスタイルの漫才だった。
サヤの横には、小さな電子ドラムパッドが置かれている。
「いやー、しかし最近、お腹すくんですよねえ」
「サヤは、何が食べたい気分なの?」
「うーん、あたしはやっぱり…」
サヤは、スティックを手に取ると、軽快なビートを刻み始めた。
タン、タタ、タン、と。
そして、そのリズムに合わせて、歌うように叫んだ。
「やっぱりポテトが、ナンバーワン!」
その瞬間、チャット欄が「!?」で埋め尽くされた。
なんだこれは、と。
歌なのか、漫才なのか、誰も理解が追いついていない。
そこに、俺のツッコミが、ビートの隙間を縫うように突き刺さる。
「リズムに乗せて言うな!あと、なんでポテトがナンバーワンなんだよ!」
「えー、美味しいじゃん!」
「もっとあるだろ!寿司とか!焼肉とか!」
俺の言葉に、サヤはまた別のビートを刻み始める。
「お寿司もいいけど、焼肉もいいけど」
「でもやっぱり、ポテトがナンバーワン!」
「だから、なんでだよ!」
斬新な、リズムネタ。
それは、俺の世界の知識と、サヤの音楽的才能が融合して生まれた、俺たちだけの武器。
音楽的な心地よさと、笑いの破壊力。
その両方を兼ね備えた俺たちの芸に、チャット欄の空気は、完全に変わっていた。
『何このネタ!?新しいwww』
『リズム感最高www』
『頭から離れねえwwwやっぱりポテトがナンバーワンwww』
『これはレイジには真似できないわ…』
『アンチしに来たのに、普通に笑ってるんだがwww』
アンチコメントは、瞬く間に、賞賛の声にかき消されていった。
俺たちは、確かな手応えを感じながら、最高の形でネタを締めくくった。
◇
「いやー、ありがとうございましたー!」
熱狂的なコメントと、前回を遥かに上回る投げ銭の嵐の中、俺たちの二回目の配信は、幕を閉じた。
楽屋に戻ると、玲子さんと美咲さん、そしていつの間にか見に来ていた真琴さんと玲奈さんが、ハイタッチで俺たちを迎えてくれた。
「最高だったぞ、お前たち!」
「うん、面白かった」
俺とサヤも、自然と笑顔がこぼれる。
やったんだ。
俺たちは、俺たちの笑いで、あの巨大な悪意に、打ち勝ったんだ。
その、祝祭のような空気の中だった。
楽屋の扉が、静かに開いた。
そこに立っていたのは、スーツ姿の橘梓さんだった。
前回のような、気まずそうな表情ではない。
法の執行人としての、厳しい顔つきだ。
フロアの喧騒が、嘘のように静まり返る。
彼女は、まっすぐに俺を見つめると、静かに告げた。
「佐藤悠真さん。少し、よろしいでしょうか」
その声には、祝祭の終わりと、新たな始まりを告げるような、不思議な響きがあった。
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