第15話『決戦のステージ』

決戦の土曜日。

配信開始を数時間後に控えた《Second Beat》の楽屋は、静かな嵐に見舞われていた。


「…ひどい」


サヤが、青ざめた顔でスマホの画面を見つめている。

俺たちのSNSのコメント欄は、神木レイジのファンによる罵詈雑言で埋め尽くされていた。


『どうせすぐ終わる』

『レイジ様に逆らうとかバカなの?』

『男のくせにしゃしゃり出てくんな』

『隣の女もブス』


それは、もはや批判ですらない。

ただの、悪意の塊だった。

サヤの指が、小さく震えている。


俺は、そんな彼女の手から、そっとスマホを取り上げた。


「見るな、サヤ」

「でも…!」

「いいから」


俺の声は、自分でも驚くほど、冷静だった。


「俺たちが見るべきなのは、コメント欄じゃない。カメラの向こうにいる、笑ってくれるはずの客だけだ」


俺は、サヤの目を真っ直ぐに見つめる。


「俺を信じろ。絶対に、笑わせるから」


その言葉に、サヤはこくりと頷いた。

彼女の瞳に、再び強い光が宿る。

玲子さんと美咲さんが、そんな俺たちを、静かに見守っていた。



午後9時。

定刻通り、配信は始まった。

オープニングBGMが鳴り響く中、俺とサヤはステージの中央に立つ。

ステージ脇のモニターに映し出されたチャット欄は、案の定、アンチコメントの嵐だった。


『うわ、始まったよ』

『さっさと謝罪しろ』

『レイジ様に逆らうとか、バカなの?』


その敵意に満ちた空気を、俺はあえて真正面から受け止めた。


「はい、どうもー!《Second Beat》のユーマと!」

「サヤでーす!」


俺は、荒れ狂うチャット欄を、不敵な笑みを浮かべて見つめる。


「えー、コメント欄が賑やかで何よりですねえ」

「俺たちのために、わざわざ時間を作って見に来てくれたってことですから。ありがとうございます」


俺の堂々とした態度に、チャット欄の空気が、少しだけ変わるのが分かった。


「まあ、全部ひっくるめて、俺たちの芸の肥やしにさせてもらいますよ」

「それじゃあ、俺たちの新しいネタ、見てもらおうじゃねえか」


俺は、サヤと顔を見合わせる。

そして、宣戦布告の口上を、高らかに叫んだ。



俺たちが始めたのは、この前の練習で見つけ出した、新しいスタイルの漫才だった。

サヤの横には、小さな電子ドラムパッドが置かれている。


「いやー、しかし最近、お腹すくんですよねえ」

「サヤは、何が食べたい気分なの?」

「うーん、あたしはやっぱり…」


サヤは、スティックを手に取ると、軽快なビートを刻み始めた。

タン、タタ、タン、と。

そして、そのリズムに合わせて、歌うように叫んだ。


「やっぱりポテトが、ナンバーワン!」


その瞬間、チャット欄が「!?」で埋め尽くされた。

なんだこれは、と。

歌なのか、漫才なのか、誰も理解が追いついていない。

そこに、俺のツッコミが、ビートの隙間を縫うように突き刺さる。


「リズムに乗せて言うな!あと、なんでポテトがナンバーワンなんだよ!」

「えー、美味しいじゃん!」

「もっとあるだろ!寿司とか!焼肉とか!」


俺の言葉に、サヤはまた別のビートを刻み始める。


「お寿司もいいけど、焼肉もいいけど」

「でもやっぱり、ポテトがナンバーワン!」

「だから、なんでだよ!」


斬新な、リズムネタ。

それは、俺の世界の知識と、サヤの音楽的才能が融合して生まれた、俺たちだけの武器。

音楽的な心地よさと、笑いの破壊力。

その両方を兼ね備えた俺たちの芸に、チャット欄の空気は、完全に変わっていた。


『何このネタ!?新しいwww』

『リズム感最高www』

『頭から離れねえwwwやっぱりポテトがナンバーワンwww』

『これはレイジには真似できないわ…』

『アンチしに来たのに、普通に笑ってるんだがwww』


アンチコメントは、瞬く間に、賞賛の声にかき消されていった。

俺たちは、確かな手応えを感じながら、最高の形でネタを締めくくった。



「いやー、ありがとうございましたー!」


熱狂的なコメントと、前回を遥かに上回る投げ銭の嵐の中、俺たちの二回目の配信は、幕を閉じた。

楽屋に戻ると、玲子さんと美咲さん、そしていつの間にか見に来ていた真琴さんと玲奈さんが、ハイタッチで俺たちを迎えてくれた。


「最高だったぞ、お前たち!」

「うん、面白かった」


俺とサヤも、自然と笑顔がこぼれる。

やったんだ。

俺たちは、俺たちの笑いで、あの巨大な悪意に、打ち勝ったんだ。


その、祝祭のような空気の中だった。

楽屋の扉が、静かに開いた。

そこに立っていたのは、スーツ姿の橘梓さんだった。

前回のような、気まずそうな表情ではない。

法の執行人としての、厳しい顔つきだ。

フロアの喧騒が、嘘のように静まり返る。


彼女は、まっすぐに俺を見つめると、静かに告げた。


「佐藤悠真さん。少し、よろしいでしょうか」


その声には、祝祭の終わりと、新たな始まりを告げるような、不思議な響きがあった。

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