閑話『その「いいね」の先にあるもの』
ぽん、と。
《セカンドビート》の片隅で押された「投稿」ボタン。
それは、静かだった湖に投げ込まれた、小さな一石だった。
その一石が、どれほどの波紋を広げることになるのか、投げ込んだ本人たちは、まだ知る由もない。
◇
「ねえ、見てこれ!ヤバい!マジでヤバいって!」
放課後の教室。
スマホを見ていた女子高生の一人が、金切り声を上げた。
その声に、テスト勉強をしていた友人たちが、気だるげな顔を向ける。
「なに、またアイドルの熱愛報道?」
「そんなんじゃないって!ほら、これ!」
突き出されたスマホの画面を、三、四人の少女たちが覗き込む。
そこに映っていたのは、一枚の写真と、短い文章だった。
「…『お笑いコンビ《セカンドビート》のユーマとサヤ』…?」
「『初配信やります』…って、え?」
画面をスクロールした一人が、息を呑む。
そこに、例のツーショット写真があった。
「「「お、男!?」」」
教室中に、少女たちの絶叫が響き渡った。
「え、本物!?顔出ししてるじゃん!」
「てか、隣の女の人、誰!?彼女!?」
「『お笑い』って何!?新しいバンド!?」
「でも、ちょっとカッコよくない…?この仏頂面の感じ、逆にそそるっていうか…」
「分かる!とりあえずフォローしなきゃ!」
一人がフォローボタンを押すと、堰を切ったように、他の全員がスマホを取り出し、アカウントを検索し始める。
「見つけた!」「あたしも!」「グループに共有しとくね!」
その投稿は、瞬く間に彼女たちのグループSNSで拡散されていく。
それは、退屈な日常に舞い込んできた、最高に刺激的なエンターテイメントの知らせだった。
◇
『【速報】男、顔出しでお笑い配信デビューか!?【セカンドビート】』
大手匿名掲示板に、そのスレッドが立てられたのは、最初の投稿から、わずか一時間後のことだった。
1:名無しのオーディエンス
マジかよ…
2:名無しのオーディエンス
ソースは?
3:名無しのオーディエンス
2
これだろ。さっきからSNSで回ってきてる。
【リンク:セカンドビートのSNS投稿】
4:名無しのオーディエンス
うおおおおおマジじゃねえか!しかも結構イケメン!
5:名無しのオーディエンス
隣の女が気になる。どうせこいつが裏で操ってるんだろ。
6:名無しのオーディエンス
どうせ女に媚びるだけのクソ配信だろ。男が芸とか笑わせんな。
6
嫉妬乙w
8:名無しのオーディエンス
てか、お笑いって何だよ。新しい音楽ジャンルか?
9:名無しのオーディエンス
聞いたことねえな。でも、男がやるってだけで見る価値はある。
10:名無しのオーディエンス
配信サイトはどこだ?チャンネルは?
11:名無しのオーディエンス
声、どんな感じなんだろうな…。写真のイメージだと、低音ボイスかな…。
12:名無しのオーディエンス
うちの神木レイジくんの方が絶対カッコいいし!こんなぽっと出の奴に負けるわけない!
期待、好奇心、嫉妬、懐疑心。
様々な感情が渦を巻きながら、情報の波はネットの海をどこまでも広がっていく。
まだ誰も、その正体を知らない。
「お笑い」というものが何なのかも、知らない。
だが、確かな熱が、そこには生まれていた。
◇
県警本部・男性保護課。
フロアの片隅で、橘梓は山のような書類と格闘していた。
そこに、一人の部下が血相を変えて駆け寄ってきた。
「橘さん!大変です!」
「何、騒々しい」
「例の、
部下が見せたスマホの画面を見て、橘は目を見開いた。
そこには、いくつかのネットメディアが取り上げ始めた、ユーマたちのSNS投稿のスクリーンショットがあった。
『謎の男性、顔出し配信デビューか』『「お笑い」とは一体?ネット騒然』
そんな扇情的な見出しが並んでいる。
「……っ!」
橘は、無言で舌打ちをした。
「神崎玲子…!何を考えている…!」
身元不明の男性。
データのどこにも存在しない、正体不明の男。
そんな危険因子を、こんな形で衆目に晒すなんて。
正気の沙汰とは思えなかった。
もし、彼が何かの事件に関わっていて、この投稿がきっかけで、彼を狙う者が現れたら?
あるいは、彼の希少価値に目をつけた、悪質な誘拐犯に目をつけられたら?
「…すぐに神崎玲子に連絡を。厳重注意です。場合によっては、彼の身柄をこちらで確保することも伝えなさい」
「は、はい!」
橘の頭にあるのは、ただ一つ。
保護対象である、佐藤悠真の安全確保。
彼女にとって、それはエンターテイメントなどではなく、極めて危険なセキュリティリスクでしかなかった。
◇
その頃、《Second Beat》では。
俺とサヤは、玲子さんが淹れてくれたココアを飲みながら、スマホの画面を二人で覗き込んでいた。
「すごいな…」
俺は、思わず感嘆の声を漏らす。
「投稿してから、まだ数時間しか経ってないのに…」
『いいね』の数が、100を超えている。
フォロワーも、少しずつだが、着実に増えていた。
「やったー!幸先いいね、ユーマ!」
サヤが、自分のことのように喜んで、俺の背中をバンバンと叩く。
その素直な喜びように、俺もつられて笑顔になった。
「ああ。そうだな」
そんな俺たちを見て、カウンターの内側で腕を組んでいた玲子さんが、静かに笑う。
「まあ、こんなもんだろ」
「え?」
「男が顔出しするってだけで、話題にはなるさ。問題は、ここからだ」
彼女は、挑戦的な目で、俺たちを見た。
「本番は、これからだよ」
その言葉の意味も、自分たちが今、どれほどの注目を集めているのかも、俺たちはまだ、知る由もなかった。
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