閑話『その「いいね」の先にあるもの』

ぽん、と。

《セカンドビート》の片隅で押された「投稿」ボタン。

それは、静かだった湖に投げ込まれた、小さな一石だった。

その一石が、どれほどの波紋を広げることになるのか、投げ込んだ本人たちは、まだ知る由もない。



「ねえ、見てこれ!ヤバい!マジでヤバいって!」


放課後の教室。

スマホを見ていた女子高生の一人が、金切り声を上げた。

その声に、テスト勉強をしていた友人たちが、気だるげな顔を向ける。


「なに、またアイドルの熱愛報道?」

「そんなんじゃないって!ほら、これ!」


突き出されたスマホの画面を、三、四人の少女たちが覗き込む。

そこに映っていたのは、一枚の写真と、短い文章だった。


「…『お笑いコンビ《セカンドビート》のユーマとサヤ』…?」

「『初配信やります』…って、え?」


画面をスクロールした一人が、息を呑む。

そこに、例のツーショット写真があった。


「「「お、男!?」」」


教室中に、少女たちの絶叫が響き渡った。


「え、本物!?顔出ししてるじゃん!」

「てか、隣の女の人、誰!?彼女!?」

「『お笑い』って何!?新しいバンド!?」

「でも、ちょっとカッコよくない…?この仏頂面の感じ、逆にそそるっていうか…」

「分かる!とりあえずフォローしなきゃ!」


一人がフォローボタンを押すと、堰を切ったように、他の全員がスマホを取り出し、アカウントを検索し始める。

「見つけた!」「あたしも!」「グループに共有しとくね!」

その投稿は、瞬く間に彼女たちのグループSNSで拡散されていく。

それは、退屈な日常に舞い込んできた、最高に刺激的なエンターテイメントの知らせだった。



『【速報】男、顔出しでお笑い配信デビューか!?【セカンドビート】』


大手匿名掲示板に、そのスレッドが立てられたのは、最初の投稿から、わずか一時間後のことだった。


1:名無しのオーディエンス

マジかよ…


2:名無しのオーディエンス

ソースは?


3:名無しのオーディエンス


   2

   これだろ。さっきからSNSで回ってきてる。

   【リンク:セカンドビートのSNS投稿】


4:名無しのオーディエンス

うおおおおおマジじゃねえか!しかも結構イケメン!


5:名無しのオーディエンス

隣の女が気になる。どうせこいつが裏で操ってるんだろ。


6:名無しのオーディエンス

どうせ女に媚びるだけのクソ配信だろ。男が芸とか笑わせんな。


   6

   嫉妬乙w


8:名無しのオーディエンス

てか、お笑いって何だよ。新しい音楽ジャンルか?


9:名無しのオーディエンス

聞いたことねえな。でも、男がやるってだけで見る価値はある。


10:名無しのオーディエンス

配信サイトはどこだ?チャンネルは?


11:名無しのオーディエンス

声、どんな感じなんだろうな…。写真のイメージだと、低音ボイスかな…。


12:名無しのオーディエンス

うちの神木レイジくんの方が絶対カッコいいし!こんなぽっと出の奴に負けるわけない!


期待、好奇心、嫉妬、懐疑心。

様々な感情が渦を巻きながら、情報の波はネットの海をどこまでも広がっていく。

まだ誰も、その正体を知らない。

「お笑い」というものが何なのかも、知らない。

だが、確かな熱が、そこには生まれていた。



県警本部・男性保護課。

フロアの片隅で、橘梓は山のような書類と格闘していた。

そこに、一人の部下が血相を変えて駆け寄ってきた。


「橘さん!大変です!」

「何、騒々しい」

「例の、昨日Second Beatで保護観察扱いになった、佐藤悠真が…!」


部下が見せたスマホの画面を見て、橘は目を見開いた。

そこには、いくつかのネットメディアが取り上げ始めた、ユーマたちのSNS投稿のスクリーンショットがあった。

『謎の男性、顔出し配信デビューか』『「お笑い」とは一体?ネット騒然』

そんな扇情的な見出しが並んでいる。


「……っ!」


橘は、無言で舌打ちをした。


「神崎玲子…!何を考えている…!」


身元不明の男性。

データのどこにも存在しない、正体不明の男。

そんな危険因子を、こんな形で衆目に晒すなんて。

正気の沙汰とは思えなかった。

もし、彼が何かの事件に関わっていて、この投稿がきっかけで、彼を狙う者が現れたら?

あるいは、彼の希少価値に目をつけた、悪質な誘拐犯に目をつけられたら?


「…すぐに神崎玲子に連絡を。厳重注意です。場合によっては、彼の身柄をこちらで確保することも伝えなさい」

「は、はい!」


橘の頭にあるのは、ただ一つ。

保護対象である、佐藤悠真の安全確保。

彼女にとって、それはエンターテイメントなどではなく、極めて危険なセキュリティリスクでしかなかった。



その頃、《Second Beat》では。

俺とサヤは、玲子さんが淹れてくれたココアを飲みながら、スマホの画面を二人で覗き込んでいた。


「すごいな…」


俺は、思わず感嘆の声を漏らす。


「投稿してから、まだ数時間しか経ってないのに…」


『いいね』の数が、100を超えている。

フォロワーも、少しずつだが、着実に増えていた。


「やったー!幸先いいね、ユーマ!」


サヤが、自分のことのように喜んで、俺の背中をバンバンと叩く。

その素直な喜びように、俺もつられて笑顔になった。


「ああ。そうだな」


そんな俺たちを見て、カウンターの内側で腕を組んでいた玲子さんが、静かに笑う。


「まあ、こんなもんだろ」

「え?」

「男が顔出しするってだけで、話題にはなるさ。問題は、ここからだ」


彼女は、挑戦的な目で、俺たちを見た。


「本番は、これからだよ」


その言葉の意味も、自分たちが今、どれほどの注目を集めているのかも、俺たちはまだ、知る由もなかった。

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