第5章 誰が為のマザーグース
第20話 誰が為のマザーグース①
その家は、レイモンドの家とよく似ていました。干してある薬草や、薬の整理の仕方が近しいのはもちろん、なんだか家の内装自体のまとう雰囲気が同じでした。
それもそのはず、ここに住んでいる魔女は、若かりし頃のレイモンドに色々教えてくれた魔女の一人でした。
今はおばあちゃんの姿をしていて、足が悪いので肘かけ椅子に座っています。短い距離なら歩くことはできるのですが、薬を使い、無理をしてまで歩くことはその魔女の信条に反しますので、代わりに弟子の少女をとっていました。
おばあちゃん魔女の名前はラフィ、弟子の名前はエリンといいます。二人ともレイモンドのことが好きでしたし、レイモンドも二人のことが好きでした。
「わかったわ、それならお産の準備をしておくとしましょうね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
レイモンドが深く頭を下げると、ラフィおばあちゃんはにこにことうなずきました。
「エリン、当日はあなたにもたくさん働いてもらいますからね。よく復習をしておいてください」
「はい、お師匠さま」
エリンは元気よくお返事をしました。最近十五になったばかりで、なんでもたくさん頑張ろうと決意したところです。
「それでは、もう遅くなるので、私はこれで」
「あら、お夕飯は召し上がっていかないの?」
「今日の食事当番は私なんですよ」
レイモンドは丁寧に礼を言ってから、師弟に別れを告げ、家を出ました。
普段遠出をする時はパセリに乗せてもらいますが、この魔女の家との間には、妖精に教えてもらった近道があります。以前セルキーの女性をラフィおばあちゃんの家に預ける時もこの道を使いました。大多数の人間は魔女が一緒でなければこの道を通れないはずですが、セルキーも妖精なので、この道を一人でも行けてしまったのは想定外でしたけれども……。
近道を通って、しばらく歩いて家に帰ってみますと、家から少し離れたところに、女性が所在なくたたずんでいるのが目に入りました。
「こんばんは」
驚かせないよう、外套のフードを下ろし、あまり近づかないうちに、レイモンドは話しかけました。
それでも女性は飛び上がってしまいました。薄暗くなってきた森で人に知らない話しかけられたら無理もありません。おそるおそる後ずさりしようとするので、レイモンドはそれ以上怖がらせないように、その場から動かないようにしながら言いました。
「私はそこの家に住む者です。なにかご用なのではないかと思いまして」
「えっ……じゃああなたはもしかして魔女さまなんですか……? でも、男の人……」
「このあたりで魔女と呼ばれているのは、おそらく私のことだと思います。何かお困りのことがございましたら、お話をうかがいます」
女性はあちこちに視線をさまよわせました。ためらっているようです。
「家には女性もいますから、私には言いにくいことでも、お話いただけるかもしれません」
レイモンドは家に近づいていって、扉を開け、ペトロニーラを呼びました。パセリもついてきました。一人と一頭の姿を見て、女性はようやくほっとした顔をして、だけれども緊張した様子で、家に入ってきました。
黒い髪を長い三つ編みにした女性でした。目の下にはクマができていて、顔もなんだか疲れています。
レイモンドはあたたかいお茶を出してから、女性の前に座りました。
「私はレイモンドといいます。彼女はペトロニーラ。この子はパセリ。私の家族です」
「こんばんはぁ!」
ペトロニーラは一礼をし、パセリは元気よく挨拶をしました。それからパセリは女性のところへトコトコ歩いて行こうとしましたが、ペトロニーラに「パセリちゃん、私たちは向こうでお仕事をしていましょう」とうながされて、これまたトコトコと歩いて行きました。
「あのう……私はメアリといいます」
「よろしくお願いします、メアリさん」
「よろしくお願いします……」
それきりメアリは黙ってしまいました。何か言いたいことはありそうなのですが、言葉にしようとするとしゅるしゅるとほどけていってしまって、追いかけても指の隙間から逃げていってしまうような。はたから見ても、彼女がそんな風に苦しんでいるのがわかりました。
「家に入るのをためらっていらっしゃいましたね」
レイモンドが声を発すると、彼女はハッと姿勢を正しました。愛想笑いを浮かべながら、三つ編みに触れます。
「あの、ごめんなさい、すみません、変でしたよね……」
「変ではないですよ。ここに来ることにも勇気が要りますし、家に入るのにも勇気が必要でしょうから。来てくださってありがとうございます、歓迎します」
「いやでも、私なんか来てよかったのかなって、あの、すみません、思ってて。私より苦しい人なんていっぱいいるし、私より大変な人もいっぱいいるし、私がここに来てよかったのかなって」
まくしたてながら、メアリはずっと笑っていました。
レイモンドはほほえみます。
「すべてのもののために、私がいます」
メアリは笑みを口の端に残したまま、うつむきました。
それから長いこと黙っていましたが、先ほどとは違う種類の沈黙のように思えましたので、今度はレイモンドは何も言いませんでした。
魔女につむじを見せたまま、メアリは乾いた声で言いました。
「……生きている意味がわからないんです」
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