Mr. Witch
深山都
第1章 アフター・チェンジリング
第1話 アフター・チェンジリング①
――とある島国の東の岸辺、蒼き森には魔女が住む。
あまねく世界を知る魔女に、作れぬ薬はないのだそうな――
生い茂る草をかきわけて、ユールはひとりで森の中を歩いていました。すでに太陽は沈み、樹影は色濃く、しかし降り落ちる月光が青白く行く先を照らしています。
魔女の家への目印は、ほのかな光を放つ看板です。言葉は書かれておらず、進むべき方向を指した矢印だけが刻まれています。
ユールも森に入ってからというもの、導かれるように歩を進めていました。道がないと思われても、一歩足を踏み入れると、まるで木々が譲るように避けていくのです。
開けた場所に、小さな家が建っていました。
表面をびっしりとつる草に覆われて、とんがり屋根にはきのこが生えています。庭には真っ赤な花をつけたいばらが広がり、柵にまでからみついています。オレンジ色の暖かな光が窓から漏れていて、ユールはほっと息をつきました。
同時に、肩からななめにかけたカバンのひもをぎゅっと握ります。
本題はここからです。ユールは魔女に、お願いがあって来ました。例え断られたとしても、大変な対価を要求されたとしても、簡単に引き下がるわけにはいきません。
なんといっても、これからの生涯がかかっているのですから。
ユールは深く息を吸いました。知っている草のにおいがして、少し心が落ち着きます。
玄関先には小さなランタンが吊るされ、ほのかな光をまとっていました。意を決し、唇を引き結んで、ユールはこぶしで戸を叩きました。
ややあって、若い女性が出てきました。眠そうな彼女の顔を一瞥するなり、ユールは帽子を取って胸に抱き、大きな声でお願いしました。
「魔女様、どうか、僕を普通にしてくれる薬をください」
「……」
家からの光を背に、女性はユールを見下ろしていました。
こげ茶色の髪は肩にようやく毛先がつく短さ。くるぶしまで届く黒いローブを着て、黒い靴を履いています。
彼女が黙っているので、ユールは慌てて言葉をつぎます。
「もちろん対価は払います。お手伝いでも何でもします。だから、僕をみんなと同じようにしてほしいんです」
「あの――」
「もう頼れるのは魔女様しかいません。どうか、お願いします!」
女性がまた何かを言おうと口を開いたとき、
「魔女様」
家の奥から男性の声がしました。
女性が一拍置いてから振り向くと、彼女の後ろにいた者の姿が見えました。淡く柔らかな色合いをした金髪の、丸い眼鏡をかけた青年が、心なしか小さく笑みを浮かべて立っています。
青年は粗末な服装の上に黒いローブをはおると、ユールの前に進み出ました。
「こんばんは」
「こ、こんばんは……」
ユールはたじろいで、一歩後ろに下がりました。
この者は一体何者なのでしょうか。どうやら人間のようですが……。
そこまで考えてから、ふと思い至りました。
魔女は動物を使い魔にし、人間を召使いにしていることがあるそうです。ならばこの男性は、魔女の召使いに違いありません。
「私の名前はレイモンドといいます」
「ぼ、僕はユールです」
落ち着いた調子で名前を告げる男性にならって、ユールも自己紹介をしました。帽子を握りしめるてのひらには、汗がにじんでいます。
助けを求めるように茶髪の女性を見ると、彼女は無表情にユールの顔を見つめていました。ユールの頼みを聞いてくれるのかどうか、顔色からはさっぱり読み取れません。
代わりに、召使いの男性が再び口を開きました。
「私はこれから薬草を採ってきます。あなたも手伝ってくださいますか」
「え……」
「薬を作るために必要な薬草です」
ユールは背筋を伸ばしました。
「薬を作ってくださるんですか! それなら僕、何でもお手伝いします!」
もう一度女性の顔を見上げます。相変わらず眠そうな顔をしている彼女は、何も言わずにレイモンドに視線を移しました。
「作ってくださいますよね?」
レイモンドが問いかけると、女性はため息をつきます。
「……薬作りは魔女の仕事です」
これははたして、承諾と受け取っていいのでしょうか。
ユールは心配そうに眉をひそめましたが、レイモンドは笑みを深くしました。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい」
女性がうなずきます。
慣れた様子で庭を抜けていくレイモンドを、
「おっ、お待ちください!」
ユールは慌てて追いかけました。
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