FILE 05: 炎上の標的

監査官の警告は、現実のものとなった。

金曜日の夜。人々が週末の解放感に浸る、最も情報が拡散しやすい時間帯を狙って、それは投下された。


大手暴露系動画配信者のチャンネルで、一本の動画が公開される。

タイトルは、【衝撃】手島渚市長、中国系企業幹部とホテルで密会! 衝撃のハニートラップ映像!


動画は、盗撮されたかのような粗い画質だった。だが、そこに映っているのは、紛れもなく手島渚だった。彼女が、以前に市役所を訪ねてきた中国系企業の社長、張(チャン)と、ホテルのスイートルームで親密に過ごし、最後にはベッドインするまでの一部始終。映像の中の渚は、嬌声を上げ、張に何かの書類を渡しているようにも見えた。


それは、CIAのディープフェイクチームが作り上げた、完璧な偽りの醜聞だった。


情報は、瞬く間にSNSで拡散した。

「売国奴」「クリーンなイメージは嘘だったのか」「辞職しろ!」

渚のSNSアカウントは、誹謗中傷の嵐に見舞われ、市役所の電話はパンクした。テレビのワイドショーは、待ってましたとばかりに、このネタに食いついた。


市長公室で、渚は血の気の引いた顔でタブレットを見つめていた。

「……ひどい……」

隣では、政策秘書の若宮が、頭を抱えていた。

「市長、これはもう……ダメです。事実無根だと否定しても、誰も信じない。一度ついたイメージは消えない。辞職するしか、道はありません」

若宮の言葉は、正論だった。だが、渚には、それが彼女の政治生命を案じての発言なのか、あるいは、彼女を排除しようとする「内部の敵」の囁きなのか、判断がつかなかった。


その時、暗号化された通信端末が、静かに振動した。監査官からだった。

『動揺するな。沈黙を保て。否定も肯定もするな。彼らは、あなたがパニックに陥り、自滅するのを待っている』

『ですが、これでは……』

渚は、かろうじて返信した。

『火事で最も危険なのは、煙に巻かれて方向を見失うことだ。敵が放った炎に惑わされるな。今、我々が集中すべきは、火元を叩くことだ』


続けて、監査官から一枚の画像ファイルが送られてきた。

それは、羽田空港の国際線ターミンの監視カメラ映像のキャプチャだった。

失踪したはずの天野博士が、偽造パスポートを使い、テルアビブ行きの深夜便に搭乗しようとしている姿が、鮮明に映し出されていた。そして、彼の隣には、寄り添うように立つ、一人のアジア系の女の姿があった。


メッセージが、一行だけ添えられていた。

『火元は、この女だ』

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