第2話 運命の出会い(sideライセル)
「天気は良いのに」
ライセルが呟いて間もなく霧が立ち込めた。
湿度が高いわけでもない。実に奇妙な現象だ。視界が遮られ、一寸先の木さえも見えなくなる勢いだった。
ライセルは身構え、一つ大きく息を吐くと一歩ずつ慎重に前へ進む。とはいえ、これは自分が向いている方角を『前』とするしかない。南に向いて進んでいた。少しでも視線を変えれば方向感覚を失ってしまう。
上を見ても晴天の空には雲ひとつなく、ライセルの居場所を教えてくれるものは何もなかった。
なんとか先程まで見えていた木まで辿り着き。根っこで足を引っ掛けないよう細心の注意を払いながらその奥へと踏み入れる。
霧の向こうに人影を確認した。
「誰かいるのか?」
声をかけると、ややあって「はい」と、か細い声が聞こえた。
「今、そちらへ行く。危ないから、動かないで」
「はい」もう一度弱々しい返事が聞こえた。
声の方角へ進むと、少し霧の開けた場所に一人の男性が立っていた。一瞬、女性か男性か判断できない繊細な顔に、ライセルの心臓が大きく跳ねた。
その人に駆け寄り、肩を抱く。
「お怪我はございませんか。突然の濃霧で、驚かれたでしょう」
その人はピクリと肩を戦慄かせて頷いた。
「急だったので少し驚いただけです」
「どうして、こんな森へ?」
「それは騎士様だって」
どうやら服装で騎士だと判断したらしい。ライセルは事の経緯を話した。
この森に出る妖精を探すための調査に来たと。
「貴方は、怪しい人から声をかけられてはいませんか?」
「騎士様以外には、誰も」
「それならば良かった。私はライセルと申します。ライセル・ヴァルフォード。名前を聞いても?」
「フェノス・アークヴェイル」
「美しい名前だ」
フェノスは頬を赤らめ眸を伏せる。ライセルは益々フェノスに興味を示した。
「一人でここへ?」
「えぇ、好きなんです。この自然に囲まれていると、心が落ち着くのです」
「なんだか分かる気がするよ。こんなにも深い場所まで立ち入ったのは初めてだけど、とても癒される。それにしても一人は危険だ」
「大丈夫です。この森は慣れていますから」
「だとしても一人で出歩くには、貴方は美しすぎる」
ライセルは琥珀色の眸でフェノスを見詰め、頬を指で撫でた。
小さな唇が眸に止まると、儚げに震えているそこに自分の唇を重ねたい衝動に駆られる。初対面でこんな感情を持つのは初めてだった。まだ名前しか知らない相手を独占したい欲が芽生えている。
フェノスのリアクションを見ていても、ライセルに対して満更ではないと伺えた。
しかしライセルは騎士だ。任務のために森へ来ているのに、うつつを抜かしている場合ではない。
自分に言い聞かせるが、見れば見るほどフェノスから視線が離せなくなる。そしてフェノスもまた、ライセルをじっと見詰めていた。
「す……少し霧が晴れてきた。よければ、森を案内してくれないか? 情けない話、本当に初めて来たんだ。一人だと、迷ってしまう」
「はい、僕でよければ」
フェノスは手を口許に当てながらクスクスと笑う。鈴の音よりも美しい声だとライセルは思った。
仕事中だと言い聞かせても、このままフェノスと離れるのは惜しまれた。嗤われようとも、少しでも話がしたい。この音色を、いつまでも聞いていたい。
フェノスと並んで歩き始めた。隣に立つと、彼の華奢さをより鮮明に感じられた。そりゃ女性に比べれば骨組みも身長もしっかりと男性らしいと言える。けれどもライセルの隣だと、とてもしっくりくる身長差だ。屈まなくても肩を抱ける。キスだって、フェノスが爪先立ちになってくれればやりやすい。
(って、何を考えてるんだ。初対面の人に)
我に返ってかぶりを振る。邪な考えを悟られては恥ずかしい。
チラリとフェノスの顔を見下ろしたが、長い睫毛で眸が隠れてしまっている。なのに不意にこちらを見上げるものだから、徐にリアクションをとってしまうライセルだった。
「フェノスは何処から来てるんだ?」
「それは、言えません」
「何故?」
「だって、僕はアルマティアの嫌われ者だから」
「アルマティアの領民? 貴方のような人を今まで認知していなかったなんて」
ライセルはフェノスを街で見かけたことがなかった。勿論、領民の全てを把握しているわけでもないから知らない人がいても可笑しくない。けれども、これほどの美貌の持ち主であれば、噂になっていそうなものだ。
ライセルの言葉にフェノスは顔を左右に振る。
「知らなくて良いんです。僕は街の外れ……この森のすぐ側ですが、この容姿で周りからは気味悪がられています。だから街でいるときは頭から布を巻いて、顔をなるべく見られないよう努めています。なので騎士様が知らなくて当然ですよ」
確かに黒髪は珍しい。珍しいどころか、フェノスくらいではないか。肌の白さだって人並み外れている。長い睫毛も小さな唇も、曇りなき眼で見れば美術品ほどの美しさを感じる。美しいとは普通、女性に対する褒め言葉なのだろうが、フェノスは男だ。それでもこの中世的な顔立ちには、特別な価値観を感じた。
フェノスは一人になりたくてこの森へと通っているのだと続けた。最初こそ森に入った辺りで過ごしていたが、徐々に行動範囲を広げ、今ではこれほどまで深い場所まで来ても迷わず帰られるのだそうだ。
「この森で過ごしている間だけは、自分らしくいられるんです」
「ならば私は、ここで出会えてラッキーだったと言える。こんなにも綺麗な『黒』は見たことがない。それにフェノスは私の前でも髪も顔も隠そうとしない。私だけには、これからも全て見せてくれないか」
黒髪を一束掬う。さらりと掌から流れる一本一本は、流れる川の水のようだ。
「それはこの先も、僕に会いに来ると言っていますか?」
「あぁ、遠回しすぎたな。フェノス、私は今後も君に会いたいと思っている。こんなふうに散歩をしたり、沢山話がしたい。君のことをもっと深く知りたいんだ。ダメかな」
ライセルの言葉にフェノスは瞠目として息を呑んだ。
何と返事をすれば良いのか悩んでいる感情を眉宇の辺りに漂わせている。眸を泳がせ「あ、あの……」動揺の色を見せる。
「無理強いはしない。すまない、気にしないでくれ。こんな気持ちになったのは、初めてで浮かれているんだ」
「こんな気持ちとは……?」
「君を独占したい」
「騎士様……。僕なんかで良いんですか?」
「私はフェノスが良いと言っている。君が嫌じゃなければ」
「嫌じゃないです!! 誰かとこんなに沢山喋る機会がなかったので、緊張してしまって」
「それは私も同じだ。君の気を引きたくて焦ってる」
ライセルは本気の恋愛をしたことがなかった。何処にいても周りが放っておいてくれないので自分から言い寄る必要がなかったし、しかしその誰とも恋人という関係になりたいとも思えなかった。
理想が高いんじゃないかとルヴァンに嗜められたりもしたが、否定していた。自分自身、恋人に求めるものは外見ではないし、自分に対してもそうであって欲しいと思っているだけだと豪語していた。顔を褒められても嬉しいと思えなかった。それを言うとルヴァンから更に叱責されるのだが、本心だから仕方ない。
それが今までのライセルだった。だが今は違う。目の前にいるフェノスに対しては完全に一目惚れであったし、どうすれば気に入ってもらえるのか必死に取り繕ってる自分がいる。
こんなにも捲し立てるような早口になるなんて、自分でも信じられないくらいだ。
フェノスとこのまま一晩中でも語りあっていたいが、現実はそうもいかなかった。
「そろそろ、騎士団長の許へいかなくてはならない」
「僕のことを話しますか?」
「いいや、君と過ごした時間さえも独占したいからね。明日もこの森で会ってくれないか?」
「僕は、嬉しいですけど」
「じゃあ、また明日。本当に送って行かなくて大丈夫?」
「心配しすぎですよ。街の人に騎士様と歩いているところが見つかると、僕はますます居場所を失ってしまいますから。ちゃんと一人で帰れます」
「何かあったら私を頼ってくれ。何処にいても、一番に駆けつけるから」
フェノスは微笑んで頷いた。ライセルはフェノスの頬を撫で、立ち去る。
「さて、なんて伝えるべきかな」脳を切り替え、カディスへの虚偽の報告を考え始めた。
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