第2話 司牙という男
......ここは?
百合は目を覚ますと、流石にこの状況非常にまずいことは寝起きの頭でもわかった。
慌てて飛び上がると、自分の体に異変がないか確認した。カバンや携帯は枕元にあった。
それよりも、暖かい布団をかけられて、松治郎と間違えた男は、顔の半分を医療現場で使うような青いマスクをしており、ベッドの隣にあるソファに座って、水を差し出してきた。
彼女はそれを受け取ろうとはしなかった。当然、知らない人から何ももらっちゃいけないってわかってるから。
ただでさえ自分の立場が危ういので、隙を見て逃げることを考えた。
『僕のこと、見えてるんだね』
あの男の声を思い出した。
私には『霊感』があったのだろうか。
百合は何よりそれに1番驚いていた。
「具合はどうですか?」
記憶に新しい声に百合は顔をあげると、男は百合を心配そうに見つめていた。
「あ、あの、あの時はほんとごめんなさい」
百合が咄嗟に口にした謝罪は、相手に対してというよりも、正当防衛のための謝罪だった。
「いやいいんだ、落ち着いて。手を出したりしないから」
「あの......どこですか、ここ」
通報できるタイミングを見計らい、パッと自分のスマホを掴み取り、なんでも試してみようとした。
だがこれスマホは、圏外の文字。久しぶりにこのふた文字を見た。
「ここは......なんて言ったらいいんだろうか。お伝えする前に、まずお話したいことあるんだけど、いいかな」
自分が思っている以上に相手は冷静だった。それとは逆に、百合の心臓は跳ねていた。
「落ち着いてよく聞きなさい、ここはお嬢さんの住むところとは別の世界なんです。僕はここで警備を任せられている——人です。襲ったりしないから安心して欲しい」
「警備、員さんなんですか?」
「まぁ簡単にいうとそうなんだけど、君をここで保護する必要があるなら、僕はそれができる立場にあるよっていう感じかな」
「それでここは別の世界?って言いましたが......どういうことでしょうか。私を元の世界に戻してください」
「僕も色々試したんだけど、どうやら僕がここへ来るまでの道を一緒に来てしまったがために、お嬢さんもここの人扱いをされているみたいです。えっとつまり、呪人<じゅにん>で」
「あの、よくわからないんですが......」
男は自分の頭をかきながら説明するが、百合は状況を飲み込むので頭がパンクしかけていた。
「そうだよね。君が起きた後、何て説明しようと考えていたんだ。それくらい、ここは複雑で。逆に聞くが、君の住む世界だって、僕に説明しろって言われたら難しいよね。それと同じだよ」
「でも警備員さんは、さっき行って帰って来れたんですよね?」
「そうなんだ。実はいうと、僕は仕事で行き来していたんだよ。それでもう一度君を連れて行こうとしたら、扉が開かないんだ。僕と同じ権限がないと、もしかしたら入れないのかもしれない」
男と言葉を交わすうちに、だんだんと彼の姿を頭の先からつま先まで見られるようになった。
グレーのワイシャツに黒いネクタイ
銀色の髪に毛先や影になるところが朱色に見える
もともと朱色の髪の毛が、歳を重ねて色がわかっていくようだった。
顔は、彼とよく似ていた。ただやはり、目の前にいる男の方が明らかに若いが、後ろ姿が、どうしても彼女には松治郎と重なって見えてしまった。
それがゆえに、一歩道を外れてしまったのだと実感した。
ただ彼の目は、普通なら白い目に瞳があるはずだが、黒い目に銀色の瞳をしていた。呪人というものは皆そうなのだろうか。なんだか、吸い込まれそうな目をしていた。
「その権限って、私でももらえますか?」
「ただ、君は人間だろう、僕たち呪人とは大きく異なった存在なんだ......つまり」
彼は途端に話す速度が遅くなり、うつむいた。
「中身が違うんだ。この世界では、命で動いているものはいない。君が人間である事実を公にしてしまえば、身の保証はできない。でも安心してくれ。君の命は動いている筈だよ、確認してごらん」
そう言われると、百合は自分の胸に手を当てた。ということは、彼の正体とここはもしかして......
「あの世、ですか?」
「あの世?......よくわからないが、いろんな人がいるよ。ここには僕のような骸骨、妖怪やゾンビや吸血鬼、鬼という種属がいる。僕からすれば、君の世界ではあの世って呼んでいるのか、面白い表現だね」
男はおもむろにメモを取り始めた。
一体なんなんだ......
百合がいうがいうあの世とはどう違うのだろうか。そして信じられない言葉を聞いた。彼は自分を骸骨だと言い張るのだ。それに加え、ここまでハッキリと見えるものなのか。しかし男はどう見ても普通の人間——のように見える。どこが骸骨だというのだ。
ますます疑問が膨らんでいく。
「それじゃあ話を続けようか。さっきも言った通りここには人間という存在がいない。君の世界でも、僕みたいな人はいないのと同じで。僕が君を元の世界に戻すまで、家にいてくれると助かる。その......ここの都合の関係上大変申し上げにくいんだが」
言葉を進めていくうちに、彼はだんだんと顔を背けていった。そして彼が振り絞って最後にこう告げた。
「僕のお嫁さんで、手続きを進めてもいいかな」
「え!?」
急な話にも程がある。百合の驚いた出来事の中で1番の声が出た。
「そんな鼓動が止まりそうな声をあげないでくれ、立場的にも、こっちではいろいろ融通が効くんだが......」
「何か他にないんでしょうか」
「そうだよね、ごめん。もし君がそんなこと面倒だと思うなら、身の回りのことは全て僕が責任を取るからお嫁さんでもよかったんだけどね」
「お嫁さんじゃなくても、養子とかそんなのでいいじゃないですか」
なるほどね、と彼は言うと、百合は毛布を下ろした。
彼女の姿が彼の目に止まった。
「お嬢さんはその制服、学生さん?」
「はい、高校一年です」
「そうか。じゃあ僕が養子を取ったということで、親子関係でいいか。そうすれば僕は保護者として学校に入れることができる。その間、君を元の世界に戻すために色々やってみるよ。それで、どう、気分は落ち着いた?」
そういわれるまで、彼女は気づいたら不安や恐怖がなくなっていた。彼が親身に寄り添ってくれたことで、百合の気持ちは、すっかり落ち着いてしまっていた。
「お水、飲めたら飲んでね。何も入っていないから。信じられないかもしれないけど、これ、僕の身分証。僕が何か君に悪いことをしたら、ここに連絡してくれればいい。それとこれ、僕の名刺」
男は胸ポケットから、縦開きの身分証を百合に見せた。それには男の顔が映った写真に銀色の頑丈そうなバッヂ。百合のいた世界でも見覚えのある、警察官のような身分証だった。
彼は正真正銘の警察官だったのだ。
そして名刺には、怪警察に所属する『司牙』という名前が書いてあった。
「しが...さん。あ、あの、その写真なんですが」
「ごめん、返して」
彼は慌てて彼女の手から身分証を取り上げてしまった。
百合は、その写真を見て驚くというより、興味をそそられてしまった。
「いえ、私そういうの全然平気なんです。昔から仮装とかコスプレとかそういうの興味あって」
「仮装じゃないんだけどな......嫌じゃないのかい?」
「というより、腕を掴んでしまった後、うろ覚えなんですけど、もしかして顔の半分が、顎の骨が見えたっていうか......で、その写真を見て、やっぱり見間違いじゃない。本当だって気づいて。私は全然平気なので、外しても構いません」
そういうと、彼は後ろを向いて、マスクを外した。そして椅子に欠けていたジャケットとバッグを持って部屋のドアに手をかけた。
「それじゃあ僕は一旦仕事に戻らないと。君のことは養女として手続きしておく。まだ具合が悪かったら、寝ていていいからね。何かあったら連絡して。ソレに喋りかけると、僕と繋がるから。」
そういって彼が指を刺す方へ顔を向けると、百合が見ているのに気づいたのか、骸骨が口をパクパクとあけて音を立てていた。
「......わぉ」
司牙はジャケットを羽織り、部屋を後にしようとしていた。
「その......今回のことは、申し訳ないと思っているよ。」
「いえこちらこそ、 “人” 違いしてすみませんでした。」
百合は彼が部屋を出た後、また目が覚める前に戻ったかのように心臓が跳ね始めた。寝て起きたら戻ってるはず。そう思い、もう一度寝ようとしたが、全く眠れなかった。
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