第2話
「冷たい……頑張って! 必ず助けるから!」
主は我に声を掛けながら、両手の中の我を必死に温めようとするが、手袋をしていなかった主の手は我を助ける為に、素手で雪を掻き分け掘り返したのだろう、すっかり冷たくなっているので、温めるという意味ではあまり意味がなく、状況が好転する事は無かった。
当時、本気で死ぬことを覚悟した程だった。
慌てた様子だったが、スマホで最寄りのペットクリニックを調ベたのだろう。
『大丈夫だよお医者さんが助けてくれるから、もう少しだけ頑張ってね』と優しく、それでいて不安に泣き出しそうな声を掛け続けながら運んでくれた。
クリニックの老獣医師は衰弱している我を温かなケージに入れ、頭を全体に被せる様に……多分酸素マスクで酸素を送りながら様子を見るしかない状況だったが、それから小一時間ほど過ぎた頃には自分の身体が回復に向かうのが分かる。
この小さな身体には、前世の魔龍王の力が宿っており、それは絶賛空回り中だと思っていたが、多少は効果はあったのだろう。
「……強い子だね」
老獣医師の所見では助かる可能性は薄かったのだろう。
我の回復に気付いてか、その声には驚きの色があった。
その後はシリンジタイプの給餌器で(注射器の注射針を外した状態の器具)を使い小動物用のミルクを与える処置を行ってくれた……マジ旨い! 飲んだ事も無いがエゾモモンガの母乳よりも旨いと勝手に認定した。
「この子はエゾモモンガの赤ちゃんで、鳥獣保護法で飼育が禁じられているんだよ。だから君がこの子の飼い主になる事は残念だけど出来ないんだよ」
老獣医師は少し申し訳なさそうにそう主に告げる。
「えっ? この子と一緒に居られないんですか?」
彼女の声には、悲しみと落胆があった。つまり我をペットとして飼う気があるという事だ。
そして既に我は命の恩人である彼女を生涯の主と定めていた。
エゾモモンガの十年程の短い命の全てを、この恩に報いる為に使い切ると決めている。
何なら来世はシマエナガになって主に仕えよう……駄目だ小型の野鳥の平均寿命は一桁前半で、エゾモモンガよりも仕える期間が短いじゃないか。
きっと優しい主はペットロスで心痛めるだろう。そんな思いを短期間にさせる訳にはいかない。
もしも来世があるのなら、我は大型のオウムになって健康にも気を使い五十年以上生きて、最期まで主にお仕え……出来れば良いな。
とりあえず今世を主の傍に居続ける為にはどうするべきか?
鳥獣保護法という高くて堅い壁が立ち塞がっているので、力尽くでという訳にはいかないし、今はまだその力を出すことも出来ない。
『今までの転生が決して無駄なモノでは無かった事を証明する……二回目の生で三百年五十年もの時を生きて、知識と経験を積み上げたんだ。その時間の重みを、生きた意味を今こそ証明して見せる時だ!』
などと意気込んだものの魔龍って生態系の頂点に立ち、生きる事に倦むほどの寿命を持つこともあり、基本的に怠惰な生き物なんだよ。
我は魔龍の中では生き急いでいると言われるほどの勤勉ではあったが、改めて魔龍としての前世を振り返って見ると現実世界で人間として生きた前々世三十五年と比べると、言いたくないが戦いと財宝集め以外に関しては、かなり薄っぺらい時間だった気がする。
『無駄だったかもしれないな三百年……だが我には人間として生きた三十五年分の知識と経験がある。あるんだよ!』
今の可愛らしい姿からは想像するのも難しい。否、我自身から見てもこんなに愛らしいエゾモモンガの中に三十五歳のおっさんと、三百歳以上の魔龍が入っているなんて悍ましくもあるが、これでも社会人として部下を持ち責任のある立場にあったのだ。そこで身に付けた処世術をもってすればこの程度の困難な状況など、どうとでもして見せる。
まだ自由にならない身体を引きずりながら主の気配に向かいゆっくりと四肢を動かす。そして必死な演技で語尾を伸ばすように「キィーキィー」と鳴いて見せる。
同情を誘うという名の脅迫だ。こんな力技をビジネスの場でやったら即終了だよ。我の前世と前々世って本当に無駄だった気がしてきた。何やってたんだ我?
「先生、モモちゃんが鳴いてます!」
主と出会ってまだ二時間ほどだろうか、この段階で我はモモちゃんになっていたのだった……いや、この様子からして第一印象の段階でモモちゃんだったのだと思う。
「う~ん鳴いているのかな?」
一方老獣医師からは我と主の心の繋がりを感じさせる、ハートウォーミングなシチュエーションに心を動かされ、この主従が一緒に居られるように一肌脱ごうという気配は全く無く、すっとぼけた言葉を口にする。
「ちゃんと鳴いてます。私に抱っこして欲しいって言ってます」
うん、概ね合っている様な気がしないでも無いですよ主。
「う~ん、抱っこして欲しいかは知らないけれど、この子、エゾモモンガの鳴き声は六十代にもなった私の耳にはほとんど聞こえないんだ」
鳴き声がモスキート音かよエゾモモンガ! そういえば地元のテレビ局でエゾモモンガを紹介する番組があって、そんな事を言っていたような気がする。
地元民でもエゾモモンガを実際に見たことある方がずっと少ないんだから、エゾモモンガあるあるなど我が知らなくても仕方ないだろう。
とにかく我が主から離れたくないという態度を示し続けるだけだ。そして、それにこそ意味がある。
昔、北海道出身の賢人がこう言っていた「無理が通れば道理は引っ込む!」と。つまりルールや法律があろうとも、無理を通してしまえば道理など石ころの様に吹っ飛ぶのである。
鳥獣保護法かなんか知らんが、その保護する対象である我が手段を選ばず断固たる態度で主と共にいる事を望めば勝利は自然とこちらに転がり込んでくる。
役人は融通が利かないが、それ以上に責任という言葉が大っ嫌いだ。
我がハンストを実行し、次第に衰弱していく演技を行えば彼等には、その現状を回避する為に必要と思われる判断を下すしかない……無いよね? ほら我って可愛い可愛いエゾモモンガの赤ちゃんだろ。役人だって心が動かされるに決まっている。法律の為に可愛い我を死なせるような判断はしないよね?
我ながら卑怯な手段で、こんなの処世術じゃねえ! と自分で自分に突っ込みたくなるが、法律すら捻じ曲げて緊急避難的な譲歩を引き出す為には仕方がなかった。そしてその作戦が成功したからこそ我はこうして主と共にあるのだ。
正式には回復し、巣別れ出来る状態になった後は、自然に帰すという事になったが、その後も何故か勝手に我が毎朝主の家を訪問しているのだから仕方が無いよね……まあ、訪れるも何も常駐しているんだけど。
他にも我を確保してペットクリニックに持ち込む前に自治体に連絡して許可を得る必要があったようだが、普通そんな手続きが必要だと知っている札幌市民が一体どれだけの確率でいるんだと事もあり、緊急性の高い状況であった事もあり特に問題にはならなかった様だ。
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