第17話「秘密の午後の甘い香り」


 川上さな子先生は、ノートパソコンで、期末テストの問題に取りかかっていた。

 長文読解の題材は『アラジンと魔法のランプ』。 さな子先生は、『もし魔法のランプを手に入れたら?』という設問に、自分で例文を打ち込んでいるところだった。

 

 後ろから珠央たまおとヨーコに見つめられているとも知らず、さな子先生はスラスラと英文を入力していく。 静かな部屋には、さな子先生が打つタイピングのカタカタという音だけが微かに響いている。

 

 珠央がその入力されていく文字をじっと見ていると、英文が文字化けしたように崩れていき、さな子先生が突然大声を上げた。


「駄目っ!!駄目だわっ!!想像しては駄目よっ!!私は教師なのよっ!!『彼と一緒に遊園地に行きたい』とか、『将来お嫁さんにして下さい』なんて…… ダメよっ、そんな願いを想像しちゃ ……!」


 さな子先生はノートパソコンをバタンと閉じて押しのけ、髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。


(ど、どうしたんだ!?この先生、頭がおかしくなったゾ!!)


 ヨーコはブランデーのビンの口をペロペロ舐めながら言った。


(どうやら、恋の悩みみたい……先生も普通の乙女なんだ…… 。これは、見なかったことにしてあげよう。ブランデーも少しだけはゲット出来たし、行こっか。)


 珠央とヨーコは、静かに英語教官室の窓を通り抜け、中庭へと出た。

 この時、ブランデーが効いてきたのか、ヨーコの擬態は途切れかけていた。手を繋いで一緒に透明になっている珠央の姿がちらちらと見え隠れしていたが、ヨーコも珠央もそれに気づいていなかった。幸いなことに、悩みごとで頭がいっぱいのさな子先生も、それに気づかなかった。




(タマオ、コイノナヤミってなんだ?)


(好きな人のことを考えて、胸が苦しくなったり、焼きもち焼いたり、不安になったりすることかな。)


(オラ、タマオのこともなゆたのことも好きだゾ!でも、苦しくないし、モチ焼いたこともないゾ!!)


(ありがとう。私もヨーコのこと好きだよ。でも、その好きとは多分違うよ。もっと、特別な好き。胸が熱くなるような……だから、悩むんじゃないかな。)


(好きって難しいゾ!)


(そうだね。思ってたより簡単じゃないのかなって最近は思うよ。)


 珠央は一呼吸置いて、手を繋いでいるヨーコのことを見つめた。


(……ねぇ、ヨーコ、そう言えば、この前さ……あの白い綿毛が出た時に、私の名前を呼んだ?)


(オラ一人で大変だったから、早くだれかに来てほしかったけど……タマオの名前は呼んでないゾ?)


(そっか……ヨーコと心で話せるようになったから、あれはヨーコだったのかと思ったけど……やっぱり、ただの空耳かな。)


 珠央は中庭から見える狭い空を見上げた。


(でも、なゆたなら、いつもタマオの名前を呼んでるゾ!)




(えっ!?)


 意味を理解するのに、一瞬の間があった。珠央は目を見開き、ヨーコを振り返った。


(なゆたは、いつも心の中でタマオを呼んでる。オラには聞こえるゾ!)


(……えっ!?なんで……!?今も!?)


(今はたぶん、かたつむり気持ち悪いって言ってるゾ!!)


(そっか……)


 それから少しの間、珠央は無言でヨーコの手を引いて中庭を歩いた。二人の影は地面に映らない。しかし、二人が歩く場所だけ、太陽の光がゆらりと屈折し、風景が水面のように歪んで見えた。



(タマオ、コレ、なんだ?食えるか?)


 ヨーコが中庭の朽ちた切り株に生えているキノコを指差した。


(あっ、サルノコシカケ!!食べても美味しいか分からないけど、煎じて飲むと体に良いんだよ!!)


 珠央は、切り株の前にしゃがみ込み、近くに落ちていた尖った石を使ってサルノコシカケを少し削り取った。ヨーコは切り株から生えるサルノコシカケに直に囓りついていたが、顔をしかめて、ブランデーのビンをぺろりと舐めた。


(マズいゾ!!タマオ、それどうするんだ?)


(部室に帰って、サルノコシカケ茶を作るよ。万病に効いて、身体が強くなる凄いお茶なんだよ。……那由多くんの体調も少しは良くなるかもしれないから。)








「何の香りですか?」


 珠央が部室のガスコンロでサルノコシカケを煮ていると、トイレから帰ってきた那由多が鍋を覗き込んだ。


「漢方薬?渋みのある、きのこのような香りですね。」


「正解!!サルノコシカケ茶。ちょっと、飲んでみて。気持ちが悪いの良くなるかもよ。」


 珠央はそう言うと、金彩のカップに茶を注き、那由多に差し出した。珠央に見つめられて、那由多はゆっくりとカップに口をつけた。


「……美味しい!初めて飲みますが、落ち着く渋みと香りですね。それにしても、サルノコシカケの煎じ方なんて、どうしてご存知なんです?」


「うち、神社なんだけど、敷地の林にサルノコシカケがよく生えるの。管理が行き届いてないせいか、いろんな木に出てきちゃって。小さい頃からおじいちゃんがそれを採って、お茶にしてくれてたんだ。『元気で強く育つお茶だぞ』って。おかげで、私、風邪ひとつ引かないよ! 」


「素敵なお祖父様ですね。」


「そう!私、おじいちゃんのこと大好きなんだ。一人で私を育ててくれたの。」


 珠央もサルノコシカケ茶を飲みながら、柔らかい笑顔で言った。




「神道!!何、部室で寛いでんだよっ!!突然午後の授業サボるから驚いたぜ!!」


 珠央と那由多が茶を飲みながら話していると、那由多と同じクラスで探偵部の部員の日向 嵐ひゅうが あらしが部室に入ってきた。


「あっ!みんなもういる!!珠央もいるっ!!午後の授業サボった癖にっ!!」


 嵐の後ろから、今度は珠央と同じクラスの部員、夏目 明菜なつめ あきなが部室にやって来た。


「なにぃ!!神道と天宮、ずっと二人っきりで部室に居たのかよっ!!怪しいっ!!」


「えっ!?本当に?また何か変なおまじないごっこしてたの!?ずるい!!」


 入って来るなり、嵐と明菜が騒ぎ立てた。


「ちがうゾ!!タマオはオラと探検してたんだゾ!!」


(こらっ!!それ以上言っちゃ駄目!!探検は二人だけの秘密!!)


 ヨーコが口を滑らせたため、珠央は必死で心の中で叫んだ。


「探検?」


 那由多、嵐、明菜が口を揃えて言った。


「あ、そうなの。那由多くんが体調不良だったから、中庭にサルノコシカケを採りに行ってたんだ。ほら、二人の分もあるよ!!」


 珠央は話が探検に戻らないように、素早く茶を淹れて紛らわせた。


「おっ!!気が効くじゃん!!実は、俺も良いもん持ってんだ!!茶菓子に丁度いいと思うよ!」


 そう言って、嵐は鞄からピンクの包装紙で丁寧に包まれた箱を取り出した。


「英語のさな子先生が、家庭科の紺野こんの先生に習って作ったんだってさ!余ったからって、たまたま通りかかった俺にくれたんだ!」


 嵐がそう言いながら包装紙を開けると、甘いブランデーの香りが広がった。


「すごーい!!美味しそう!!」


「このお茶と合いそうですね。」


 みんながケーキに群がる中、包装紙の隙間からメッセージカードが床に落ちた。

 嵐の様子を目を丸くして見ていた珠央と、珠央を見ていたヨーコしか、それに気づかなかった。


(ヨーコ、透明になってあのメッセージカードを日向くんの鞄にこっそり入れて!!あと、さっき英語教官室で見たことも、絶対誰にも言っちゃ駄目だからね!!二人だけの秘密だからね!!)


(分かったゾ!!)


 ヨーコは珠央の指示通り透明に擬態し、メッセージカードを嵐の鞄にそっと入れた。



 ケーキに手を伸ばしかけた那由多の視線が、空間の一点に留まった。

 目に見えない『何か』の動きを察知し、わずかに眉を寄せる。 ──指示していないはずのヨーコが、透明になって動いたのだ。

 那由多は何も言わず、その気配を静かに目で追っていた。








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