第4話 王都からの召喚

 魔物襲撃の夜から三日後。

 エイルの村には、まだあの戦いの余韻が残っていた。

 倒れた魔物たちは谷の奥へ運ばれ、畑は村総出で修復が進められている。

 村の子どもたちは「眠りパン」ごっこと称して丸めた泥団子を投げ、母親たちは「爆裂パンは危ないから真似するな」と叱っていた。


 私――レオンはというと、窯の前で今日も汗をかいていた。

 粉を捏ねる手に、村人たちの期待が宿る。

 “聖なるパン職人”。そう呼ばれるたびにくすぐったさを覚えるが、同時に胸の奥で小さな火が燃え続けている。


『ふふ、もう村の英雄だね』

 肩にとまった風の精霊ミルが、楽しげに囁いた。


「やめてくれ。俺は英雄じゃない。ただのパン屋だ」


『でも、あの子たちはあなたのパンで笑ってる。英雄より大事なことだと思わない?』


 私は答えずに、生地を叩いた。

 乾いた音が窯の壁に響き、村に流れる風と混ざる。


      ◆


 昼過ぎ。

 村の外れに、馬蹄の音が響いた。

 土煙の中から現れたのは、王国の紋章を掲げた一団だった。

 鎧は磨かれ、馬はよく訓練されている。先日の敗走兵とは明らかに違う。

 村人たちがざわつく。子どもが「騎士さまだ!」と声を上げた。


 先頭の騎士が馬から降り、私の前に膝をついた。

「パン職人レオン殿。王都よりの召喚状を携えて参った」


「召喚状?」


 差し出された羊皮紙には、王国の封蝋が押されている。

 そこには確かに、王国宰相の名でこう記されていた。


――“聖なるパン職人を王都に招き、王国の危機を救うべし”――


「……王都の危機?」


「はい。魔王軍の進撃が止まりません。各地の守備隊は疲弊し、兵は傷つき、祈祷師も尽きかけております。ですが、あなたのパンの噂が兵士たちの間で広がりました。“食べれば立ち上がれる”と。どうか、王都へお越し願いたい!」


 村人たちがどよめいた。

 オズが小声でつぶやく。

「とうとう……王都に呼び戻されたか」


      ◆


 私の胸に、あの日の記憶がよみがえる。

 勇者パーティーに「役立たず」と罵られ、剣を奪われ、絶望の焚き火を背にした夜。

 もう二度と王都に戻ることはないと思っていた。

 それが今、パン屋として呼ばれている。


 私は深く息を吐き、騎士を見つめた。

「……俺はもう勇者じゃない。パン屋だ。それでもいいのか?」


「むしろ、それこそが必要なのです!」

 騎士の声は震えていた。「剣も魔法も、魔王軍の前では折れています。ですが――あなたのパンは、兵を立たせ、心を繋ぐ。王都に必要なのは勇者ではなく、あなたです!」


 村人たちの視線が集まる。

 幼い子どもが「レオン兄ちゃん、行っちゃうの?」と泣きそうな顔で見上げてくる。

 私はその頭を撫で、微笑んだ。


「行くさ。けど帰ってくる。俺はこの村のパン屋だからな」


      ◆


 出発の準備をしていると、オズが杖をつきながらやってきた。

「おまえさん、覚悟はいいか? 王都は甘くねぇ。褒めたと思ったら裏切る。利用したと思ったら捨てる。それでも行くのか?」


「行くよ。俺はもう勇者じゃない。……でもパン屋として、人を守るなら」


 オズは深いため息をつき、それでも口の端を上げた。

「なら、これを持ってけ」

 差し出されたのは、古びた革袋。中には乾燥ハーブと岩塩が詰められていた。


「村じゃめったに手に入らねぇが、パンに混ぜりゃ兵士たちの腹を温めるだろう。エイルの味を王都に見せつけてやれ」


「ありがとう、オズ」


      ◆


 出立の朝。

 村人総出で見送りに集まった。

 子どもたちはパンのかけらを握りしめ、涙をこらえている。

 私は窯に最後の火を入れ、小さな丸パンを焼いた。

 黄金色のそれを村人一人ひとりに手渡しながら、心に誓う。


「必ず戻る。その時は、また一緒に食べよう」


 騎士団の馬に跨がり、村を振り返る。

 ミルが風となって髪を撫でた。

『ねえレオン。これから、もっとたくさんの人が、あなたのパンを待ってる』


「わかってる。……俺はパンで世界を守る」


 馬の蹄が大地を叩き、王都への道が開ける。

 空は雲を割り、光が差し込んだ。


👉 次回「第5話 王都の絶望と聖なるパン」

疲弊した王都の惨状。そして、追放したかつての勇者仲間たちとの再会――。

パン屋レオンの逆転劇は、いよいよ王国の舞台へ!

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