心中反魂香


 その連絡を受けたのは、亜美の葬式が終え数日した後だったのでそれはもう驚くしかなかった。


 何もかもが後出しの情報ばかりで私の感情は形振なりふり構わず混迷の感情に押し潰されてしまったが、詳しい内容を聞きたくて仕方なかったが、それでも私は事情を知らなければならない使命に駆られてしまっていた。


 亜美の両親に色々と聞き出したかったが、流石に向こうも混乱していてるだろうと思い、少し時間を置いて再び連絡することに。


 ただ…1人じゃ心許ないうえに、もしかしたら私にも一端があるのではという不安感に情緒と精神の波が揺れそうで心配だったので真矢にも連絡して一緒に付いてきてもらうこととなった。


 そして、亜美の両親にも連絡を取って日にちを決めて会うこととなり、約束を取り決めた数日後、亜美の家に私達は向かった。


 亜美の家へ着くと、窶れている顔で母親が私たちをリビングへ案内してくれた。


 本当なら家族団らんでここで亜美の家族が楽しく過ごしていたんだろう…と思い浮かぶと、両親の悲しみというのは相当大きい虚しさや喪失に押し潰されているんだと、私も心の灰が再び積もり始めてしまう。


 真矢も同じ気持ちかもしれないが、表情は少し冷静さを装っている様にも見え、今回の話し合いで何か今回の件の答えの切っ掛けを引き出そうとしているのかもしれない。


 温かいお茶を用意してくれ、母親が亜美の仏壇まで案内してくれた。


 亜美の部屋の隅に置かれている綺麗で立派な仏壇は亜美そのものを表しているようで…亜美がそこで私達を待っていてくれたような気がして、少し安堵感が芽生えた。


 仏壇にお参りをする為に仏壇前に正座をする。


 勿論仏壇の中には、線香が焚かれている。


 私はあの日以降お香の類が少し苦手になっていたが、流石に亜美の仏壇で怯えるわけにもいかず、ちゃんと亜美の仏壇に正面を見据えた。


 線香から煙が出ている。


 唯の線香から出ている煙の筈である。


 その煙が…段々と形を変えてゆく。


 部屋の通気の影響なのかもしれない…。


 緊張で私達の少し強めの嘆息が線香に掛かっているのかもしれない…。


 だがそのどちらでも無く、明らかに煙が意図的に何かの形を成形しているように見えた。


 細い一本線の煙が2つになり、徐々に人影を作り出していく。


 片方は男性の様なシルエットを…。


 もう片方は女性の様なシルエットを…。


 私は唖然としてその光景から目が離せない。


 両方のシルエットは少しづつ人影から明確な薄い人間の姿を象っていく。


 男性の影は、段々とスーツを着た姿の男に…。


 女性の影は、段々と見覚えのある服装と身長に変わっていった。


 私は煙の女性の正体…そして煙の男性の正体に気付いたと同時に、底から芽生えた恐怖心からこの場から離れようと必死に足を動かそうとするも何故か動かない。


 真矢の方に顔を向けたかったが、身体も全然動じず、視線も仏壇から話すことが出来ない。


 その2人の煙は、煙の女が煙の男を無理矢理抱きつき、それを必死に突き放そうとしている図にしか見えなかった。


 煙の女が段々と形がくっきりと…顔の輪郭さえも分かるほど明確になっていく。


 煙の女は…亜美に見えた。


 男は…恐らく例の想い人なのだろう。


 私は恐怖しながらも、もしこの煙の女が亜美ならば…男が何をされてしまったのかを想像してしまい、吐き気を催しそうになる。


 しかし同時に鼻から流れる匂いがこの場から…仏壇で起きている劇に目を離すなと言わんばかりの信号を脳に働きかけていく。


 矢張り匂いが私の意思より本能を刺激していくせいで、私の意思は今見ている光景を強制的に目視してしまう事しか出来ず、私は狂いそうになった。


 見たくない…。


 こんな友人の顔を覆いたい程の居た堪れなさに背筋が凍りついて顔を下に背きたい程の光景を見たくなんか無い。


 目を閉じることも出来ない。


 狂う…狂う狂う狂う…。


 煙に惑わされる…荒れ狂う…。


 私はもうこの理解し難い状況に身を委ねてしまおうと意識をこの煙に何もかも投げ出してしまおうと…そう諦めかけた時…後ろから誰かの声が耳を通り、私の薄れる意志を呼び覚ましてくる。


 …ぶ?大丈夫?!


 少し大声で呼ぶ声に先程まで動かなかった身体が漸く動き始めた。


 声の主は後ろにいた真矢で、私が一向に仏壇から身体を動かさず時が止まった様に微動だにしなかった事に違和感を感じ声を掛けたとのことで、私は何時間もその場で留まっていた気がしたが、時計を見るとたった数分、時間を刻まれていただけであった。


 私は押し潰されて、剥き出せなかった恐怖の感情が一気に押し出てきて、真矢に抱きついて号泣してしまった。


 真矢はそのまま私を受け止めて、あやしてくれ、泣き声に驚いて駆け付けた母親は、私が亜美の死に嗚咽を漏らしてしまう程悲しんでいると勘違いしたのか、私に駆け寄って一緒に慰めてくれた。


 少し落ち着いたが、心身辟易した私の態度に真矢が察して、再び挨拶に来ることを約束してそのまま亜美家を出る事になってしまった。

 

 もっと色々話したかったが見てはならぬものに恐怖し、疲弊してしまったのでそのまま私達も解散した。


 その後何時ぞやの晩と同じく、精神的に疲弊していたがどうしてもあの光景が頭から離れない。


 私の幻覚でなければあの2人は確実に亜美と亜美の想い人の既婚者の男だ。


 唖然としていたがあの光景がもし本当の事実なら…あれは2人が共に…同時に旅立っていったという証ではないのだろうか…。


 それなら余計に疑問が残る。


 何故私の前に現れたのか。


 もし魂が共に昇るというなら私の前ではなく2人が死んだ場所…確か見つかった場所は森林だった筈…。


 だが見つかった遺体は一部で、全部が見つかったわけではないと言われていた筈…。


 何もかもが予測でしか成り立たない。


 そもそも魂云々が非科学的であり、この世で否定しなければならない現象である。


 なら私が先程起きた現象は…唯の幻覚…私の罪悪感が、招いた脳の錯覚…であってほしいと願わずにいられない程に困惑の渦にのめりこまれてしまっていく…。


 そして…その日もそのまま眠りについた。

 

 目が覚めた…今回は何も夢を見なかった。


 だから余計に気になった…何が起きたのかを。


 私は起きてすぐあの店へ向かった…童心堂へ。


 辿り着いた童心堂は、この前行った時より禍々しい雰囲気を醸し出していた気がしていた。


 だが、そんな事は構わず私は壊す勢いで閉まっていると思われた玄関のドアに手をかけた。


 そしたら…開いた。


 ドアは開いたままだったのだ。


 拍子抜けしたのも一瞬、ここで何が起きているのか確認したかったので老人を探すために礼儀を無視し土足で室内へあがり、そのまま私が老人と会話したお香部屋に入り込んだ。


 しかしその場は私が来た時と何も変わっていなかった…その場に老人と紗由美が佇んでいた以外は…。


 私は紗由美がいた事に驚き、言葉を叫んだ。


 「なんで紗由美がここにいるの!?…しかもこんな朝に…!」


 「ん?あ、多分亜美の件で来たんでしょ。亜美は思い悩んでいたから私と【おじいちゃん】と【おばあちゃん】が亜美の悩みを解決しようと画策してたんだよ。」


 「おじいちゃんと…おばあちゃんって…。まさか…あの時からここに私達が来るように誘導してたってわけ?!」


 「誘導ってあまり良くない言い方だなあ…。私はあくまで選択の1つとしてここを選ばせただけだよ。嘘はついてないし、私はただ亜美のついでに貴方達2人も悩みから救いたかっただけなんだって。」


 「けど…けど死んじゃったんだよ!?しかも私達と関係ない既婚者まで巻き込んで…!」


 「えー、けどあれを望んだのは亜美だし…。それこそあの結果を望んだのは亜美自身なんだよ?それを手助けしただけで文句言われる筋合いはないかなあ。」


 「ひ…人がし…死んでるんだよ?!」


 「死は救済でもあるよ?喜怒哀楽の感情に囚われる事無く…いや、楽は入るか。無駄な感情を殺して楽になれるんだよ。それに近い経験してたよね?おじいちゃんが渡したお香は嘸かし心地良かったんじゃない?」


 私は反論出来なかった。


 実際に心地が良かった。


 悩みが吹き飛ぶ程の気持ち良さに心身がとろけだしそうになった。


 しかし…私は死んではいない。


 意識もちゃんとある。


 身体の鼓動全てもちゃんと正常に動いている。


 私は今、ちゃんとこの現代、日本、地球、命溢れる魑魅魍魎が跳梁跋扈を認めない科学と現実が支配する世界にちゃんと地に足をついている人間という個人で、ヒトという生物の1種類でしかない存在だ。


 他の生物より頭が良く、器用な姿をしているだけで性質や本能は他の生物となんら変わらない。


 それなのにこの人達は、少し生物の性質を理解し、そこを利用しているだけで人間を掌握している気になっている。


 更に人が死んでいるのにそれが救いと述べ、自身らを救世主だと誤解している節さえある。


 だが…それでも私は否定できなかった。


 あの気持ちよさに抗えなかった。


 そのまま身を委ね、死ねばそれはもう安楽死に近い安らかに死んでいくのであろうから…。


 私が黙ってしまっていると、紗由美の祖父が語りだした。


 「私も嫌々押し付けてるわけではございません。ちゃんとお客様に了解を得ておりますし、否定もされていない以上は、私もお客様には存分に幸せな気持ちでお香を楽しんで頂きたいんです。それが結果死に繋がり、他人を巻き込んでしまったとしても幸せに…有効にお香を楽しんで頂ければ私も幸いでございます。」


 「そ…そんな…。」


 「これは決して非合法な薬を使ってる訳でもございません。ちゃんと合法的な資格と調合を得て作られたものをお客様にお渡ししております。…ただ、それなりの効果を持つものは流石に時間と手間が掛かってしまうもので…だからこそ、私はお客様にその材料を手に入れる覚悟を問うのです。あの亜美様はとても良い返事を致しましたよ。だから私もその時間を掛けて亜美様に期待に添える用手を掛けてあのお香を作り上げることが出来たのです。」


 「亜美に…なにやらせたの!」


 次は紗由美が返答した。


 「簡単だよ、『想い人の身体の8割を持ってきてくれればそれをお香にするよ。』って言ったら本当に想い人を殺めて身体の8割を持ってきたんだよ。これは期待に添えないとってなるじゃん?」


 私は本当に絶句した…が、そのすぐ後に私は思いの丈を思いっきり叫んだ。


 「亜美に…亜美に人を殺させたの!?」


 私の感情と対照的に紗由美と紗由美の祖父は自分の仕事に誇りを持っているという感情で答えた。


 「いやいや、材料の持ってきてって頼んだだけだよ。それが人だったってだけで。もしこの対象が犬なら否定した?愛犬なら?野犬とかは?他人の犬は?否定できた?多分こう思うんじゃない?『大切な家族の一員や野生の可哀想な生活送っている犬なら衝動的に殺してお香にしても犬も主人の側にいられるし、野犬なら理不尽な生活送らずに成仏できる。どうせ言葉も分からぬ愛想の良いだけが取り柄の生物ならバレないし感動話にすれば納得してくれるだろう』って。これが人になると倫理観が無いとか殺人じゃないかと罵倒されても私は理解できない。社会性が特質した人間と自然の理の範囲での社会性を送る他の生物の違いってそんなないと思うけどね。」


 「そうです、孫娘も私も妻もここに来る人々は全て同じ気持ちでこちら童心堂に来店してくれております。」


 私はもう唖然と2人の投げ掛けてくる言葉という音に耳を向けて黙ることしかできなかった。


 反論が出来ない…言ってる意味が全く分からないからだ。


 「け、けど悲しいよ!人でも犬でも猫でも鳥でも他の生き物でも!勝手に殺していい理由にならない!さ…最低でも私は嫌だ!愛犬より先に私の寿命が来たなら私は誰かに犬を託すのか最後の役目だと思って責任を持つし、逆なら最後まで看取ってそのまま火葬して骨壺に入れてその後は散骨するかもしれないし納骨するかもしれない。けど…けどこんな!」


 「落ち着いて下さい。貴方の考えを否定はしておりません…勿論亡くなった後のペットや身内を灰にしてお香にしてくれと依頼してくるお客様もおりますよ。…ただ、私の依頼する方々にはそういう人を殺めるのと愛犬を殺める事の境界線が曖昧なお客様がいるということです。最低でも亜美様はそういう境界線が曖昧になられていたお客様だっただけの話です。」


 「じゃあ止めればよかったんじゃないですか!」


 「私達も仕事で食わなきゃならないんです。今の御時世なら余計に形振り構っていられない。それに亜美様もちゃんと自身の身を使ってでも想い人と一緒になりたいという覚悟に感動して、お代を無料にしてまで私が腕を振るった一品を作り上げ、それを亜美様のご両親にお線香という形でお渡ししたのです。」


 「亜美の両親に…?お線香…?ま…まさか…」


 私はここで限界だったのか、意識が遠のいてしまう。


 何か…匂いが鼻を通ってゆく。


 甘く緩く…身体から力が抜けていくような安心する香り…。


 意識さえ薄くなるほどの心地良い香り…。


 私がゆっくりと寝込むように倒れ込む。


 意識が薄れる…まるで眠気に誘われる様に…。

 

 そして…私が最後聞いた言葉は紗由美の「亜美は骨の形も可愛かったね…。貴方も…ほしい…」だった…そのまま私は意識を失った。


 


 


 


 

 

 


 


 


 

 





 




 


 


 




 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 

 

 

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