第10話 偽りのオフィス(3)~魂の尋問~
「噂通りの腕前だとなれば、こちらも最高の歓待をせねばなるまい」
男がそう言った瞬間、彼は足元のカーペットを蹴り上げた。目眩ましだ。その僅かな隙に、男はデスクの裏からショットガンを引きずり出し、躊躇なく撃ち放った。
轟音と共に、散弾が壁に突き刺さる。だが、その時には既に俺は床を転がり、マホガニーのデスクの影へと隠れていた。
「蓮さん、彼の魂が昂っています! 次の攻撃が来ます!」
月詠の警告と同時に、デスクに第二射が叩き込まれ、木片が派手に飛び散る。リロードの隙を狙って反撃しようと銃口を向けた俺の目に、信じられない光景が映った。
男はショットガンを捨て、両手にナイフを握りしめ一直線にこちらへ突進してきていた。近接戦闘に持ち込む気か!
俺はライフルを投げ捨て、腰のコンバットナイフを引き抜く。デスクを挟んで、二つの刃が火花を散らした。キィン、と甲高い金属音が響く。力が拮抗する。こいつ、ただの幹部じゃない。
俺と同等、あるいはそれ以上の経験を積んだプロだ。
男は体重をかけて俺を押し倒そうとする。俺はその力を利用し、身体を反転させて男を投げ飛ばした。だが、男は猫のように着地し、間髪入れずに足払いを仕掛けてくる。俺はそれを飛び越えて回避し、距離を取る。息が上がる。久しく感じたことのない、死の匂い。
数合の斬り結びの後、俺は敢えて体勢を崩し、男のナイフを左腕で受け流した。肉が裂ける熱い痛みが走る。だが、それで十分だった。がら空きになった男の脇腹に、俺はナイフの柄を全力で叩き込む。
「ぐっ……!」
肋骨が砕ける感触。男はナイフを取り落とし、膝から崩れ落ちる。俺はすぐさま男の腕を背後に捻り上げ、床に押さえつけた。
「なぜ、お前たちはこの町を破壊しようとしている」
俺の問いに、男は血を吐きながら、嘲るように笑った。
「破壊ではない……『浄化』だ。この国を蝕む膿を、根元から焼き払うためのな」
やはり、ただのテロリストではない。
「知っている情報を全て話せ」
「……早く殺せ」
「他のアジトはどこだ」
男は完全に黙秘した。その瞳には、揺るぎない狂信が宿っている。
月詠が囁く。『嘘ですらありません。彼は何も話すつもりがないようです』
埒が明かない。俺は一度思考を切り替え、情報を整理する。
このオフィスビルは、町の南東の出入り口『汐見橋』に近い。俺たちが最初に襲撃した港の倉庫も、南西の海沿いだ。奴らは町のインフラ、特に『出入り口』に執着しているフシがある。
ならば、残る主要な出入り口は……北の『美浜大橋』と、西の『天城山トンネル』。北の大橋は町の象徴であり、警備も厳重すぎる。だが、西のトンネルは山に囲まれ、隠密行動に適している……。管理施設を乗っ取れば、トンネルそのものを巨大な罠に変えることも可能だ……!
結論は出た。俺は、まるで答えを知っていたかのように、男に静かに告げる。
「……西の、天城山トンネル。次の拠点はそこか」
その言葉を聞いても、男は表情一つ変えない。だが、俺の耳には決定的な答えが聞こえていた。
『蓮さん。今、彼の魂が激しく揺れました。動揺していますよ。ですが……なんか……楽しみを感じている色が……』
月詠の言葉を遮るように、男は叫んだ。
「ああ……正解だ。さすがだな。だが、もう遅い! お前のような犬にはわかるまい! 我々は、この腐りきった国を一度『無』に還すのだ! 神代先生は、そのための預言者だ!」
その言葉と同時に、男の魂が異常な輝きを放つのを、月詠が感知した。
『魂が赤い! 蓮さん、危険です! 彼の魂が、自ら燃え尽きようとしています!』
月詠の警告とほぼ同時に、俺は男が服の下で起爆スイッチを握りしめているのに気づいた。
「――!」
俺は咄嗟に、近くにあった重厚な革張りのソファを蹴り倒し、その物陰に飛び込んだ。
直後、部屋を閃光が包み、鼓膜を突き破るような轟音が響き渡る。衝撃波がアジトを揺らし、窓ガラスが粉々に砕け散った。
爆風が止み、俺はソファの陰からゆっくりと顔を上げた。部屋の中央には、黒く焼け焦げた痕跡だけが残り、男の姿は跡形もなく消し飛んでいた。自らの命と共に、全ての手がかりを消し去ったのだ。
「……ギーク、聞こえるか」
『ああ、なんとか! すげえ爆発だったな、大丈夫か!?』
「問題ない。だが、ここはもう終わりだ。脱出する」
鳴り響く警報の中、俺は破壊された窓枠から外を見下ろした。地上からは、いくつものパトカーのサイレンが急速に近づいてくるのが見える。
『屋上へ向かえ、レン! そこに脱出用のワイヤーをセットしてある!』
俺は頷くと、役員室を後にした。煙と水浸しのオフィスフロアを駆け抜け、屋上へと続く階段を駆け上がる。
屋上に出ると、生暖かい夜風が頬を撫でた。俺はギークが指示した場所にセットされたワイヤーを身体に固定し、躊躇なく夜の闇へと身を躍らせた。
隣のビルの屋上に着地し、ワイヤーを切り離す。遠ざかるオフィスビルと、鳴り響くサイレンの音を背に、俺は夜の闇へと再び溶けていった。
「……自爆、か。イカれてやがる」
ギークが忌々しげに舌打ちする。俺は左腕の裂傷に応急処置を施しながら、今回の収穫を反芻していた。
「次の目的地は天城山トンネルだ」
「ああ、分かってる。だが、妙だと思わねえか?」
ギークはモニターに、先ほど俺が確保した敵幹部の顔写真と、データベースから引き出した経歴を並べて表示する。
「こいつ、元政府系のシンクタンクにいたエリートだ。他の連中も調べたが、どうもきな臭え。今回の襲撃、確かに俺たちの『勝ち』だが……まるで、計画された負け試合に乗せられてるような気分だぜ」
ギークの言葉に、俺も同じ違和感を覚えていた。
あの幹部……追い詰められてはいたが、その瞳の奥には、焦りよりも何かをやり遂げたかのような奇妙な満足感が浮かんでいた気がする。まるで、彼の自爆すらも、神代の描いた脚本の一節だったとでも言うように。
「奴らは、俺たちの襲撃を読んでいた。そして、俺たちに『天城山トンネル』という情報を掴ませた……」
「ああ。まるで、『次の舞台はこちらです』と、ご丁寧に招待状を送られてる気分だぜ」
窓の外に、美浜町の夜景が流れていく。今夜、俺たちは確かに勝利し、次への道筋を掴んだ。だが、胸に渦巻くのは高揚感ではなく、より深く、巨大な罠の入り口に立ったかのような冷たい緊張感だった。
俺の隣で、月詠が静かに夜景を見つめていた。その横顔は、何を思っているのか。ただ一つ、彼女の魂が、これまでとは質の違う、深い哀しみの色を帯び始めていることに、俺はまだ気づいていなかった。
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