第5話 月下の死神(3)
アジトの重い鉄扉を閉めると、外の世界の音が完全に遮断された。俺の背後で、月詠が物珍しそうに、薄暗いコンクリート打ちっぱなしの空間を見回している。
無数のケーブルが床を這い、部屋の大部分を占めるサーバーラックと、壁一面に設置されたモニター群だけが、この廃墟に異質な光を灯していた。
「――おかえり、レン。首尾は上々ってとこか」
部屋の奥、回転イスに座ったまま、ギークがキーボードを叩く手を止めてこちらを向いた。モニターの光が、彼の眼鏡を反射させている。だが、彼の視線は俺の背後、月詠がいるはずの空間を素通りした。
「ギーク。何か見えるか?」
俺は敢えて問いかけた。
「は? 何かって、お前と、お前が持ってるそのヤバそうなケース以外に何が見えるってんだ? まさか、とうとう幽霊でも連れて帰ってきたのか?」
軽口を叩きながらも、彼の目は真剣だ。やはり、見えていないらしい。
俺にしか見えない、か。それはそれで、好都合かもしれん。
「ああ、少しな」
俺は曖昧に答え、奪取したジュラルミンケースを中央の分析台に置いた。ギークは俺の言葉を冗談と受け取ったのか、肩をすくめて椅子を滑らせてくる。
「で、これが今夜のお土産か。どれどれ……」
ギークが慣れた手つきでケースをこじ開け、中身のプラスチック爆薬を特殊なスキャナーにかける。モニターに複雑な化学式とエネルギーの波形が表示され、彼の表情が徐々に険しくなっていった。
「……なるほどな。こいつはヤバい。起爆装置が既存のどのタイプとも違う。独自の信号で遠隔起爆する仕組みだが、周波数が特定できない。つまり、ジャミングが効かないってことだ」
彼は眉をひそめ、さらに続ける。
「それに、この爆薬のエネルギー効率が異常だ。こんな手のひらに収まる大きさ一つでも、このビルくらいなら基礎から吹き飛ばせるぞ。あの神代って野郎は、こんなモンを既に量産してるってわけか……」
その言葉に、背後に立つ月詠の気配がわずかに揺れた気がした。
「他の爆弾のありかは掴めそうか?」
俺の問いに、ギークはかぶりを振った。
「ダメだ。デジタルな痕跡が全くない。金の流れも、通信記録も、すべてがゴーストだ。このサンプルがどこで作られ、どこに保管されているのか、俺のハッキングだけじゃこれ以上は追えない。完全に手詰まりだ」
静寂が落ちる。ギークの指が、苛立たしげにキーボードを叩いた。
俺は、後ろに視線を向け、背後の月詠に聞いてみることにした。
「……何か分かるか?」
「おいおい、見えない友達でもできて、相談でもしてんのか? 悪いが俺はオカルトは信じないぜ。命がかかってんのに勘弁してくれよ」
ギークが呆れたように言った。
しまったな。無意識の行動だったが、これではただの変人だ。今後は気をつけなければ。
その時、月詠の声が俺の頭の中に直接響いた。
『蓮さん、その爆弾のケース……最後に触れていた人間の顔を、私に見せていただけますか?』
「ギーク。最後にケースを運んでいた男の顔、監視カメラに映っていただろ。それをモニターに出せ」
俺はギークの言葉を無視して、指示を出す。
「はあ? 今度はそいつの顔を拝んで、何かのお告げでも聞くのかよ」
文句を言いながらも、ギークは数回キーを叩き、港で俺が射殺したリーダー格の男の顔写真をメインモニターに表示させた。
月詠がその写真を見つめ、静かに目を閉じる。
『……はい、この男の魂の痕跡、覚えました。彼は死にましたが、彼と同じ種類の強い殺意を持つ魂を感じられる場所が、この町にまだ複数感じられます。恐らく彼らは仲間ですね』
彼女の声は、淡々と事実を告げていく。
『その中でも特に強い反応が一つ。町の南……橋に近いオフィスビルです。強い殺意の感情を発しています』
「南のオフィスビルに、ダミー会社がないか」
俺の唐突な指示に、ギークの眉が吊り上がる。
「はあ? なんでそんな場所が……脈絡がなさすぎるだろ!」
それでも、彼は半信半疑のまま指を走らせた。数秒後、彼の動きが凍りつく。
「……マジかよ。汐見橋の近くに、再開発計画で使われたペーパーカンパニーの登記が残ってる。恐らく、ビンゴだ」
ギークは信じられないという顔で、モニターと俺を交互に見つめた。
「……おい、レン。なんか情報でも掴んでたのか? まさか本当に幽霊か女神様でも連れてきたんじゃないだろうな」
「俺の勘は時々当たる」
俺はそう言って、軽口で返す。
「勘、ねぇ……」
ギークは何か言いたげな顔でこちらを見ていたが、やがて大きくため息をつくと、諦めたように首を振った。
「まあいいさ。お前の見えないお友達が幽霊だろうと女神様だろうと、仕事が進むなら文句はねぇよ」
女神、か。俺の背後で、死神が静かに佇んでいる。死神だろうが役に立つなら利用するまで。
どうやら俺たちの奇妙な関係は、まだ始まったばかりのようだ。
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