第4話 月下の死神(2)
認識を、即座に切り替える。驚愕している暇はない。理解できない現象を前にしても、やるべきことは変わらない。目的を果たす、そのために。
俺は目の前の存在を睨み据えたまま、静かに口を開いた。
「……お前は、死神か」
それは疑問の形をしていたが、確信に近かった。背中の翼、空間から取り出した大鎌、そして魂を刈りに来たという言葉。俺の中の非現実を司る引き出しをこじ開ければ、その答え以外にありえなかった。
俺の言葉に、少女は少しだけ目を見開いた。それは恐怖や動揺ではなく、純粋な驚きのように見えた。
「ええ、その通りです。でも……驚きました。私を前にして、貴方ほど冷静でいられる人間は初めて見ましたから」
ふっと、彼女の纏う空気が変わる。先ほどまでの、どこか無機質で事務的だった雰囲気が和らぎ、少しだけ人間味のある、柔らかな口調になった。まるで、興味深い観察対象を見つけたかのような、純粋な好奇心がその瞳に宿っている。
だが、俺の警戒心は解けない。相手が何であれ、俺の目的を阻むのなら、それは敵だ。
「俺は命が惜しいわけでもない。死が怖いわけでもない」
俺は銃口を下げずに、淡々と事実を告げる。
「だが、やらねばならない目的がある。それまでは死ねない――それだけだ」
「目的、ですか」
目の前の死神は、好奇心とは少し違う、何かを測るような複雑な表情でそう呟いた。まるで、俺という存在が、彼女の持つ何らかの想定や規則から外れているとでも言うように。
俺は、心の奥底で燃え続ける、復讐の炎の核となる名前を口にした。
「神代浩二……死神なら、この名前に心当たりはあるか?」
その名を告げた瞬間、少女の微笑みが、ほんの僅かに、一瞬だけ消えた。まるで、不意に別の思考に意識を奪われたかのように、その視線がわずかに宙を彷徨う。だが、それも瞬きする間ほどのことで、すぐに彼女は元の穏やかな表情に戻っていた。俺の気のせいだったのかもしれない、と思えるほど些細な変化。
「……いいえ。知りません。数多の魂を見てきましたが、その名前は記憶にありませんね」
「そうか。俺はその男を殺す。殺すまで、俺は死ねない。目的を果たした後なら、好きにしろ。魂でも何でもくれてやる」
俺の提案は、常識的に考えれば狂気の沙汰だ。死神に対する、猶予の交渉。だが、俺にはこれしか選択肢がなかった。
彼女は、俺の言葉を聞くと、黙って何かを考え込んでいるようだった。その銀色の瞳が、俺の魂の奥底まで見透かそうとするかのように、じっと俺を見つめている。やがて、彼女は一つの結論に達したように、小さく頷いた。
「……わかりました。貴方の願い、聞き届けましょう」
「……なぜだ?」
あまりにあっさりとした承諾に、俺は思わず問い返していた。
「死神には、流儀というものがあります」
彼女は、用意していたかのように、すらすらと答えた。
「魂は、その命が最も輝きを増した瞬間に刈り取るのが最上とされているのです。復讐という強い意志に燃える貴方の魂は、その目的を果たした時、きっと極上の輝きを放つでしょう。それを待つのも、悪くないかと思いまして」
死神らしい、人間には理解しがたい理屈だ。だが、俺にとっては好都合なことに変わりはない。
「その代わり、条件があります」
彼女はそう言うと、ふわりと翼を広げた。
「貴方が目的を果たすその時まで、私は貴方を見届けさせていただきます。それが、今回の特例に対する『保険』です」
「……好きにしろ」
行動を共に、か。敵か味方かもわからぬ、正体不明の存在。だが、今の俺に拒否権はない。むしろ、この死神の能力を利用できる可能性すらある。
俺は構えていた銃を、ゆっくりとホルスターに戻した。
「これからよろしくお願いしますね」
「私は月詠、と申します。貴方のお名前は?」
俺は一瞬の間を置いて、短く答える。警戒はまだ解いていない。だが、名乗らないという選択肢は、もはや無意味だった。
「……桐生、蓮だ」
俺が名を告げると、月詠は「蓮さん、ですね」と嬉しそうに呟いた。
俺はそれには答えず、アジトの重い鉄扉に手をかける。ギシリ、と錆びた
月光の下、復讐だけを生きる糧とする人間と、その魂を刈りに来たはずの死神が、静かに向かい合う。殺す者と殺される者。相容れないはずの二つの運命が、今、この場所で確かに交差した。
その運命が、俺たちの魂をどちらへ導くのか。その答えを知る者は、まだ誰もいない。
俺は背後の月詠を促すように扉を大きく開け、共にアジトの暗闇へと足を踏み入れた。
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