第4話 コミュニケーション
「本当に今から行くんですか?」
「まだ5時だろ。ちゃんと家まで送ってやるからいくぞ。門限あるなら先に連絡しとけ」
「なんですか、そのDV側のやさしさ。門限とかは大丈夫ですよ」
「殴りやすい神代さんが悪いと思う」
そのテキトーさに結縁はご立腹だが一切、気にしたそぶりは見せない。
「…『キュウビ』ね。まんま妖怪の名前だな」
「かつての妖怪と一緒ですからね。ですから、私たちみたいに昔から妖怪退治を生業としてた家系がそのまま引き継いでいってるんです」
「実家神社だっけ?」
確か、春ごろに噂になっていたはずだ。
縁結びの神社なのもあって結縁に告白するのであれば神社に行ってお守りを買うと成功するって。眉唾だったようだが。
「小さい神社ですけどね」
「小さいころからずっと異形退治してたのか?」
「はい。と言っても、幼少期は京都で過ごしたのでこっちにはいなかったんですけどね」
だから、見た覚えがなかったのか。
『おしゃべりはそこまでだ。ついたぞ』
先を歩いていたタマが振り返り、姿に似合わぬ渋い声でそう告げた。
『ここから先は別の神の領域だ。俺は入れねえ。何かあったらそこの小僧を盾にしてでもここまで戻ってこい』
「誰が…」
『小僧』
正愛の言葉はタマの言葉とまっすぐにこちらを見据える瞳にさえぎられる。
『頼んだぞ』
「…協力するって言ったからな。ケガさせるつもりはねえよ」
タマの姿が消える。正愛は深く息を吐き、思考を切り替える。
引き受けた以上は己の能力すべてをもって最大限の結果を出さねばならない。
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
鳥居をくぐる前に結縁がお札を鳥居へ張る。
「なんだそれ」
「人除けです。神様は人前に姿を現すことはないですから。話してる途中に人が来たら大変なことになりますからね。マナーみたいなものです」
そう言って小走りで正愛の後を追ってくる。
長い階段と両端の雑木林は暗さも相まってどこか物々しい雰囲気を醸し出している。
「そういえば、神様に力を借りるって言ってったけど具体的にどう借りるんだ。一緒に戦ってもらうのか?それとも、強化してもらうのか?」
「説明してなかったですね。私の神秘は神様の力を借りて行使するんです。昨日の神装はタマちゃんの力を纏う能力の一つです」
「ああ、あの猫耳巫女な」
「…そこには触れないでください。それで、ここの神社に住まう神様はほかの能力を強化する力を持ってるんです。だから、その力を借りることができればキュウビの討伐も楽にできるので」
「なるほど。っと、到着だな」
石段を登りきった先の境内。さらにその先。拝殿にて一人の男が胡坐をかいている。
その威圧感たるや10メートル以上離れているのに一歩すら重く感じる。
『…神代の娘か。何用だ?』
「……」
『…………』
「……………………!」
「いや、話せよ!」
今になって結縁の代理として交渉を頼まれた理由が分かった。
今までの結縁はどうしてか正愛とは話せていた。だからこそ、正愛は行き詰った時のアドバイザーとして同席するつもりだった。
隣の結縁はこの二日でよく見たパニックになった時の目をしている。
「…あくまで同行者のつもりだったんだけど。ひとまず挨拶でもしてみたら」
結縁は無言で赤べこのように何度も首を上下に振り、一歩前へ出た。
「……して。………えです」
「声小っちゃ」
正直に言おう。結縁の人見知り具合を軽く見ていたし、請け負ったことをすでに後悔している。
ここまでひどいとは思わなかったが、今思えば随所に片りんはあった。
『……緊張するのは仕方ない。余も急ぎの用があるわけでもない故、落ち着くまでたっぷりと時間をとるとよい。覚悟が決まったら声をかけよ』
神様は懐も広い。
ひとまず、正愛は境内の隅へと結縁を連れていき落ち着かせる。
「…ふぅ。とりあえず、自己紹介はうまくいきましたよね?緊張しました~」
「……」
正愛は絶句した。とんでもない自己評価の高さに。
蚊の鳴く音どころか音が出ていたかすらも怪しい。
しかし、なぜかやり切ったかのような満足感を漂わせている結縁にそのまま言っていいものか。
結縁のメンタルを考えるのならオブラートに包んで伝えるべきだが。
「そこまでする義理はないよなぁ」
交渉の手伝いに来たのであって介護をしに来たわけではない。
「どこからその自信がわいてきたか分からないけどあれは自己紹介ってジャンルに区分するのすらおこがまし出来だったから。一回、その自信は捨てて?」
「な、なに冗談言ってるんですか!?初対面で声を出せたどころか名前まで言えたんですよ!過去最高を塗り替えましたよ!」
「現実しっかり受け止めたうえでその評価なの?」
自己評価が高いのではなく、採点基準がゲロ甘だったようだ。
「はあ、仕方ない…」
乗り掛かった舟だ。最後まで世話をしようと覚悟を決める。
「俺が思うにだけど神代さんはコミュニケーションを重く捉えすぎだよ。失敗したって死にやしないし、いくらでもリカバリーできるんだからリラックスして」
「…なんか優しい言葉をかけてくれる暮雲くん怖いですね。違和感しかないです」
「その調子を誰にでも出せればな…。とにかく行ってこい」
口の減らない結縁の背中を押し、再チャレンジさせる。
明らかに緊張してる様子だが人の字でも飲ませるべきだったか。
そんな正愛の思案の中、結縁が重々しい口を開いた。
「………初めまして。神代結縁です。この度は拝謁いただきありがとうございます」
「おお…!」
『余は感無量である…!』
正愛の拍手に続き、神様も手を叩く。どこからともなく喝采が起こる。
何の変哲もない自己紹介に贈られる万雷の拍手に結縁は顔を真っ赤にし、うつむいてしまった。
「過剰に持ち上げないでください…」
『む、辱めてしまったか。申し訳ない。少し休むといい』
拝殿から降り、結縁のことを気遣うようにやさしく声をかける。
その言葉に素直にうなずくと正愛の肩に額を当て体重をかけた。
「…バトンタッチ」
「まあ、及第点か。仕方ない。助っ人の出番だな」
コミュ力を使い果たし、力尽きた結縁の代わりに目の前に立つ神様と相対する。
地につきそうなほど長い白髪に色素の薄い肌。整った端正な顔立ち。
まさに神様のように浮世離れした姿をしていた。
(さて、どうすればいいのか…)
結縁の手前、格好つけて助っ人の出番だなんてことを言ったが正愛とてどう対応するべきか困っていた。
もともと、神秘協会に所属していたため異形や神秘に驚くことはなかった。
しかしだ、神様は別だ。あったこともなければ今ですら心のどこかでどっきりなのでは?なんてことを考えている。今だって顔に出さないように我慢してるだけで内心ドキドキしている。
しかし、目のまえの男が神様であるのならば、と正愛は膝をつき、頭を垂れる。
「はじめまして、神様。暮雲正愛と申します。お目にかかれて光栄です」
『ほう。普通に挨拶できるものもいるのだな。下界では挨拶がなくなったのかと心配しておったところだ』
「ご安心を。挨拶のできぬものなどほぼおりません。いるとしたらそいつは学校でもぼっちで一言も言葉を発することなく帰宅するような奴だけでしょう」
「暮雲くん!?」
本当のことだ。
『面を上げよ。そうかしこまらなくともよい。余は神様と言っても八百万ではなくこの土地に住まうだけのただの土着神だ。大した力もない。言葉も崩せ。ただの友人と思い、語らえ』
「では、お言葉に甘えて」
正愛は立ち上がり、仰々しくまじめな表情も崩し、にへらといつものようにだらしなく笑う。
その様子を見て神様も嬉しそうにほほ笑んだ。
『名乗るのが遅れたな。余は珀。気軽に名で呼べ。して、今日は何の用でここへ?』
神様は名乗ると少し首を傾げ、正愛たちへと問うた。
ちらりと背後に隠れる結縁へと視線を向けるが結縁は無言でふるふると首を振る。
仕方ないと、ため息を吐き結縁の代わりに用件を伝え始めた。
『なるほど…。キュウビか。話は分かった。まず一つ。余はその妖に覚えはない。故に、主らが欲している情報は知らぬ。申し訳ない』
「いや、大丈夫だ。そこに関しては、ダメもとだったからな」
『そして、二つ目だが余の力を主らに貸すことはできない』
「ま、そうだろうな」
タマも言っていた通りで、正愛にとっても想定通りの返事だ。
故に動揺はなかったが、後ろの結縁は狼狽し服を握る手に力がこもる。
「落ち着け。むしろ、ノーリスクで力貸してもらえると思ってたんなら考えが甘いぞ」
「わ、わかってますけどぉ!わかってても実際に断れると落ち込むんですよ!」
「交渉は今からだぞ?落ち込む必要なんてない。請け負ったからには全力を尽くして、勝ちをもぎ取ってくるよ」
「暮雲くん…!」
期待のこもった視線を背中に感じながら、どうハッタリとブラフと嘘と出まかせをかますか考える。
「ちなみに理由を聞いても?」
『単純に主らに貸しだせるほど力のリソースがない。現状、余を信仰する者がなくこの神域を守るので精いっぱいだ』
これも想定内の理由。
タマ曰く、神様とは信仰によって力が上下する。
大きな神社などならまだしも、現在の無信仰の多い日本では地域レベルの土着神を信仰の対象としている人間は少ない。
「なら、リソースが増えれば問題ないってことだな?」
『いや、そもそもとして主らに力を貸す気がない』
「ほえ?」
これは想定外。
「…詰んだか?これ」
「さっきのカッコいいところはどこ行ったんですか!」
「まだここにいんだろ!主に顔!」
「せいぜい中の上ですよ!」
「リアルな評価が一番傷つくんだが」
ぽこぽこと可愛らしく正愛の背中を叩く。
たまに綺麗な一撃が入って痛い。
「な、なんで貸して…もらえないんでしょうか?」
『余には主にキュウビを倒せると思っておらぬ』
「確かにあれを見た後だとそう思うかもしれないけど強いぞ、こいつ」
「あれって…まあ、確かに少し……ほんの、ほーーーーーんの少しだけ醜態はさらしましたけど…」
あれを少しと言い切るのか。
珀は少し考えこんでから奥の拝殿へと結縁と正愛を招いた。
『しばし待て。茶を入れる』
そう言って奥へと引っ込んだと思えばほとんど時間をおかずに手に湯呑をもって戻ってくる。
目の前に緑茶と湯呑いくつかの茶菓子を置かれる。
『和菓子は好きか?余は昔からよく備えてもらっていた故な。多少変わったとはいえ今でも忘れられぬ味だ』
「わ、私も!…和菓子は好きです」
「あんこじゃなければ」
『そうか!良い良い!おっと、話がそれてしまったな。長くなる故、姿勢を崩して聞いてくれ』
もとより胡坐をかいていた正愛はそのまま、正座をしていた結縁はその言葉を聞いて少し迷った後、おずおずと姿勢を崩した。
そして、過去を回想するかのように珀は語り始めた。
『余はキュウビという名を2度、聞いたことがある?』
「…どういうことだ?さっきは情報はないと言っていたはずだが」
『遥か過去の話よ。一度目は戦国のころ。二度目が江戸も終わりのころだ』
説明を求め、結縁のほうを見る。
「指定討伐対象は過去に似た異形がいた場合、名前は襲名されるんです。なので、過去にキュウビと呼ばれた異形がいたんだと思います」
『そうだ。そして、過去二度。キュウビは現れた時、少なくとも町を10は滅ぼした』
「!!?」
『被害は万にも及び、何百人という討伐隊が組まれ3日間の戦いの末ようやく倒れた。…余を信仰していたものも多く死んだ』
かつての友を悼むように目を伏せる。
「…そんな相手に」
『正直相手が悪い。逃げるだけなら主らならどうにでもなるであろう。一度、友として語らうことを許した相手。そんな相手に死なれては目覚めが悪い。若い命を無為に散らす意味もなかろう』
「それでも…!」
「タイム」
何かを言いかけた結縁の言葉をさえぎって、会話を止めた。
相変わらず不満のときばかり感情表現が豊富な結縁が頬を膨らませ視線で訴えかけてくる。
「お前、なんでキュウビ倒したいの?」
正愛の質問に言葉が詰まる。
結縁の返答を聞く前に正愛は続けた。
「俺は単なる仕事でキュウビを倒そうとしてるなら、神代さんが危険な目にあってまで戦う必要はないと思う。だから、理由がないのなら俺はここで降りる」
それは正愛の本心であり心からのやさしさと心配だった。
結縁はすぐには口を開かなかった。いや、開けなかった。
己の中に理由はある。しかし、言葉にしようとすれば途端に拙く、陳腐になる。
一つ一つ深い湖から丁寧に掬って濾して、紡いでいく。
「…最初はただの仕事です」
静かに、それでも今までと違ってはっきりとした声で語り始める。
「自分で言うのもなんですが、私はそこそこ強いので回ってくる仕事の相手も必然、強敵になります。それは、私以外にできないから。でも、義務感じゃなくて」
たどたどしくも間違えないように一歩一歩。丁寧に。
「手が届く範囲にいる人に危険が迫ってるのに、逃げられないんです。手が届くなら掴まれなくとも差し出したいんです。…助けたいんです。目の前で困ってる人を見過ごせるほど強くないんです。だから、危険でも立ち止まってるくらいなら飛び込みたいんです。そうとしか生きられないんです」
結縁の瞳はいつものように不安に揺れることはなく確固たる決意を宿している。
「それが理由です。…私が戦わなくてはいけない理由です」
かつて、似たようなことを聞いた。
『俺の手が届く範囲は助けてやりてえんだ!たとえそこが危険だとしても、立ち止まってるくらいなら飛び込まなきゃな!』
かつて、そう宣った男がいた。後先考えず人を助け、その結果、命を落とした男が。
それはまるでヒーローのような生き方でこの世で一番、正愛が嫌悪する生き方だった。
だからこそ、決めた。
「珀。交渉だ。神代さんが生き残るために力を貸せ」
『…本気なのだな?』
「「当たり前!」です!」
二人の本気にとうとう珀は根負けし、交渉の席に着いた。
『あるものを探してほしい。かつての余の宝だ』
*
『戻ってきたか』
「いい子にしてたか、猫助。どれ、ご褒美にチュールを買ってやろう」
『ぬけさくが。よこすならもっといいものをよこしやがれ。てめえが食たことないレベルの肉とかよ』
戻って早々、正愛とタマは皮肉を掛け合う。
『で、結果はどうよ』
「まあ、なんとかな。詳しくは家で神代さんに聞いてくれ」
珀の神域から出た時にはすでに夜になっており夜空には煌々と星が浮かんでいる。
今日は解散ということになり、最寄り駅へと向かう。
「暮雲くん」
無言の道中、先を行く正愛にふいに結縁が声をかける。正愛は振り返らず返事をする。
「なんで、最後こっち側についてくれたんですか?」
「そーゆう約束だったろ」
「降りるって言ったじゃないですか」
作戦だとか、珀を欺くための作戦だとかいくらでも誤魔化しようはあった。
しかし、なんとなくそれをする気にはなれなかった。
「死にそうだったからだよ。神代さんは周りの人を助けて自分が死ぬヒーローがいたとしてどう思う?」
「…とても悲しいと思います。それと、同時にすごいと思いますし、尊敬します」
「俺は反吐が出る」
対極の感想に思わず声が漏れる。
理解ができないと言いたげな結縁の顔を見て、正愛は視線を逸らす。
「ヒーローがみんなを助けて死んでそれで悲しいけどハッピーエンドなんて現実はそう甘くないし、優しくもないんだよ」
純恋はそんな正愛のことをヒーローアンチだなんて揶揄したが本質はそうでない。
大事なものを差し置いてまでそれは助ける価値があるのだろうか。
それが、正愛の抱える歪みだった。
「…話過ぎた。忘れてくれ」
「忘れません。絶対に」
「好きにしろ」
正愛の抱える歪みは結縁にはわからなかった。
それでも、助けてくれた理由としていつかわかりたかった。
「じゅあ、気をつけてな」
少しだけ別れを惜しそうに結縁は目を伏せる。
正愛は一瞬の逡巡の後、手を中途半端に上げ、少し照れ臭そうに眼をそらした。
「……また、明日な」
「…っ!はい!また明日!」
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