第2話 やさしさ
夜だというのに昼間だと錯覚しそうなほどの炎が周囲を包む。
獅子の怪物が炎を割るように悠然と歩いてくる。
その傍らには醜悪なほどの悪逆に満ちたにやけ面を浮かべる男。
『ほう、子供だというのに随分と優秀だ。仲間を守れなかったとはいえ君だけはまだ生き残っているなんて。君の盾はとても固いようだ』
声が出ない。震えも止まらない。
目の前の男相手に闘志を燃やすことも敵意を向けることもできない。
とうに心が折れていた。
凶爪が友の腕を抉った。業火が友の顔を焼いた。
自分の力があれば守り切れると思っていた。
それが無力な子供の思い込みで、傲慢で、勘違いだとこの状況になるまで気づけなかった。
『…心が折れたか。無理もない。大人でもかなわないというのに。そんな戦いに子供が割り込むべきではない。運が悪かったね』
『ま、まだ…』
『無理をするものではない。君が私に立ち向かうというなら私は一切の躊躇も逡巡も手加減もなく君を蹂躙する。君が死ぬのに3秒とかからないだろうな』
辛うじて絞り出した勇気と言葉は何でもないことを話すような男の声にあっさりとかき消された。
「うん。僕は基本的に人間が嫌いだけで物分かりのいい子は好きだ。すべてが終わるまでそこで呆然としておくといい。なに、君が恐怖に怯え他人を見捨てようが強大な敵に屈しようが恥じることはないんだ。他人はどこまで言っても他人だからね。命を投げ出してまで守る価値はない。君は英雄じゃない。世界の救世主なんかじゃないんだから」
その言葉を否定したかった。俺は英雄だと。世界も仲間も全部この手で守ると叫びたかった。
男は目の前の少年が沈黙するのを見て、満足げに笑う。
『行こうか、キマイラ』
勝利の咆哮が炎夜に響き渡る。
正愛はただ怪物たちが立ち去るのを怯えて待つしかできなかった。
立ち向かうことも命をかけた仲間に続くことすらできなかった自分にこれ以上、仲間と名乗る資格があるのだろうか。
数分して協会のレスキュー隊が駆けてくる。
そこからはあまり覚えていない。ただ、あの日から協会に行くことはなくなった。
恐怖から逃げ出したことだけは確かだった。
「…チッ。嫌な夢だ」
忘れていた過去の話。
とっくのとうにごみ箱へと捨てたはずのなかったことにしたい話。
正愛は夢の話を、それを思い出した一因であろう昨日のことを忘れようと首を振る。
「兄さま、起きていますか?」
「ああ。愛沙おはよう」
「おはようございます。朝食の準備も済んでおりますのでどうぞリビングのほうに」
愛沙に返事を返し、手早く制服に着替えリビングへと向かう。
「どうぞ、兄さま。お好きなおにぎりをお選びください」
「えっと…愛沙さん?やっぱり怒ってます?」
いつもなら白米に焼き鮭、卵焼きなど色とりどりの朝食が並んでいる食卓には今はコンビニのおにぎりが所狭しと積み上げられている。
「怒ってませんよ。兄さまは嘘をついてまでコンビニで食事を済ませるほどコンビニのご飯が好きみたいですので。どうぞ、お召し上がりください」
完全に怒っていた。
これもそれも結愛のせいなのだがそれを言えばさらにこじれるのは目に見えている。
今はこの怒りに耐えるしかないのだ。
「おはようございます、先輩。って、すごい量のおにぎりですね。どうかしたんですか?」
「兄さまはどうやら、私の作るご飯よりコンビニのご飯のほうがお好きみたいだったので」
「先輩なにやらかしたんですか?」
「長くなるんだが、聞いてくれるか?」
「いえ、めんどくさそうなので大丈夫です。巻き込まないでくださいね?」
「純恋?先輩が困ってるよ?助けてくれてもいいよ」
「いえ、大丈夫です。外で待ってますのでご飯食べ終わったら出てきてくださいね」
最後の希望もするりと逃げて行った。
*
「それで、なにしたんですか?愛沙ちゃんが怒るなんて相当ですよ?」
「分かってるよ…。でも、俺にも事情があってな」
純恋の言うことも分かる。愛沙の言い分ももっともである。悪いという気持ちもあったので愛沙のネチネチ攻撃も甘んじて受け入れた。
その上で、正愛は自分の言い分もあり、それも聞かずに怒っている愛沙に不満があった。
「…言い分は分かりましたけど、ご友人のことは愛沙ちゃんには関係ないですし、やっぱり先輩が悪いですよ」
「…友人?いや、あれを友人とは…」
「そこに引っかからなくていいですから。素直に謝ったらどうですか?どちらにせよ長引くとは思いますけど何もしないよりかはいい結果になると思いますよ」
それでも、納得のいかない正愛に呆れたようにため息をつく。
経験上、頑固な正愛がこうなると素直に言うことを聞くことがないのは分かっている。
こういう時は、いつもなら星礼奈先輩に頼るのだが生憎のインフルエンザ。来週まで学校に来ることはない。
よく遊びに行く友人兄妹が喧嘩してるのは純恋としても放っておけることではない。
「じゃあ、あくまで和解、って形で贈り物でもするのはどうですか?いつものお礼にもなりますしいいんじゃないですか?」
「まあ、それなら」
和解とは言うものの実際のところ、先に非を認めるのは正愛という形になるので謝罪するのと変わりはない。
後輩は先輩の扱いを心得ていた。
「じゃあ、せっかくなのでショッピングモールにでも買い物に行きましょう。放課後は空いてますので、どうですか?」
「いいよ。ついでに、クリスマスパーティー用のプレゼントも見繕ったかなきゃだしな」
「そうでしたね。…真白先輩は用事とかあるんですか?」
純恋の質問につい先日、荒ぶり、クリスマスを憎み、世の全てのカップルが爆発することを祈っていたどうしようもない先輩のことを思い出す。
「ぜってーない」
「真白先輩も可愛い年頃の女の子なんですから予定の一つや二つくらい…」
「ぜってーない」
「そ、そこまで断言します?」
あの無様な姿はよく見ている。毎年、クリスマス時期に現れる今年も24日に予定をいれることができなかった男に酷似していた。つまりは、去年までの俺。
「まあ、予定がないならちょうどいいですね。せっかくですし、真白先輩も誘いましょうか」
「いやだ。あの人にはクリスマスぼっちで過ごしてほしい。周りに俺より下がいてほしい」
「まっすぐな目をして最低なことを言わないでください」
「そーだよ!僕だって純恋ちゃんのケーキ食べたい!可愛い女の子とキャッキャしたい!」
いつの間にか横に並んだ真白が純恋のツッコミに乗じてブーイングに入れる。
「流石、先輩。一切存在を感じさせず横に並ぶ高等技術。影の薄さに涙が出そうです。教室で身につけられたんですか?」
「超失礼。僕だって教室で口を開くことくらいあるよ」
「『う』と『ん』だけでしょ?そんなん話したうちに入らないですよ?」
「失礼な!『あ』と『の』も使うよ!」
「それで、話せる単語うんとあのとアンノウンだけですけど会話できてますか?」
正愛の言葉になぜか誇らしげにチッチッチと指を振る。
「甘いよちか君!純恋ちゃんがクリスマス作ってくれるであろうケーキより甘い!私レベルになると話しかけられることもないし、話しかけるときも席をギャルが陣取ってる時くらいだからね!私とクラスメイトの間に言葉など必要ないのだよ」
「言葉など必要ないってここまでマイナスな意味で使うことできるんだ。あれ、涙が…」
「大丈夫ですか?私、毎休み時間に会いに行きましょうか?お昼も一緒に…」
「本気で悲しまないで!ぼくも泣きたくなるから!」
まさかのぼっちエピソードに涙が止まらない。
真白もアハハと自虐気味に笑う。
「先輩、これは可哀想ですよ。さすがにクリスマスくらい…」
「それとこれとは別!どうせ先輩だって推しの声優ラジオとかVtuberのライブとか見るんだからクリスマスは悲しくない。むしろ、予定を入れるなんてクリスマスまでファンのために配信してる推しに失礼だ、って言ってる人だから。ね、先輩?」
「………」
真白は急に歩みを止め、無言で数秒たった後、膝から崩れ落ちる。
「強がってましたぁ!推しへのリスペクトなんかより充実したクリスマス過ごしたい!友達とケーキ食べたり、プレゼント交換したりしたいよぉぉぉぉぉぉ!」
周りからの白い眼なんか気にせずにつらつらと懺悔のような、後悔のような独白を続ける。
純恋の真白を見る目はすでに慈悲から哀れへと切り替わった。
「……もちろん、僕を呼べばメリットはあるよ」
「ほう?聞くだけ聞いてあげましょう。まあ、俺を納得させるなんてポンコツな真白先輩には無理でしょうけどね」
「それはどうかな?」
真白は先ほどのみじめな雰囲気から一転し、不敵に笑う。
それは、唯一と言える交渉カードにして、恐らく正愛に対して絶大な効果がある切り札。
「君は…コスプレが好きかね?」
正愛を挟んで反対側にいる純恋には聞こえないほどの声量。
だというのに、正愛は耳元で叫ばれたような衝撃をその一言に受ける。
「いや、いい。君も思春期だもんね。答えるのは恥ずかしいだろう。だから、答えなくていい。想像してくれたまえ。純恋ちゃんのちょ――――――――ッとだけえっちなサンタのコスプレを」
瞬間、正愛は想像してしまった。
冬だというのに過剰なほどに露出された艶めかしい素足を。
普段は隠されてるクリスマスの解放感に伴って短くなった丈からちらりと見えるおへそを。
同年代と比べると圧倒的に豊満な胸を。
真っ白な肌に映える赤と上気し赤く頬を染める純恋の姿を…。
「ハッ!しまっ…!」
「想像したな!?君にあらがえるか!?その欲求に!?普段は得ることのできないチャンスに!」
「くっ…!なんて手札を隠し持っていやがったんだ…!」
「フハハハハ!さあ、どうする?プライドを捨て、欲望をとるか?それとも意地を張るか。どちらを選んだとしても楽しめそうだ」
悪役のように大仰な身振りで高笑いを上げる。
正愛は苦渋の選択を迫られる。
「…茶番ですね。どうせ最終的に参加を認めるんですから」
「でも、素直に認めるのはなんか悔しい」
「それに、サンタのコスプレくらいなら着てあげますよ?」
「「え?」」
揃いも揃って間抜けな声を上げる二人。
おずおずとスマホの画面を見せる真白。
「こ、こんなのだよ!?私が着ても多少谷間が見えるのに…」
真白の胸も小さいわけではなく、平均的なサイズではあるが純恋と比べればつつましやかになってしまう。
だから、人前で自分の胸をもむのはやめてほしい。
「いいですよ。他の男の人に見せるわけでもないですし。家の中なので寒さもそこまででしょうし」
「一応、俺いるよ?」
「先輩になら下着姿くらいまでなら見せれますよ?もちろん、責任はとってもらいますけど」
「わーおもーい」
「メンヘラとは違うタイプの愛の重さだね。ちょっと怖い」
「冗談に決まってるじゃないですか。ほら、学校に遅れますよ」
話を切り上げ、学校へと向かう。
「実際どう思う?脱いでくれると思う?」
「ちなみに本気のお願いを断られたことないです」
「ごくり…」
「ちょ、目キマッてますよ?まじで、当日変なことしたら出禁にしますからね?」
「ねえ、さっきのよりスカートミニにしても着てくれると思わない?」
「……」
正愛は無言でゴーサインを出した。
*
教室に着いてからもSNSで真白と正愛は純恋に着せるサンタコスについて会議をしている。
短ければ短いほどいい派の真白。
チラリズムこそ至高。その上で絶対領域こそ正義派の正愛。
『だから、短いスカート丈でパンツが見えるのを気にして恥ずかしそうに裾を抑えてるのがいいんだよ!!』
『いいえ、短ければいいなんていうのは童貞の考えです。普段、見えてないのが一瞬でもいい!チラリと見えるのがいいんです!』
『タイツは?』
『趣味です。白か網で』
『変態』
『真白先輩にだけは言われたくない』
不毛な争いを一度終え、放課後のディベートに向けて真白の牙城を切り崩すためのネタを探すためスマホをいじる。
教室にはまだ半分ほどしかクラスメイトは来ていない。
ふと、教室を見渡した時にちょうど登校してきた結縁と目が合った。
ペコリと頭を下げようとして、逡巡し何もなかったことにして自分の席へとついた。
律儀に昨日行ったことを守っているのだろう。
「目が合ったクラスメイトに挨拶くらい普通だと思うけどね」
自分で突き放しておいてそんな言葉を呟いていた。
クラスメイトが揃い、朝礼で先生が連絡事項を伝える。
一限目はそのまま担任の担当教科なのでそのまま授業が始まった。
正愛の席は窓際の後ろから2番目。結愛は真ん中の列の前から2番目だ。
板書だけはしっかり行いつつ、合間になんとなしに結愛の様子を見る。
成績優秀なだけあって授業態度も真面目な結愛だが今日の結愛は様子が違っていた。
コクリコクリと舟をこぎ、夢の世界へと旅立とうとしている。
「神代。…神代」
「…ッハイ!」
「珍しいな居眠りなんて。遅くまでドラマでも見てたか?」
「す、すみません…」
罪悪感と羞恥の入り混じった声音でか細い反省を紡ぎ、着席する。
しかし、反省とは裏腹に数分後、結愛はまたコクリコクリと舟を漕ぎ出した。
「……」
2時間目、3時間目も様子を見ていたが眠気は収まらないようでノートの文字は乱れ、新しい言語を形成している。
「なにしてんだ、あいつ…」
授業終了を告げるチャイムが鳴った。慌てて顔を上げ、板書に移る結愛だったが黒板を向く先生は気がつかずに消してしまう。
「そういえば、次の授業自習になったからな。静かにな~」
4時間目が自習になり昼休みが長くなったと購買に走る人、弁当を開く人と様々だ。
正愛もノートを数冊もって教室をでた。
図書室で数枚をコピーを取り、ついでに購買で昼食代わりのパンを買って教室に戻ってくる。
とっくに授業は始まっているが、多くの生徒は自分の席につかず友人と談笑を楽しんでいる。
そんな中、教室の前方には周囲のクラスメイトに声をかけようか迷い、狼狽する結愛の姿があった。やはり、ノートを見せてもらうために声をかけられなかったみたいだ。
「ん」
コピーを机の上に置き、結愛の返答を聞く前に自分の席につきイヤホンを付けた。
視界の端で結愛があわあわと困惑してるのが見えた気がするが見なかったことにして目をつぶった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます