謹慎四日目は家庭教師

 噴水広場に来た。

 あいつはいないようだ。

 やっと平穏を手に入れたんだ。今日はゆっくり感傷に浸ろう。


「わたしがいなくて寂しそうな顔をしてたわね」

「やっぱいんのかよ。もう頼むから消えてくれよ」


 背後から声をかけられて振り返れば、忌まわしきいじめっこローズの姿がそこにあった。


「そんなに嫌ならここに来なければいいのでは?」

「お互い様だろ」


 家じゃ家族も冷たいし、学校に行けないから友だちとも会話できない。認めたくない話だが、この孤独感を埋めてくれるならもうローズでもいいやなんて思ってしまっている自分がいる。人間とはずるい生き物だ。

 サヤが見たら悲しむかなぁ。


「はぁ。人生しょっぺぇ」

「ほんと、しょっぺぇわ」


 今日も八百屋の声はでかいし、ランチの奥様方は近所のゴシップばかり話している。

 楽しそうで何よりだよ、俺以外のみなさん。


「それにしても、ピンチね」

「何が?」

「何が、じゃなくて。謹慎期間が明けたらすぐに中間試験じゃない? 一週間分の授業ロスはかなりのハンディよ」

「お前成績とか気にすんのな」

「成績気にしないやつは、いちいちサヤとかいう田舎娘に突っかかったりしないわ」

「自分のことよくわかってんじゃねぇかお前」


 やれやれ、と頭を振るローズ。腹立つな。


「それで。あなた成績は大丈夫なの?」

「あー。多少は下がるかもしんねぇけど、気に病むほどじゃねぇな」

「……前回の前期期末は何位だったのよ」

「5位」

「ムカつくわ。死にさらしなさい」

「理不尽だなおい」


 自慢ではないが俺は勉強はそこそこ得意だ。いや、自慢だ。

 こんな頭の弱そうな令嬢さまと一緒にされては困る。


 ふと、焼きたてのパンのいい香りが漂ってきた。そこのパン屋からだろうか。あそこのパン美味ぇんだよな。「こんなのでいいのですか?」と、渋りながらも、よく使用人が買ってくれたものだ。


 そうだ。


「おい、ローズ。あそこのパン屋からおれの今日の昼食買ってこい。そしたら勉強教えてやる」

「仮にも名家の令嬢をパシリに使うとはいい度胸ね。別に、勉強なんか教えてもらわずとも自分で出来るのよ」

「お前サヤのことは奴隷みたいにこき使っといて、自分はやんねーのな」

「……うるさいわ。わかったわよ、買ってくればいいんでしょ?」


 ローズが立ち上がってパン屋のほうへ歩いて行く。



 ***



「二個だけかよ。ケチ」

「それ以上は食べ過ぎよ。一個一個が大きいんだから」


 ローズも自分の分のパンを購入したようだが、一個だけだ。

 なるほど、俺にケチを働いたというわけでもないらしい。


「小食なんだな」

「小食女子アピールじゃないわよ。勘違いしないで」

「あっそ」


 買ってきてもらったパンを囓る。オニオンの食感が楽しいガーリックパンだ。ピリッとしたスパイスがアクセントになって……。


「このパン、毒入れてないだろうな」

「今すぐパン屋の主人に謝ってくるといいわ」

「おぅ……。流石にわりぃこと言った」

「殊勝でなにより」


 これからの俺の人生、ずっと胡椒や山椒に怯えながら暮らしていくのかな……。

 なんて考えていると。


「勉強」

「?」

「約束通りパン買ってきたんだから。勉強教えなさいよ」

「ああそうか」


 言われて、バックの中からメモ帳とペンを取り出す。


「なんの教科がいい?」

「数学。苦手なの」

「たしかに。お前が数学得意だったらいじめなんて短絡的な行動しないもんな」

「喧嘩売ってんのね?」


 確か最近は自然対数をやっていたはずだ。

 ペンをメモ帳に走らせて解説を始める。


「――で、これがこうやって収束するから、この数をネイピア数って決めたわけ」

「収束って?」

「そっからかぁ」


 こいつ想像以上に馬鹿だ。きっと勉強する間も惜しんでいじめしてたんだろうな。


「もう無理だ。お前中等部戻った方がいいよ」

「諦めるのね。責任とるって言ったのに、甲斐性のない男」

「責任とるとまでは言ってないが!?」


 全く。なんで俺はこんなのに勉強教えてるんだ。

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