歪が覗く

筒井

街灯

 場所の特定に関わるような固有名詞は全て伏せてあります。


 町中では時々、落書きが書かれているのを見かけます。誰が書いたかもよくわからない落書きは、田舎なんかだと、ポストの裏とか、シャッター街の一角とか、至る所に見られますよね。それらの落書きのほとんどには意味なんてないですが、中には明確な意思がこちら側に向けられているものもあります。そんな落書きを見つけてしまったなら、その落書きの意味内容に深く立ち入らないことです。


 どうしてそんなことを急に言い出したのかと訝しく思う人もいるかもしれませんね。まあ、これから話すことを聞いていただければわかるでしょう。


 これは私の中学時代の友人から聞いた話です。聞いた、と言うか、私も体験したんですけど。


 その友人と私は中学で知り合いました。中学に入ってからの彼と私はかなりやんちゃなほうで、たまに学校をサボっていました。空いた時間に行くのはたいてい隣町のゲーセンか、同じく隣町のマックでした。私たちが住む町に、ゲーセンやらマックやらが無かったわけではないんです。ですが、


 「学校サボったときに近くの店に行くのはダメだ。大人は俺らのことをパッと見ただけで、D中の生徒だってわかるだろ?そしたら学校にばれちゃうんだよ」


 そう彼が言ったんです。勉強はできないくせに、そういう所は頭が回るな、と感心したのを今でも覚えています。


 そんな彼が最初にその落書きを見つけたのは、私たちが中学三年生になった年の五月のことでした。ゴールデンウィークが明けて暑さを感じ始めるような、そんな時期でした。


 「K公園にさ、変な落書きがあったんだよ」


 彼は私にそう切り出しました。学校の帰り、自転車で河川敷を併走しながらだったと思います。彼が言うには、彼の通学路の途中にあるK公園の街灯に、


  お前


 と書かれていたそうです。それは大人でも手の届かないような高い位置に、赤黒い字ではっきりと書いてあったというのです。


 「誰に向けて書かれたものなんだろうな。俺は昨日たまたまあの文字を発見したんだから、俺のことじゃないと思うけど」


 そう言う彼は、その落書きのことを不思議がっていましたが、特に気にする様子がなく、その日は私も気には止めませんでした。


 しかし次の日の放課後、彼が話し始めたのはまた街灯の落書きのことでした。


 「俺昨日も街灯を見にいったんだけどさ、あの落書き、文字増えてた」


 そう言う彼は、奇怪な現象を前に、どこか楽しそうでした。彼は、何か楽しそうなことがあるとすぐに調子に乗るやつだったんです。


 「なんて書いてあったんだよ?」


 「お前、ってやつの下に、今度は『危ない』って」


 お前 危ない


 この内容に私は少し気味の悪さを感じましたが、彼はむしろ興味を持っているようでした。そして彼は、今からK公園に付いてきてほしいと言うのです。


 「絶対またなんか文字が増えてるって。あれは俺に対するメッセージなんだよ、きっと」

 

 「誰からメッセージが来るんだよ」


 「それはわかんねえけど」


 私は、得体の知れない文字に興味を示す彼のことが理解できませんでしたが、結局公園には付いて行くことにしました。


 私たち二人は、普段は別れるはずの交差点を一緒に曲がり、公園へ向かいました。日は暮れて、あたりはすっかり暗くなっていました。田舎は街灯が少なく、夜は言葉通り真っ暗闇になってしまうんです。


 五分ほど自転車を走らせると、K公園が見えてきました。K公園は二、三個の遊具と街灯以外目につくものがないような、こじんまりとした公園です。目に入った街灯は冷たい光を放ち、真っ暗な中に青白い空間を浮かび上がらせていました。


 自転車を公園の入り口に停め中に入ると、右手の暗い空間にブランコが見えました。しばらく誰も使っていないのか、ブランコの座板が薄汚れているのがぼんやりと見てとれました。


 普段夜に公園に来ることがない私が辺りを見回している中、彼は私の横を通り過ぎ街灯の下へ歩き始めました。


 「ほら、文字が見えるだろ」


 街灯に近づくと、彼が言うように確かに赤黒い文字が書かれていました。上から、「お前」、「危ない」と書かれているのが、街灯の青白い光に照らされてはっきりと見えます。そして、そのさらに下に、一際はっきりと、文字が書かれているのが見えました。


 「後ろ…?」


 私がその文字を読み上げるのとほぼ同時に、一歩前に立っていた彼が、バッと後ろを振り向きました。


 彼はじっと何か一点を見つめていました。彼が見つめていたのはおそらくブランコでしょう。後ろのブランコから金属が擦れるような音が聞こえてきたのです。そこに何かが座っている、そう直感しました。

 

 しかし、私はその「何か」がなんだったのかは今でもわかりません。私が彼に続いて振り返ろうとした時、街灯が、バチン、と音を立てて消えたんです。私もブランコに目を向けたのですが、暗さに目が慣れず視界には暗闇以外何も映りませんでした。


 そこからのことはあまりよく覚えていません。ただ、必死に自転車を漕いで自分の家に逃げるように走ったような気がします。その時の私は本能的に、逃げなければいけない、と考えたのでしょう。家に帰った私は公園においてきた彼のことが心配でした。


 しかし次の日、彼は学校に現れました。廊下で彼の後姿を見て安心し、私は彼に声をかけました。


 「おい…」


 私の声に彼は反応しません。彼の肩を掴み、私は強引に彼の体をこちら側に向けました。そして彼の顔を見て絶句しました。


 彼の顔には表情がなかったのです。彼は歯を食いしばって一点を見つめているだけでした。目は私を見ておらず、焦点があっていませんでした。その顔にゾッとして私はしばらく何も言えませんでした。


 学校の朝のチャイムが鳴りました。それを聞いてか、徐に彼が口を開きました。


 「アレヲミタカ」


 抑揚のない声でそういったと思います。その声が「あれを見たか」と言っているのだと気づくのに少し時間がかかりました。


 「あれってなんだよ?」


 彼は私の返答に答えず、急に走り出しました。


 「おい、待てよ」


 彼は廊下を走り、階段を駆け降りて行きました。


 彼が去った後、私は彼が置いていった荷物や彼の机を見て言葉を失いました。その全てに「お前」とびっしりと書いてあったんです。



 その後彼がどうなったかって?行方不明になりましたよ。捜索活動も何度か行われましたが、めぼしい手がかりすら得られませんでした。

 

 なぜ彼があんな風になってしまったのか。しばらくはわからなかったのですが、私なりに彼の行方を探している最中、なんとなく理由が見えてきたような気がしたんです。

 夜、あの公園に一人で訪れた時です。街灯を見てびっくりしました。まだ落書きが残っていたんです。そして「お前 危ない 後ろ」の後にひとこと追加されていました。


 見るな


 『お前 危ない 後ろ 見るな』と書かれた街灯は、青白い光を放ち直立しているだけです。しかし後ろからは異様な存在感が感じられました。ああ、そうか、今後ろにいる”何か”は見てはいけないものなんだ、と納得しました。彼はそれを見てしまっただけ。それだけの話だったんですね。


 以上が私が体験した話です。なんだか後味の悪い話で申し訳ないです。でもこれでわかったでしょう、落書きは時に思わぬ形でこちらに干渉します。皆さんもどうか気をつけてください。

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歪が覗く 筒井 @tsutsuioki

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