第4話 村を畳む夜
空を渡る稲光は、星々を押しのけるほど鋭かった。雷鳴は届かない。音を持たぬ光は、ただ空間の縫い目を焦がしていく。俺の《糸》が微かにきしみ、指先がしびれた。
「来るぞ」
ユナの声は震えていたが、決して怯えてはいなかった。彼女もまた、村を護る覚悟を決めている。
◇
村を《畳む》作業は続いていた。
俺は井戸を中心に放射状の糸を走らせ、それぞれの家、畑、倉を結んでいく。結び目ごとに村人が立ち、縄を握り、杭を打ち、呼吸を合わせて「重さ」を与える。
《畳縫い》は単なる幻術ではない。暮らしの痕跡そのものを糸に縫い込み、外部からの追跡や侵入を“迷い”へ変える技法だ。
村人が薪を運ぶ音、鍋をかき混ぜる匂い、子どもの笑い声――それら全部が糸の強度になる。
「本当にこれで、村が隠れるのか?」
若者の一人が額の汗を拭いながら問う。
「隠すんじゃない。畳むんだ」
俺は答える。
「外からは普通に見える。でも歩けば歩くほど、同じ場所に戻る。辿り着けない。……それが俺のやり方だ」
村人たちは頷き、再び手を動かした。
◇
だが、その時だった。
門の外に、白い影が立った。関節の逆な人影――《使徒機》。
「人の形を真似ているのに、歩き方が均一すぎる……」
ユナが息を呑む。
俺の糸が触れた瞬間、理解した。あれは生身ではない。祈りと機械を掛け合わせ、命令だけで動く“神官機”だ。
「《黒紡会》の本命か」
俺は針を握る。
使徒機は無言のまま一歩踏み出した。大地の糸がざわつく。存在そのものが縫い目を汚している。
「ユナ、風の層を二重に。村人は全員家の中へ!」
「了解!」
短杖が鳴り、空気が厚みを持った。
俺は《全域補助》を展開する。村全体を一枚の織物に見立て、畑の根、井戸の水脈、屋根の梁までを一本の糸で束ねた。
村が俺の体になり、俺が村の神経になった。
◇
使徒機の胸の徽が回転を速める。八弁の矢じり花が光を放ち、空気を裂いた。見えない圧が糸を断とうと迫る。
「……強い」
俺は即座に《緩衝糸》を張り巡らせ、力を分散させる。だが圧は止まらない。村の家々が軋み、窓が割れ、井戸水が跳ねた。
「リオ!」
ユナの声に応え、俺は新たな糸を紡ぐ。《代替経路》――圧を村の周囲に流し、森の奥へ逸らす。木々が爆ぜる音が轟き、鳥が一斉に飛び立った。
「次は、こちらからだ」
俺は《張式・連鎖網》を展開。村の家々を結ぶ糸をねじり合わせ、巨大な網として使徒機へ叩きつける。
白い外套が絡め取られ、一瞬動きが止まった。だがすぐに徽が輝き、糸は焼き切られる。焦げた匂いが夜に漂う。
「効かないのか……!」
「まだ!」
ユナが風杭を打ち込む。使徒機は片腕を失いながらも、平然と立ち続けた。
◇
その瞬間、俺の中で直感が閃いた。
――あれは“本体”じゃない。糸に触れた感覚が薄い。偽物だ。
「ユナ、あれは囮だ。本命は――」
言いかけたとき、井戸の底から不気味な音が響いた。水が逆巻き、黒い糸が数本、地上へと伸びてくる。
「……下か」
俺は針を井戸へ突き立てた。《封縫い》を発動。黒糸を縫い止める。
だが黒糸は俺の補助糸を食い破り、逆に絡みついてくる。まるで飢えた獣のように。
「これは……《捕縫(とりぬい)》だ」
ユナの声が震える。「縫う者を縛り、力を吸い尽くす術!」
俺の腕に重みがかかる。糸が引かれ、視界が暗くなりかけた。
「リオ!」
ユナが必死に風で黒糸を裂こうとする。だが切っても切っても、井戸から無限に湧き出してくる。
――ここで負ければ、村は飲まれる。
俺は奥歯を噛み、最後の手を打った。
《全域補助》の糸を一度すべて解き、村の織物を畳み直す。村人の暮らしの重さを束ねて、一点へ集中させる。
「ここが、俺の現場だ……!」
針を深く突き立てると、井戸水が光に変わった。村全体の“重さ”が一点に凝縮し、黒糸を押し返す。轟音と共に井戸が裂け、白い蒸気が噴き上がった。
黒糸は悲鳴のような音を残し、煙となって消えた。残された使徒機は糸を失い、空虚な殻となって倒れ込む。
◇
静寂。
村人たちが家々から顔を出す。子どもが泣き、母親が抱きしめる。鍛冶場の若者が拳を握りしめる。
「勝ったのか……?」
「いや」俺は答える。
「これは始まりにすぎない。《黒紡会》は俺を“資源”として狙っている。必ず次が来る」
ユナが短杖を杖にして立ち、俺の隣に並んだ。
「なら、私も一緒に戦う。村も協力する。あなた一人に背負わせない」
「……ありがとう」
夜空を見上げると、稲光は消えていた。だが俺の糸はまだ震えている。
遠くの塔から、次の“縫い手”がこちらを見ている気配。
追放された雑用係は、村を守る盾となった。
だが戦いは、まだ序章にすぎない。
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