第39話【星の残響】
九条から真っすぐ北へ。
まだ眠りについている大通りを二騎、悠々と歩かせながら、瑞貴は星を見上げた。
「星の光も莫大な時を経て地上に届く。
だから、何か人の心が見えないと思っても、
直ちに絶望することは無いのだと思う。
陰陽道では、影響を及ぼすものは、影響を及ぼすこともまた出来ると教えられる。
未来を救うためには今もまた救わねばならないという、
お前の言葉はまさに真理を突いている。
だがその理論ならば、星の光を見上げる地上からも、星に影響を及ぼせる」
「地上の人間が、星に影響を及ぼすのですか。
瑞貴殿は考えることが大きすぎて捉えきれません」
溌春は少し笑っている。
しかし、瑞貴はその笑いを受け止めたようだ。
これから命を脅かすかもしれない難敵に会いに行く前とは思えないような穏やかな表情で、溌春の方を振り返った。
「俺がそう思ったのはお前と
機才殿の言葉が亡くなったあとにもお前に届き、
その言葉がお前の歩みを助けたなら、
星と人が繋がることも容易く思えた。
そういうことだ」
白い吐息が空に溶けていく。
「俺は機才殿にお会いしたことがない。
だが、お前を見ていると少しだけ分かる気がする。
どうしてあの方がお前を特別な子供として見い出したのか。
やはりさすがは安倍一門で最も名を馳せた【
見る目は確かだな。
師を見れば弟子が分かる。
弟子を見ても師が分かるものだ」
瑞貴が言わんとしていることを溌春は察する。
「立派な主従関係もそうかもしれません。
夫婦や恋人同士も。
単に似ているということではなく、釣り合いを取る。
父親を見れば、この方の息子だなと思うことも。
兄弟もそうです。似てない兄弟もいれば酷似している者もいる。
ですが何らかの繋がりはやはり感じ取れる」
そうだな……、呟いた瑞貴は押し黙った。
◇ ◇ ◇
御所に戻って来た。
「……さっきの話だが。姉妹も互いの繋がりを感じさせるというのなら、
しかし俺にはまだ、音羽という女の狙いが見えて来ない。
あの女が常葉殿にいつから成り代わっていたのか、未だに自分の中ではっきりしないのが不思議だ。
常葉女御は穏やかなご気性で、入内なさってから天帝の寵愛を受けながらも、長くお子が出来なかったが、それで悩むような素振りを一切見せず、天帝を支えられることに尽くしておられた。
犠牲を出しても何かを得ようとする音羽とは、真逆であるように思うのだが。
鏡に映るほど似ていたという二人の女……俺は何故音羽の悪心をここまで見抜けなかったのだろう」
実は陰陽道には確かな術だけではなく、要するに【
それほど人畜無害な人間と、悪意を抱いた人間というものは空気も、纏うものも違う。
今にして思えば、いかにも怪しげな暮らしをしていた
つまり瑞貴は溌春の悪心や邪念を嗅ぎ取らなかったから、さほど強く警戒しなかったのだろう。
また陰陽師は同じ術師も嗅ぎ分けられることがあった。
名乗りをあげたり、術を行使せずとも、術師は普段から術に関わっているだけで、そういう痕跡が残っていることがある。それを意図して隠そうとしても、また同じことだった。「隠す」という行動は人間の動作の中では最も不自然な行動なので、鋭い術師はそうされるだけでも察知出来る。
「蛍姫が、安倍機才殿と過ごしていたこと……あの部屋のことを語らずいたことを、お前も私も察知出来なかっただろう」
「はい。私は蛍殿とは長い付き合いの分類ですが、全く少しも気づいていませんでした」
「いや……特別お前が鈍いというわけではないのだと思う。蛍姫は恐らく、語らずにはいたが、お前にそのことを隠そうとは全くしていなかったんだ。お前と機才殿が、話し合えないまま死に別れたことも知っていたし、お前の場合
溌春は表情を緩めた。
「……そうかもしれません。蛍殿は、家ではああいう絵も一度も描いたことがない。
私なら描くのを許してくれるかもしれないとは仰っていましたが、嫌われるかもしれないとも言っていた。私に気を遣っていただけで、あの方の場合隠し事ではないから……」
「術師はそういう道理を守っているものは、何も無い所から感知は出来ない。
しかし
私はあの女と懐妊後も幾度か会っている。何故見破れなかったのか……。
……まあ、自分より力ある術師の術は、見破れないこともある。
今更そのようなことを嘆いても始まらぬが」
瑞貴の私邸がある
連なる安倍家の屋敷から、白み始めた回廊を一人の女性が歩いて来る。
「姉上」
やってきた瑞貴の姉、
「先ほど、
「それは、わざわざ申し訳ありませんでした。ありがとうございます」
「まあ……貴方たち、街の方へ行ったのだと思ったらそんな衣に泥を付けて……どこで何をして来たのですか」
女性にこのような刻限に墓を少々掘り起こして来たなどというのは憚られ「少し所用がありまして」と二人は誤魔化した。
「着替えて、少し休みなさい。今日は夕刻、天帝お招きの管弦の宴があります。瑞貴、貴方も笛を吹くのでしょう? 寝不足で笛を間違えたら恥をかきますよ」
瑞貴が笑った。
「そうですね。宴には懐妊されている
「そういうことです」
「では数時間休んで来よう。溌春、お前もだぞ。蛍姫も宴に呼んだのだろう。宴の最中居眠りしたら、どんなに温和な女でもお前の腕を抓るからな」
「分かりました。では、少し失礼いたします」
歩き出して、溌春は思い出した。
「
「良いものがありますから、後で
「ありがとうございます」
「水仙か。それはいい。あの方らしいな」
瑞貴が微笑む。
彼はまだ明けぬ白霧の中、水仙の庭に姿を現わした蛍を見た時のことを思い出していた。
瑞貴はあまり普段驚くということがない青年だったが、
あそこまで驚いたことは初めてだったかもしれないと自分でも思った。
近づいて来る『もの』がなんなのか、全く捉えられなかった。あんなことは初めてなのだ。
「『天にあるを天仙、地にあるを地仙』」
「……『水にあるを水仙という』」
歩き出して、歌うようにそう言った瑞貴に、すぐ溌春が言葉を合わせた。
瑞貴が少し声を出して笑い、回廊の向こうへと去って行く。
◇ ◇ ◇
「溌春さま」
振り返り、彼女は溌春の姿を見ると安堵した表情になる。
溌春は歩み寄った。
「蛍どの、休んでいて良かったのですよ」
「ちゃんと休みました。でも目が覚めてしまって。溌春様がもうすぐ帰って来るかと」
溌春は笑い、彼女の身体を優しく抱きしめた。
蛍は溌春の肩に頬を寄せて来る。
「まあ、冷たい……」
外の冷気にすっかり晒された溌春の身体に彼女はそう声を出したが、すぐに温めるように背を撫でて来た。
蛍の柔らかい、温かな体を感じると、溌春はすっかり忘れていた眠気をようやく思い出せた気がした。
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