革命は校則違反から始まる

天上天下全我独尊

第1話『規制だらけの教室』

 教室の窓から差し込む朝日は、柔らかく優しいはずの光を、無数の感情制御バンドに反射させてキラキラと不気味に揺らしていた。白い光線が教室全体を覆い、まるで監視の網のように張り巡らされた空気を強調する。

 生徒たちは皆、机に向かって座り、顔に強制された無表情を貼り付け、ノートを睨みつけている。誰もが呼吸を浅くし、心の奥底で蠢く感情を必死に抑え込んでいる様子が、微かな肩の震えや、時折漏れるため息から見て取れた。

 壁に貼られた校則のポスターは、巨大な文字で生徒たちを威圧するように宣言している。


「怒るな、喜ぶな、恐れるな、悲しむな――」


 この言葉は、ただの標語ではなく、文字通り心を縛りつける鎖だった。学校のルールは、感情制御バンドを通じて強制され、わずかな感情の揺らぎでも警告音が鳴り響き、罰則が課せられる。生徒たちは日々、この無感情の仮面を被って生きることを強いられていた。


 カイは机に肘をつき、視線を下に向けていた。表面上は無気力な生徒の典型のように見えるが、内心では激しい怒りがくすぶっていた。心臓の奥底で、炎のような熱が燃え上がりそうになるのを、彼は感じ取っていた。けれど、そんな感情を顔に出すわけにはいかない。

 バンドのセンサーが反応すれば、即座に警告音が鳴り、強制的な抑制薬が注入される。カイはこれまで、何度もその苦痛を味わってきた。針のような痛みが体を貫き、感情を強引に押しつぶす感覚は、魂を削られるようだった。


「今日も、黙ってやり過ごすしかない……」


 そんな思いを胸の奥深くに押し込め、カイはノートに意味のない線を引くふりを続けた。クラスメートたちの視線が時折彼に向けられるが、誰も声をかけない。皆、互いの感情を恐れ、距離を置いている。教室の空気は重く、沈黙が支配する中、カイの指先が微かに震えていた。それは、抑えきれない怒りの予兆だった。


 だが、その静けさを突然破る者が現れた。教室の後ろの方から、荒々しい声が響き渡った。


「てめぇら、黙ってろ!」


 それはリクの声だった。教師に向かって叫んだ瞬間、リクは自分の感情制御バンドを無理やり引きちぎった。金属のバンドが床に落ちる音が、教室に不気味な反響を起こす。

 その瞬間、教室の空気がねじれるように歪んだ。まるで目に見えない波動が広がり、生徒たちの背筋を一瞬で冷たい何かが駆け抜けた。

 誰もが本能的に恐怖を感じ、凍りついた。息が止まり、目が大きく見開かれる。制御バンドが一斉に反応し、赤い警告灯が点滅し始めたが、すでに遅かった。

 リクの異能――それは「恐怖」を具現化する力だった。バンドを外したことで解き放たれた感情が、周囲に黒い影のようなものを生み出し、教室全体を覆い始めた。


「うわっ、なにこれ……!?」


 誰かの叫び声が教室中に響き渡る。

 それはパニックの始まりだった。生徒たちは次々と机の下に身を隠し、互いに身を寄せ合った。

 ある女子生徒は涙を流し、震える手で口を覆っていた。男子生徒の一人は、膝を抱えて体を丸め、歯をガチガチと鳴らしていた。教師さえも、顔を青ざめさせて後ずさりした。空気は毒々しい霧のように重くなり、息をするのも苦しくなる。

 リクの周囲から広がる黒い影は、まるで生き物のように蠢き、触手のように生徒たちに近づいていく。誰もが心の奥底で、原始的な恐怖を感じていた。それは、制御バンドでは抑えきれないほどの強烈なものだった。


 カイの心臓が激しく鼓動し始めた。胸が締め付けられるような感覚に襲われ、体温が瞬時に上昇した。


「――待て!」


 思わず声が漏れ、手が自然に動いた。指先に微かな炎が走り、細い糸のように空中を這い始めた。

 影はリクの恐怖が形となったもので、さっきまで穏やかだった教室の空気を、一瞬で毒々しい霧に変えていた。影は渦を巻き、蛍光灯の光を吸い込むように暗く染めていく。

 カイの炎は、それに向かって伸び、教室の中心で対峙した。


「みんな、下がれ!」


 カイの叫びが響く中、生徒たちは慌てて身を寄せ、怯えた視線を影に注いだ。

 炎はゆらりと揺れながらリクの暴走する周囲を包み込み、恐怖の渦を抑え込もうとする。火花が散り、机の表面がわずかに焦げ、黒煙が薄く立ち上った。

 蛍光灯が揺れ、教室全体が橙色の光に染まる。


 カイは息を詰め、リクの瞳を見つめた。その目に、ただの挑発ではなく――何か、仲間を求めるような光があった。それは、孤独な叫びのように見えた。

 リクの唇が震え、低く叫んだ。


「なぁ、本気で生きてみたくねぇか?」


 その言葉は、教室の空気に新たな波動を起こした。

 カイは拳を握り、内心の炎が再び燃え上がるのを、体の芯で感じた。熱が全身を駆け巡り、血液が沸騰するような感覚が広がる。


 リクの叫び声に呼応するように、教室の空気がさらに震えた。目に見えぬ波動が走り、生徒たちは次々と悲鳴を上げ、机の下へ潜り込んだ。

 ある者は泣き叫び、ある者は歯をガチガチと鳴らし、制御バンドの警告灯が一斉に赤く点滅した。赤い光が教室を不気味に照らし、まるで緊急警報のように鳴り響く。


「く、苦しい……!」


誰かの呻き声が聞こえ、


「やめろ、リク!それ以上は――!」


 別の生徒が叫ぶが、声は震えていて力がない。

 教師が叫びながら近づこうとしたが、リクの目から放たれる圧倒的な恐怖に足を止めた。膝ががくがくと震え、動けない。


「くそっ……足が……!」


 教師自身も、制御不能の恐怖に捕らえられていた。顔が汗で濡れ、目が虚ろになる。リクの口元が歪む。


「見ろよ……。俺の“恐怖”は、こんなにも本物だ」


 声が震えているのは、興奮か、それとも哀しみか。リクの表情には、複雑な感情が混じっていた。長年抑え込まれてきた感情が、ようやく解放された喜びと、周囲を巻き込む罪悪感が交錯しているようだった。


 カイは立ち上がり、拳を握った。体の奥で炎が熱を帯び、血液そのものが沸き立つような感覚が広がっていく。汗が額を伝い、息が荒くなる。

 ――ここで立たなければ。

 心のどこかで、はっきりとした声が響いた。それは、カイ自身の本能的な叫びだった。


「俺の気持ちを、お前らが勝手に決めるな!」


 カイの叫びと同時に、両の手から炎が吹き上がった。カイは歯を食いしばり、体内の熱をさらに高めた。

 全身が炎のオーラに包まれ、汗が額を伝い、息が荒くなる。炎の熱が皮膚を焼くような痛みを伴うが、カイは耐えた。クラスメートの一人が、震える声で叫んだ。


「カイくん、危ないよ! 先生呼んでくる!」


「待て、動くな! こいつは俺が――」


 カイの言葉が途切れ、影が再び膨張し、教室全体を覆う闇が広がった。カイの炎が唯一の光源となり、橙色の光が教室を照らし、恐怖の影を押し返す。


 戦いの幕が開く。


 心の中で、カイは誓った。この恐怖を、絶対に終わらせる。


リクの異能の渦が一瞬、怯むように揺らいだ。


「なっ……!?」


 リクが驚きに目を見開く。カイの炎は机を焦がし、窓ガラスを震わせながらも、確かに“力”として教室を守っていた。焦げ臭い匂いが広がり、生徒たちは咳き込みながらも、二人の対峙に目を奪われていた。

 生徒たちは恐怖と熱気の狭間で息を呑み、誰もが二人の対峙から目を逸らせなかった。ある生徒は、机の下から覗き、息を潜めて見守っていた。別の生徒は、制御バンドの警告音に怯えながらも、好奇心が勝り、顔を上げていた。


 カイは歯を食いしばり、リクを見据える。


「抑え込んで生きるなんて、もう――ゴメンだ!」


 二つの感情が異能となって、炎と恐怖がぶつかり合い、教室の空気は異様な熱気と寒気に包まれていた。

 熱い風と冷たい風が交互に吹き、生徒たちは机の下で震え、教師は声にならない声を漏らすだけ。誰もが二人の「異能」に釘付けになっていた。

 カイの炎は机を焦がし、黒煙を巻き上げながらも、確かに恐怖の波動を押し返していく。額から汗が滴り、手のひらの皮膚がひび割れそうになる。


「くっ……抑え込むしか……!」


 喉を焼く熱を押し殺しながら、カイは必死に炎を制御した。炎の制御は、精神的な集中を要し、少しの隙で暴走する危険があった。

 カイは過去の記憶を思い浮かべ、家族に抑え込まれていた日々を振り返った。あの時も、感情を殺すことを強いられた。今、ここでそれを繰り返すわけにはいかない。


 リクの瞳がぎらつく。


「面白ぇ……お前、ただの“従順な奴隷”じゃなかったんだな」


 声には皮肉が混じっていたが、その奥にあるのは興奮と、どこか安堵にも似た響きだった。リクもまた、長年孤独に耐えてきたのだろう。同じような異能を持つ者を探していたのかもしれない。

 カイは歯を食いしばり、炎をさらに高めた。


「俺は……! 俺はもう、感情を殺して生きるのは嫌なんだ!」


 炎が一気に爆ぜ、リクの恐怖の波動を覆い尽くす。爆発音が響き、窓ガラスが微かにひび割れる。生徒たちは耳を塞ぎ、悲鳴を上げた。


 一瞬の静寂――。


 教室に沈黙が訪れた。恐怖の圧は消え、リクの体を包んでいた黒い渦が薄れていった。

 教室に残ったのは、焦げた匂いと、震えながらも自由を感じ始めた生徒たちの息遣いだった。

 生徒たちはゆっくりと顔を上げ、互いに視線を交わした。制御バンドの警告灯が徐々に消え、赤い光が消えると、皆の表情にわずかな安堵が浮かんだ。

 リクは荒い呼吸を繰り返しながら、口元を歪めた。


「……やっぱり、いたんだな。俺と同じ、抑え込まれるのが嫌でたまらねぇ奴が」


 リクの声は疲れていたが、そこに希望の色が混じっていた。

 カイは炎を消し、赤くなった掌を見つめる。胸の鼓動はまだ収まらない。だが、その熱はただの恐怖ではなく、確かに“希望”に変わっていた。掌の熱が、未来への可能性を示しているようだった。


 リクはにやりと笑い、囁くように言った。


「なぁ、本気で生きてみたくねぇか?」


 その言葉は、再び教室の空気を震わせたが、今度は恐怖ではなく、好奇心と興奮の波だった。

 窓の外では日が差し込み、街を照らしている。その光に反射して、無数の感情が今にも溢れ出す予感がした。街並みはいつも通り静かだが、カイの目には、変化の兆しが見えた。カイは唇をかすかに震わせ、答えた。


「……やれるかもしれないな」。


 その瞬間、二人の間に小さな絆という火種が生まれた。それはまだ弱々しくも、やがて教室を、学校を、社会を巻き込む“革命の炎”になる。

 生徒たちは二人のやり取りを息を潜めて見守り、誰もが心の奥で、何かが変わり始める予感を感じていた。教室の空気は、焦げ臭さと朝の新鮮な風が混じり、奇妙な調和を生んでいた。

 カイとリクの視線が交わり、互いの異能が共鳴するように、微かな熱気が残った。この出来事は、ただの騒動ではなく、抑圧された感情の解放の始まりだった。

 生徒たちは立ち上がり、互いに言葉を交わし始める。

 教師はまだ震えていたが、目には複雑な感情が浮かんでいた。

 カイは窓辺に近づき、外の景色を眺めた。街のビル群が朝日に輝き、自由の象徴のように見えた。

 リクは肩をすくめ、バンドの残骸を拾い上げた。


「これから、どうするよ?」


 カイは振り返り、微笑んだ。


「まずは、この教室からだ」。

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