第6話 押してダメなら引いてみろ

ロアの隠れ家で一日過ごした後、都市へ向かっていた。


生まれて初めての休暇だった。

銃声も、命令も、血の匂いもない朝――ただ霧と風の音だけがあった。


その静けさの中で、ジョンは自分の中にある情報を整理していた。古代書物"同人誌"などで目にした断片的な記録、そしてロアが語ってくれた“この世界の常識”。


それらを繋ぎ合わせることで、おおよその構造は掴めてきた。魔術という名の“エネルギー制御技術”が存在し、それを軸に文明が発展している――おそらくはそういう世界だ。


だが、信じ切るには早すぎる。

まだ、この目で確かめてはいない。

情報は常に偏る。予断は、命を奪う。


(……俺の世界でも、そうだったな)


朝の霧が薄れていく。森を抜けた先に、石畳の街道が続いていた。ロアが前を歩き、ジョンは少し離れてついていく。遠くには灰色の城壁。


「もうじき、フェルディナートが見えるよ」


 ロアが振り返りもせずに言う。


「ふむ……なるほどな。中世ヨーロッパ+産業革命+魔力文明ってところか」


「?」


ジョンは短く相槌を打つ。だが、目線は街ではなく、周囲の構造物に向いていた。

石の並び方、壁面の文様、灯りの位置。

魔術文明――その概念は知っていても、実際の精度は未知数。すべてが、彼の世界とは“似て非なる文明”を物語っている。


(……ロアの話が正しいなら、魔力は“燃料”か。それとも“神経伝達”みたいなものか。いや、推測はやめておこう。確かめる時が必ず来る)


「……やっぱり、君。変なやつだね」


「何がだ?」


「普通、初めて都市を見る人は感動するもんだよ。『おお、こんなに大きい!』とか。君は壁の模様しか見てないじゃないか」


 ジョンは小さく笑った。


「観光よりも、情報が優先だろ?」


「……つまんないやつ」


 ロアがぼそりと呟く。その声には、ほんの少し寂しさが混じっていた。




ーーー




やがて二人は街門へと辿り着いた。

巨大な石壁がそびえ立つ。門扉は鉄のようでいて、どこか違う。表面には、見たことのない模様が刻まれ、微かに青白く光っていた。それが“装飾”なのか“機能”なのか、ジョンには見当もつかない。


(……光ってやがる。反射じゃない。内側から発光してる? 電灯……のはずがないな)


門の周囲では、列をなした商人や傭兵たちが順に通過していく。兵士たちの装備は金属鎧と革の複合だ。腰に剣のようなものを下げ、何やら杖を手に持っている者もいる。杖の先が淡く光を帯びているのを見て、ジョンは小さく眉をひそめた。


(銃か?……いや、火薬の匂いがしない)


列の進みは遅い。

門の上には監視塔が三つ。高台に弩弓のような器具が並び、兵士がそこに何かの石をはめ込みながら、ゆっくりと回転機構を調整している。“砲台”というには原始的だが、どう見てもただの矢ではない。


(……監視塔の弩兵、四十秒ごとに視線を巡回。詰所に一人、おそらく通信係……だろう)

(監視塔のは、まるでエネルギー兵器だな。だが、どういう理屈で動く……?)


「……なるほど。用心深い街だ」


ジョンは小さく呟く。


やっと自分達の番が来て、ロアが通行証を取り出し、門兵に差し出す。兵士は彼女の顔を見て、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。その横で、ジョンはただ観察を続ける。


ロアが書類を見せると、門兵は一度視線を落とし、舌打ちをした。列の後ろでざわめきが起こる。


「…あんまり見られるのは好きじゃないんだ」


ロアがぼそりと呟く。


褐色の肌、白銀の髪――“森の民”、ダークエルフ。

ジョンは初めて、その呼び名に宿る棘を肌で感じた。


次に、兵士の視線がジョンへ向く。

その目には警戒と、どこか分析的な光があった。


「……そちらの男は?」


「知り合いだよ。この街に初めて来るっていうから付き添いに」


ロアは即答した。ジョンの分も“同行者扱い”で通し、ジョンは黙って立つ。


「見ない顔立ちだな…出身はどこだ?」


ジョンは薄く笑う。


「遠い南だ。名もない辺境の村さ」


門兵はロアを値踏みするように見たが、ジョンの鋭い視線に気づき、一瞬、空気が硬くなる。門兵は黙って通行を許可した。


「ふん……まぁ、怪しい真似はするな」


通行を許可した兵士は、一度だけ隣の詰所に視線を送った。その瞬間、詰所の奥で青い光が一閃する。その動きを見逃さず、ジョンは無言で小さく笑った。

――監視の網に、かかったか。


あまり目立ちたくは無かった。だが、ここまで来てしまっては仕方がない。ここは取り敢えずこれ以上の事が起きないようロアと共に歩き始める。そして、先程のロアに対する門兵の態度について訪ねる。


「差別か」


「まあ、慣れてるよ。ダークエルフは“呪いの種族”って言われてるから」


その笑いは強がりにしか聞こえなかった。


門を抜けると、石造りの街並みが広がっていた。通りを走る馬車、香辛料の匂い、店内の淡い光。この世界がどれほどの年月をかけて築かれたのか、ジョンには想像もつかない。


「……ここが、フェルディナート」


ジョンは自然と周囲を観察していた。

建物の構造、壁材の組み方、街路の幅――どれも計算されて造られている。中世的な造りにしては整然としすぎていた。


「驚いたかい?」


 ロアが振り返る。


「ようこそ。自由都市フェルディナートへ。ここいらじゃ一番大きい都市さ。商人、冒険者、治癒師、物資も情報も、だいたいここで揃うよ」


「……文明の中心、か」


「まあね。あんまり長居すると、金が吹き飛ぶよ」


ロアが笑って肩をすくめる。

その横で、ジョンは静かに視線を動かしていた。通りの端に立つ柱。その上部に埋め込まれた青い石が、一定間隔で微かな光を放つ。


(……監視か、照明か。あるいはエネルギー供給炉だな)


通りには人、人、人。

街を行き交う人々は、思いのほか多様だった。商人たちが声を張り上げ、香辛料と焼きパンの匂いが混ざり合う。冒険者風の男が大剣を背負い、修道女や白衣のような服を着た者までいる。その中にはジョンの世界では見たことがないーー亜人など異形種の姿もあった。


どの顔も忙しなく、それでいて慣れた動きだ。


(数日の観察で得た情報と照らし合わせる限り……魔力をエネルギー源にした文明か)


ロアから聞いた“魔術”の仕組み――自然に流れる力を媒介して、物や現象を操るという。ジョンの知る科学とは程遠いが、似た原理を持つ部分も多い。


(“理屈”は違っても、“再現”ができるなら技術だ)


「まあ、危険なのは街の外だけじゃないけどね」


「警告か?」


「忠告。あんた、目立つから」


ジョンは少しだけ口の端を上げた。


「助言、感謝」


「……で、これからどうするんだい?」


 ロアの問いに、ジョンは少し間を置いて答えた。


「街の構造を知りたい。情報と補給も必要だ」


「ふーん。じゃあ、僕も一緒に行――」「……ここまで案内させて悪かったな」


「えっ……」


思わずロアが立ち止まる。


「助かった。おかげで命も、情報も得られた」


言葉は穏やかだ。だが、その声の奥には、どこか距離があった。


「……なに、その言い方。まるで……」


ロアが言葉を失い、探るように言葉を絞り出す。


「これから宿、探して――」


「ここで別れよう」


ロアは瞬きをした。


「俺は俺で、この世界の仕組みを調べる必要がある。お前の足を引っ張るわけにもいかない」


それは丁寧な別れの言葉。

だが、その裏には――明確な“意図”があった。


(人間ってのは、不意に距離を取られると追いたくなる。特に、少し興味を持ち始めた相手なら……な)

(それに…この世界を少し自分だけで楽しみたいという気持ちもあるしな)


ジョンは淡々と街並みを見渡す。それとは対照的にロアはぽかんとした顔をした。数秒の沈黙。それから、焦ったように早口になる。


「な、なんだいそれ!これから一人でどうする気だい?この街、外来者には冷たいんだよ!?それにほら、宿の相場だって知らないだろ!」


「心配いらん。こう見えて、野宿は慣れてる」


「野宿って……!」


ロアの声が少し上ずる。彼女は胸の前で拳を握り、ふん、とそっぽを向いた。


「……勝手にすればいい。別に、君がどうなろうと僕には関係ないしね!」


「だろうな」


ジョンは微笑む。目が一瞬だけロアを捉える。彼女は何かを言いかけて、言葉を失った。


「……そう」


強がるように答える。だが、その声はかすかに揺れていた。


(やはりな)


ジョンは心の中でほくそ笑む。

ーー押して駄目なら、引いてみろ。

興味を引きたいなら、あえて“離れる”。


ロアは何も言わず、視線を逸らした。だが、ロアの耳が少しづつ下がっていくのをジョンは見逃さなかった。


「……じゃあな、ロア。世話になった」


軽く片手を上げる。ロアは唇を結んだまま、視線を落とす。


「……ほんと、何なんだよ。君」


ジョンは振り返らずに歩き出す。その背中を見送りながら、ロアは小さく息を吐いた。


(まったく……変な男。……でも)


心の奥が、少しだけざわめいた。初めて出会った時と同じ――説明のつかない熱。その瞳の奥には、まだ消えない小さな光が宿っていた。


(……また、会えるよね)


そう呟いた声は街の喧騒に紛れ、彼の背中が消えても、心臓の鼓動だけが、まだ彼を覚えていた。

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