WORLD★エンドラン

楠綾介

第1話 宇宙と現実の距離

 幼い頃の宇宙は、もっともっと近くて幾千の星々は、手を伸ばせば掴めるような気がした。何より遠い宇宙からの声が聞こえてくるような……そんな距離感だった。今思えば、その距離は物理的な距離ではなく、心の距離だったなって……シミジミ思う。


 今や煌めく夜空は、私たち哀れな人間を慈悲の光で照らすセラピストだ、疲れ果て、はて人生どうしたものかと嘆いた時、変わらずそこにある宇宙を見るとその壮大さと果てしない距離に脱帽し自分の矮小さに気づかされ、悩み何てこんなものかと、霧散する。


 今では物理的な方が、心の安定のようだ。




     二千二十五年十月一日




 PiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPiPi


 はっと我に返れば、何食わぬ顔で現実がいる。休憩時間に仮眠を取るためにセットしておいたアップルウォッチが微細な振動とともに左手首を忙しなく揺らす。


 眼鏡を外し化粧が落ちないように、二度瞼を強く閉じる。


ほまれちゃんっていっつも寝てるけど体調悪いの?」


 同期の伊藤がバックルームに音もなく現れ、憐憫れんびんな言葉をかける。私は、知っている憐憫を羽織った嫌味だと。


 「伊藤さん休憩? 席変わろうか?」体調が悪いわけでもないのに寝ていたとは言いづらく、話を逸らす。


 「いや、まだまだ休憩取れそうもないって、土日だし今日は空き時間もなさそう。なのにガールズデー二日目で天気も悪くて調子最悪、美容師ってツラいよねこういうとこ、生理休暇ってできないのかな? タヨウセイなのに遅れてるよね。誉ちゃんもでしょ?」


 どうやら伊藤は寝ている私を体調不良に仕立て上げたいようだ、そうでなくては寝ていた私を許せないみたい、生理や低気圧を上げるあたり無意識にそうしているのだろう、一度スルーしたのに振り出し、しかもいつも仮眠をとっていること、知っているだろうに、しつこいなぁ。

 

 「ごめん最近夜更かしなの、昼間は眠くて眠くて、カラーの放置時間も仮眠しちゃうくらい」煩わしさを面にも出さず冗談めかしく返す。伊藤は眉根を寄せて不遜なものを見るような眼で言う。


 「えっ、カラーの放置中にも寝れるってやばくない? てかやばい、土日は忙しくなるんだから体調整えとかないと、休まれでもしたら皺寄せ私に来るんだからやめてよー誉ちゃんのお客、代わりにやりたくないよ」


 思わず吹き出しそうになる。つい先日体調不良で休んだ伊藤のお客様を代わりに担当したのは私なのに、よくもまあぬけぬけと。


 「私のお客さん楽だよ? 拘り少ないし」


 伊藤は目を細めてかぶりを振る。


 「えー、なんかみんな静かじゃん? 怖いんだよね喋んない人。後で悪い口コミとか書きそうじゃん。なんて言うのあれ、あれだよ、そう、インシツって感じ、影でボソボソ悪口いうタイプだよ絶対MBTI診断Iから始まるやつ」


 美容師を指名してくるお客様は何かしらのシンパシーを感じ指名している事も多く、自分に似てくる。だから伊藤に私の人格まで否定されたようで激しく苛つく。ましてや伊藤の代わりを務めた私によくそんなことを言える。言わせてもらえば伊藤のお客は、周りに人がいてもお構いなしに馬鹿でかい声で喋る拡声器みたいな女ばかりで、MBTIはEのやつだろう。


 あっ放置時間終わっちゃうと、バックルームから小走りに踵のないサンダルをべたんべたんと床に打ちつけ、窓からさす昼光を反射させた艶のある長いミルクベージュの髪を弾ませ出ていった。


 煩わしい。伊藤の世間話は、いちいち、ちくちくと癪に触る言動が多いし、足音が煩い。繊細さなんて微塵もないように見えるけど、ルックスだけは良い、と言うよりずば抜けている。流行りのヘアスタイルやカラー、化粧品はSNSですぐ取り入れて、お客様へのアウトプットも早いし、説得力のある容姿で信頼を得ている。憎たらしいけど美容師然とした働きを、彼女はしている。


 この業界は時代は変われど、売り上げが正義。性格の悪さとか態度の悪さとか多少ノンデリでも売り上げが正義。


 最初は煌びやかな業界だからこそ影の努力が必要な世界だと、お客様への求めるものを汲み取り反映する技術が全てだと思い、技術に没頭して、練習だって深夜まで取り組んだ。だけど必要なのは縦の繋がりと横の果てしない繋がりだった。同期は練習もそこそこに夜の街に飛び出しクラブや飲み屋で知り合いを作り、実践を繰り返し、さも当然のようにSNSを使いこなし数千人のフォロワーを築いていた。最初に入社した美容室は個人主義的思考が強く、スタイリストになるまでのフォロワー数や売り上げ目標など高い水準で求められ私は完全にパンクした。なれない動画の投稿や飲み会、先輩からの厳しい指導に鬱を発症し退社した。一年近く実家で療養し今の美容室に入社した。ここはスタッフ人数も少ないしお客様へマンツーマンで施術できる、さらに全席個室のこともあり人の目も気にする必要がない。


 一時は、所を得たと思ったのだけど、女性社員が多い美容室、自然現象のように女子達は言葉を切って貼って捨てては徒党を組んで小さな空間で派閥を作り、意見や派閥の波長を乱す人間は排斥する。もちろん排斥されるのは私、少ない人数が逆に仇となり、孤立した時に悪目立ちする、孤立しているのに目立つとか本当に面倒。でもいい薄っぺらい言葉を並べて脈絡もない会話をして記憶にも残らない無意味なんていらない。


 一つ救いなのはそこそこの給料が貰えていること、夢や目的もない人生にはお金という対価が生きる意味だから、私はお金に生かされている。


 「ねぇ、これどう言うこと?」


 先程バックルームから出ていった伊藤が戻ってきていたのだ。伊藤は先ほどよりさらに眉根を寄せ、憮然とした顔を私に向け、自身のスマートフォンの画面を見せつけていた。


 「え? 何?」


 怪訝な私の態度に伊藤は語気を強めてさらに言う。


 「あんたさ、こな間はいった私のお客さんにめちゃくちゃ悪い口コミ書かれてるんだけど? 何してくれてんの? 私の売り上げ減らしてどう責任取るつもり!」




 「……ふぇ?」

 

 突きつけられたスマートフォンの画面には、口コミ評価1につらつらと文章が書かれているようだが最後の文章に目が止まる。二度といきませんと、冷淡に書かれていた。画面がふっと暗転し、現実が遠ざかる、星のない夜空の闇の引力に吸い込まれるように──……。



          ◆




 十月上旬の深夜にしては生ぬるい湿気った空気が私にまとわりつく。ジトジトした汗が滲み出て、さらに不快感が増す。昼間のことを思い出すたびに憂鬱が体の力を奪い去り、歩み出す歩幅を縮める。腕を振る余力はないけど、背負っているリュックの肩紐を握りしめる手は強張り緊張が消えない。


 伊藤の剣幕で怒る姿を思い出すだけで、心の臓がバクリと動く、胃を押し上げるような気持ちの悪い鼓動。


 口が乾いて粘膜が歯に付いて動かすとベリベリと剥がれる。昼から何も口にしていないからだろう、空腹と喉の渇きを思い出し、コンビニに寄ろうと思い立つと、すでに近所のコンビニまで来ていたようだ。煌々と輝くコンビニエンスストア、いつもそこにいてくれる安心感は一人暮らしの私にとって母の愛情にも引けを取らない。


 コンビニを物色していると、飲料系の品々が入ったリーチインケースに目が止まる。ガラス扉越しに眺める。それらはまるで色とりどりの色彩をまとった鳥のようで、私に求愛しているようにみえる。


 銀の配色が目立つコーナーを見遣る。一際目立つ長細い缶を見て、今は亡き父の事を思い出す。生前よく言っていたな『嫌な事あったらな、ストロング打法でかっ飛ばすんだよ! ぐわーーっと熱くなってなあ悩みなんてすっ飛んでくんだわ!』


 父らしい物言い、野球好きの感覚で喋る姿はまさに昭和のストロングおじさん。あの時はまだ未成年で飲めなかったな。


 手に取ったのは−196ストロングゼロ500ミリ缶。


 父は肝硬変で死んじゃってお葬式の時、母は言っていた「好きなことして生きてたし子供に介護させないようにしてくれたんだよきっと……生き急いで、馬鹿よねほんと」言い終わると咽び泣き、丸く蹲る姿は、母親の逞しさなど消え失せた一人の女性であった。


 父の力を借りる時だと思い立ち、お会計を済ませ出入り口の自動扉が開く前にプルタブを開け、扉を抜けた瞬間に天を仰ぎながら二度三度喉を鳴らしストロングゼロを飲む。


 慣れないアルコール、苦々しくもすっぱい味に強烈な炭酸が、かーーーっと言わずにはいられなかった。幸い人はいないようだ。


 もう一度飲む時には、先ほどまであった倦怠感は徐々に薄れ、足取りが軽くなるのがわかる。そうだ、このまま私のお気に入りの公園へ行き、散歩しよう、それで気分も晴れるだろう。


 公園に辿り着く手前で二本目のストロング缶のプルタブに指をかけ手前に倒す。軽快に炭酸が抜ける音が鳴る、私のストレスも一緒に吐き出しているようで、クスリと笑いが込み上げてきた。


 ふらふらと公園内に入り、お気に入りのベンチへ辿り着きどかりと座る。


 クビクビと喉を鳴らし、二本目を飲み干す。天を仰ぐと空には満月がいる事に気づく。


 「うあ〜満月だあきれい。げふっ」ゲップとともに競り上がってきたアルコール臭が鼻を通り一瞬我に返り、思わず出てしまった言葉にあたりを見渡す。誰もいないみたい。


 三本目に指をかけた時、ふと目の前に意識が向く。そう言えば目の前には古びた電話ボックスがあったな。

 

 あ、そうだ。


 ベンチから勢いよく立ち上がり悪化した千鳥足で電話ボックスまで歩き、豪快にドアを開け、受話器を取り無茶苦茶な番号を打って大声で叫ぶ。


 「あのぉっ!! もしもーーーし! 聞こえますかどうぞーー聞こえてなくても喋りますけどね!? では……本当に本当に私は、どれだけ耐えればいいんだよクソやろおぉ!! あの女いっつもいっつもおんなじ事ばっか喋りって、都合のいい言葉ばっか並べて少し売り上げがいいってだけで優遇されて遅刻とか仮病とか許されて……あ、ぁ後!! お前店長と浮気してんの知ってんだぞビッチ! 変態!! 毎日毎日店長と目配せして裏でベタベタして気持ち悪いんだよ!! 自分の事は棚に上げて、今日だってたまたま私がミスして……悪いのは私だけど、それでも! 辞めろとか向いてないとかルックスが悪いとか言いやがって……そんなことね、分かってんだよこっちだって!! 向いてないことぐらい! 喋るの苦手だし、人嫌いだし、スタイルだってあんたみたいに全然良くないし、嫌な事なのに好きだと欺いて、そんな自分が大っ嫌い! だけどっ、あんた達みたいな陽キャが、いっっち番! 大っ嫌い!! …………でも、でも美容学校はお父さんに無理して入れてもらって、お父さん妹にも進学させてあげられるようにって、副業までして、そしたらお酒の量も増えて、死んじゃう前に、約束したの……私頑張るって、だから……だからあ!! やめたくてもやめられないの!! バカーーーーーーーー!!!! はぁ、はぁ、はぁうっぅぅくっぅ……あぁあああぁーーーーお父さんごめんなさい、ごめんなさいぃ、あたし、私、もう無理かもしれないごめんなさい……」


 受話器を両手で握りしめ膝を曲げ蹲る。電話ボックスの中で天国のお父さんにたくさん謝罪して泣いた。咽び泣きえづき、吐きそうになるバランスを崩し尻から倒れ完全に座り込んでしまった。


 アルコールでぼんやりする視界の中、もう一度受話器を耳にあて消え入りそうな声で言う。もう面倒、仕事場も伊藤も店長も他のスタッフも──


 「……消えちゃえ、全部……」







 「了解」


 体がビクリと跳ね上がり、受話器を落としてしまった。


 「え…… 今」喋った? そんなわけ、だって私あんなに出鱈目に番号打ってたし、お金なんて入れてない。


 落とした受話器からは、また何か喋っているような、それともノイズ? 恐る恐る受話器を取り耳にあてる。


 「もしもし」


 「繰り返す。今日こんにちを持って太陽系第三惑星【地球】を破棄するものとする。地球時間六十万四千八百秒後に精査に入り、後十七万二千八百秒で清掃を完了するものとする。速やかに退去せよ」

  

 「は?」


 「何か?」


 どうやら私はとんでもない相手に電話してしまったようだ。



  

 

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