婚活バスツアーで出会った弥生さん
春風秋雄
本当に婚活バスツアーに乗ってしまった
「おはようございます。本日は弊社婚活バスツアーにご参加頂きまして、誠にありがとうございます。私、今日一日皆様のお世話をさせて頂きます関根と申します。よろしくお願い致します」
ツアーコンダクターの元気のよい挨拶を合図にバスが動き出した。いよいよ婚活バスツアーが始まった。こんなツアーがあるとは、最近まで全く知らなかった。妻が亡くなってもう12年になるが、今まで再婚なんて考えたこともなく、婚活といえば結婚相談所に登録して、それらしい人を紹介してもらうくらいしか想像がつかなかった。そんな俺が、なぜか婚活バスツアーの座席に座っている。
「それでは、隣の方とプロフィールシートを交換して、婚活を開始しましょう!」
ツアーコンダクターの関根さんの掛け声で、一斉に会話が始まる。俺がモジモジしていると、隣の女性がプロフィールシートを差し出して話しかけてきた。
「山本久子といいます。よろしくお願いします」
その時、初めてその女性の顔を見た。驚くほど化粧が濃い。本人は愛想よくニコッと笑ったつもりだろうが、俺には獲物を狙う雌のヒョウがニヤッと笑ったようにしか見えなかった。俺はたじろいでしまった。
俺の名前は古谷真澄。社名を言えば誰でも知っている一部上場企業の管理職だ。今年49歳になった。12年前に妻は病気で亡くなった。一人娘の朋美が小学6年生の時だった。結婚を機に建てた家が急に広く感じた。俺の両親からも、妻の両親からも、落ち着いたら朋美のために再婚をした方が良いと勧められていたが、俺は再婚するつもりはなかった。大学時代から付き合い始め、妻だけを愛し続けた俺が、他の女性と暮らすなんて、想像できなかった。見かねた俺のお袋が、実家から車で30分くらいだったこともあり、毎日のようにうちに来て、朋美の面倒を見てくれた。おかげで朋美はすくすくと育ち、中学生になってからは家事も手伝ってくれるようになり、大学を卒業して就職をしたと思ったら、1年もしないうちに大学時代の先輩と結婚した。俺としてはまだ早いと言いたかったが、俺と亡くなった妻が結婚したのも、大学を卒業してすぐだったということを朋美は知っていたので、俺が何を言っても聞く耳を持たないことはわかっていたので、何も言わなかった。朋美が結婚して家を出てからは、一軒家に俺一人で暮らすことになった。
そんな朋美が半月ほど前にいきなり家に来た。
「お父さん、たまには日帰り旅行に行ってきなよ。私が申し込んであげるから、都合の悪い日はある?」
と言ってきた。最近は休みの日に特にやることもなく、暇だけはある。たまには日帰り旅行もいいかと思い、いつでも大丈夫だと気軽に返事をしたのだが、後日、手続きが終わったと言って渡された資料を見ると、婚活ツアーになっていた。
「朋美、なんだよこれ?婚活ツアーになっているじゃないか」
「そんなに堅苦しく考えることないよ。結婚とまではいかなくても、良い人と出会えたら友達になればいいし、マッチングしなければ日帰り旅行を楽しんだと思えばいいじゃない。同じ旅行ツアーに参加するにしても、そうやって色々な女性と話す方が楽しいでしょ?」
「父さんは、初対面の女性と話すのは苦手なんだよ」
「大丈夫。お父さんから話さなくても、相手の方から話しかけてくれるから。いずれにしてもお金はもう振り込んだから、ちゃんと参加してね」
資料を見ると、参加料は17000円だった。そうやって俺は、嫌々ながら参加することになったのだ。
集合場所に朝7時半過ぎに行き、7時50分から来た順に受付をしてバスに乗り込む。受付の際には身分証明書の提示を求められた。受付をした際に渡されたプロフィールシートに書かれている11番の番号の座席に行くと、隣の座席にはすでに一人の女性が座っていた。軽く会釈をして座席についた俺は、プロフィールシートに自分のプロフィールを記入する。書く内容が細かい。年齢、身長、血液型、職業ならびに年収、結婚歴、家族構成、趣味・特技などは当然だが、最近見た映画、お勧めの映画、好きな食べ物、嫌いな食べ物、カップルで最初に行きたい場所まで書くようになっている。俺はプロフィールシートを埋めるのにかなり時間がかかった。最後の項目は結婚についてだった。三択になっている。「3年以内」、「1年以内」、「縁があれば」の3つから選ぶようになっている。この項目を見て、俺は本当に婚活ツアーにきてしまったのだと、気が重たくなってきた。
山本さんはかなり積極的に話してきた。俺のプロフィールシートを見ながら、住居は持ち家かとか、ご両親は健在なのか、介護の必要はあるのかとか、色々聞いてくる。本当に結婚をしたいのだろうなということが、ヒシヒシと伝わってきた。まさか「俺は結婚する気はないです」とは言えないので、山本さんとの会話は苦痛でしかなかった。ツアーコンダクターの関根さんの説明では10分したら次の人と交代するということだったが、俺にはその10分がとても長く感じた。山本さんのプロフィールシートに書かれていることは41歳という年齢しか頭に入ってこず、他の項目を見る余裕すらなかった。
関根さんが10分経ったので席移動をしてくださいとアナウンスする。やっと10分経ったのかとほっとする。席を動くのは通路側に座っている男性陣だ。次の席に座ると、ハッとするほどの美人が座っていた。プロフィールシートを見ると鈴木由紀子さん、35歳と書いてある。今回の婚活ツアーは年齢制限が35歳から49歳までになっているので、俺が最年長だとは思っていたが、35歳の鈴木さんが最年少のようだ。こんな人が婚活ツアーに来るのか?普通に良い男が寄ってきそうじゃないか。俺は違う意味で興味が沸いた。
「どうして婚活ツアーに参加されたのですか?」
俺は質問してみた。
「婚活ツアーなら、嘘を言う人はいないでしょ?職業にしても年収にしても、嘘を書く人はいないと思うので、ツアーに参加したんです」
「あなたの周りは嘘つく人ばかりなのですか?」
「そうですね。いかにもお金持ちといった感じで近寄ってくる人が多くて、付き合ってみると借金だらけだったり、普通のサラリーマンなのに無理してブランド物を身に着けていたりって人がほとんどですね」
「後でバレるのに、どうしてそんな嘘をつくのでしょう?」
「ただ単に、一時でいいから私と付き合いたかったんじゃないですかね」
この人は、かなり自信家のようだ。
「借金だらけの人は論外でしょうけど、普通のサラリーマンではダメなのですか?」
「結婚を考えると、やっぱりそれなりに収入のある人がいいじゃないですか?」
「まあ、収入があるに越したことはないでしょうけど、私の場合、亡くなった妻と暮らしていた時はたいして収入はありませんでしたけど、それなりに幸せでしたよ」
「幸せはそれぞれの価値観ですから。でも古谷さんは、今は結構な年収なのでしょ?」
プロフィールシートの年収の欄は400万円以下、500万円~600万円、600万円~700万円、700万円以上の中から選ぶようになっていたので、俺は700万円以上にチェックしていた。
「私の年齢では多いとも少ないとも言えませんね。普通じゃないですか?」
俺がそう言ったところで10分が経過した。
席を移動しながら、色んな人がいるなあと感心した。
今回のツアーの参加者は男性12名、女性12名の合計24名だ。最初の行先である“ひたち海浜公園”に着くまでに、女性全員と会話することになっている。途中、何度もトイレ休憩をはさんで、ひたち海浜公園に着くまでに無事12名の女性との会話が終わった。気になる人がいたらメモしておくように用紙を渡されていたが、もともとマッチングする気がない俺は、気になる人はいなかった。それより、間違ってマッチングしたら後々面倒だと思う人ということで、山本久子さんと、鈴木由紀子さんの名前をメモしておいた。
ひたち海浜公園では2つのグループに分かれて行動することになっていた。グループ分けはくじ引きだった。バスを降りるとき、赤と青のリボンが入っているくじを引く。俺は青組だった。先にバスを降りていた山本久子さんは赤組だと騒いでいたのでホッとしたが、鈴木由紀子さんは俺と同じ青組だった。俺が同じ組だと知った鈴木さんが、俺に話しかけてこようとしたところで、他の男性三人が鈴木さんを取り囲んだ。やはり若くて綺麗な鈴木さんは人気があるようだ。12人の男女が思い思いの相手と話しながら、紅葉して丘一面を真っ赤に染め上げたコキアを鑑賞して歩く。俺は極力目立たないように後ろの方をついて歩くことにした。すると、俺より後ろを歩く女性がひとりいた。確かに話した記憶はあるが、名前が思い出せない。それほど12名の女性の中でも印象の薄い人だった。気にせずトボトボと歩いていたのだが、後ろを振り向くとその女性はコキアに見とれるように立ち止まっている。グループ行動なので、置いていくわけにはいかないと思い、俺はその女性に近づいた。
「コキア綺麗ですね」
急に話しかけられて女性は驚いたように振り返り俺を見た。
「すみません、お名前を忘れてしまいました。お名前何でしたっけ?」
「須藤です。須藤弥生です」
「そうだ、須藤さんだ」
「古谷さんでしたよね?」
「あ、名前覚えてくれていたのですね」
「一応、全員の名前は覚えたつもりです」
「そうですか。そうですね、婚活ツアーなのだから、当然ですよね。名前を覚えていない私の方が変でした」
「古谷さんは、今回の婚活にはあまり積極的ではないのですか?それとも、もう決めた女性がいて、それ以外の女性には興味がないとか?」
「はは、本当のことを言うと、娘に無理やり参加させられて、あまり積極的ではないのです」
「そうですか。私と一緒ですね」
「須藤さんも?」
「私は子供のころから可愛がっていた姉の息子、つまり甥っ子に勧められて断り切れずに参加したんです」
「そうなのですか、じゃあ須藤さんも結婚の意思はあまりないのですね?」
「ええ、私は生涯独身でいいと思っているので」
「ご結婚されたことないのですか?」
「私のプロフィールシート、全然見ていらっしゃらなかったのですね?本当に婚活には興味なかったんだ?」
「ごめんなさい。ほとんどの方のプロフィールシートを見ていないです」
須藤さんは笑い出した。
「私は須藤弥生、43歳。結婚歴なしです。それで古谷さんは、ほとんどの女性のことを知らずに、どうやって最後のマッチング希望の女性を選ぶつもりなのですか?」
「問題はそこです。何とかマッチングしないように選ばなければと思っているんですけどね」
俺が笑いながらそう言うと、須藤さんも笑った。
「私は12名の中で、私に興味なさそうな人をピックアップして、その人にしようと思っていました」
「なるほど、もう候補はいるのですか?」
「実は、古谷さんが第一候補だったんです」
「え?私ですか?」
「だって古谷さん、私と何も話しませんでしたよ。最初に名前を言っただけで、10分間、二人とも無言でしたもの」
「そうでした?須藤さんだけでなく、他の女性ともほとんど話していませんでしたけどね」
「じゃあ、こうしませんか?お互いにマッチング希望の第一候補にして、いっそのことマッチングしましょう。そうすればお互いに結婚の意思はないのですから、マッチングした後も、気をつかう必要ないじゃないですか」
「いいですね。じゃあ、私は第一候補に須藤さんの名前を書きます。裏切らないでくださいね。間違って第二候補の人とマッチングしたら面倒ですから」
最後に提出するマッチング希望の相手は第二候補まで書くことになっており、第一候補の相手が他の男性を選んだ場合、第二候補の相手とマッチングすることもあるのだ。
ツアーはひたち海浜公園から大洗へ移動し、そこで昼食となった。昼食時の席順もくじで決められた席に座る。俺は須藤さんとの約束があるので、気が楽になり、大洗の新鮮な魚料理を堪能することができた。
昼食後はフリータイムとなり、各々お目当ての相手を誘って大洗磯前神社へ行く。俺が一人でとぼとぼ歩いていたら、鈴木由紀子さんが近寄ってきた。
「古谷さん、一緒に神社へ行きませんか?」
この女性は俺に興味があるのだろうか?いや、あるとすれば俺にではなく、俺の年収にだ。どうやって断ろうかと思っていると、鈴木さん目当ての男性陣が4人くらい近寄ってきた。どうやら今回のツアーで鈴木さんが一番人気のようだ。ふと見ると、須藤さんが向こうに見えた。俺は慌てて須藤さんの方へ近寄っていった。
「須藤さん、一緒に神社行きませんか?」
須藤さんが笑いをこらえながら「いいですよ」と言ってくれた。俺は須藤さんと並んで歩きだした。
「鈴木さんですか?あの人は私という人間に興味があるのではなく、私の年収に興味があるようです」
「あらら、あの女性はそういうタイプでしたか」
須藤さんと俺は、傍から見れば、意気投合した二人に見えるだろう。これで鈴木さんも俺ではなく、他の男性に照準を合わせてくれると良いのだが。
ツアーの最後は“リンゴ狩り”だった。食べ放題と言っても、リンゴをそんなにたくさん食べられるものではない。俺は須藤さんと行動を共にし、リンゴを一つだけ取って、二人で食べた。お土産販売もしており、発送もしてくれるというので、俺は朋美の嫁ぎ先へひと箱送ることにした。須藤さんも今回のツアーを勧めてくれた甥っ子さんがいる、お姉さんの家に送ることにしたようだ。
婚活ツアーもいよいよクライマックス。ツアーコンダクターの関根さんより、成立したカップルが発表される。5組がカップルになったようだ。順番に番号と名前が発表され、最後に俺と須藤さんの名前が呼ばれた。無事にカップル成立ということだ。
バスを降りて解散となるが、カップルになった人たちは、連絡先の交換や、今度いつ会うかなどの打ち合わせをしている。
「須藤さん、私たちも連絡先交換しましょうか?」
須藤さんは少し迷ったようだが、すぐに首を振った。
「私たちは、一期一会でいきましょう。私はもう婚活ツアーに参加することはないでしょうし、古谷さんとはここでお別れということにします」
「そうですか。ではお元気で」
俺たちはそう言いあって、手を振って別れた。
一人で帰りながら、須藤さんとなら、良い友達になれたかもしれないなと、残念な気がした。
婚活ツアーから3日後の夜に、俺の携帯に知らない番号から電話がかかってきた。俺は間違い電話だろうと思っていた。
「もしもし?」
「古谷さんですか?」
相手は俺だとわかってかけているようだ。
「はい。古谷です」
「私、先日婚活ツアーでご一緒させていただいた須藤です」
「須藤さん?え、どうして?」
「あの婚活ツアー、私は甥っ子に勧められて参加したと言いましたよね?」
「はい。そうお伺いしました」
「私の甥っ子のお嫁さんは、古谷さんの娘さん、朋美さんだったんです」
「・・・」
「今日、報告を兼ねて姉の家に行ったら、同じリンゴの箱が二箱もあるので、どういうことだと聞くと、もう一つは古谷さんから送られてきたものだというので驚きました」
一体どういうことなのだ?これは偶然なのか?それともあの二人の謀なのか?
須藤さんは、古谷さんとはツアーで一緒になって、会話をしたとは説明したが、カップリングしたことは言わなかったそうだ。俺の連絡先は朋美から聞いたということだった。須藤さんとの電話が終わったあと、俺は朋美に電話した。どういうことだと聞くと、朋美は言い訳がましく説明してくれた。
もともとは、朋美の旦那さんが弥生さんに今回のツアーを勧めていたらしい。弥生さんがしぶしぶ承諾すると、朋美が「じゃあ、お父さんも参加させよう」と言い出したということだ。他意はなく、二人がそれぞれ楽しんでくれたらいいなと思っていただけで、二人のカップリングを期待したわけではなかったということだった。
俺は須藤さんに電話をし、とりあえず一度会わないかと提案した。須藤さんも、今後、親戚づきあいで会うこともあるかもしれないので、一度会って話した方が良いだろうと言って会うことになった。
次の日曜日に俺たちは会うことになった。せっかくなので夕食を一緒にということになり、俺が良く行く和食の店を予約した。
弥生さんにお酒は?と聞くと、何でも好きだということなので、日本酒を注文した。
「しかし、驚きましたね」
俺が弥生さんのお猪口にお酒を注ぎながらそう言うと、弥生さんは同意するように頷いた。
「私があの時連絡先を交換しなかったのは、古谷さんとこれ以上深入りしたくなかったからなんです」
「どういうことですか?」
「あの日、すごく楽しかったの。男の人と過ごしてこんなに楽しいと思ったの、何年ぶりだろうと思いました」
「本当ですか?」
「ええ、古谷さんとは良い友達になれるだろうと思いました。時々会って、一緒に食事をして、たまに日帰り旅行へ行って、そんな付き合いができたら楽しいだろうなと思いました」
「いいじゃないですか。そういう付き合い。私も須藤さんとそういう付き合いができたらいいなと、あの日思っていました」
「でも、ツアーの終わりが近づいてくるにつれて、古谷さんとお別れするのが辛くなってきたんです。これから友達になって、一緒に遊んで、そしてその日が終わるとき、毎回こんな気持ちになるのかなって思ったら、怖くなったんです」
「怖くなった?」
「私、古谷さんのことを好きになってしまうのではないかと怖くなったんです」
「好きになってはいけないのですか?」
「私が生涯独身を通そうと思っているのは、昔大好きだった人を事故で亡くしたからなんです。その事故の原因を作ったのは私なんです」
「須藤さんが原因で事故が起きたのですか?」
「私たちはもうすぐ結婚する予定でした。そんなときに、些細なことで喧嘩したんです。彼は一生懸命私をなだめようとしていました。そんな彼を私はからかうつもりで、アイスクリームを買って来てくれたら許してあげると言ったのです。それも銘柄を限定して。その銘柄は近くのコンビニには売っていませんでした。車で15分くらい行ったところの24時間のスーパーに売っているのです。その日は台風が近づいてきていて、夜になると大雨でした。彼は私のために夜の大雨の中車を走らせたのです。その帰りに雨でスリップしたトラックと衝突して帰らぬ人となってしまったんです。グシャグシャになった車の中に置かれていたスーパーの袋には、私が頼んだアイスクリームが3つも入っていたそうです。私は何てことをしたんだろうと、後悔してもしきれませんでした。ちょっとだけ彼の愛を確かめたかっただけなんです。ほんの少し彼に甘えたかっただけなのです。それがこんなことになるなんて。だから、私だけ幸せになってはいけないと思って、結婚はしないと決めたんです」
「そんなことがあったんですね」
「だから、私は、もう恋はしてはいけないし、結婚はしないつもりなのです」
「亡くなった彼は、須藤さんのことが本当に好きだったのでしょうね」
弥生さんが俺の顔を見た。
「本当に好きでなければ、そんな天候の中、あなたの我儘に付き合ってアイスクリームを買いに行きませんよ。しかも、3つも買っていたなんて」
俺がそう言うと、弥生さんはその頃のことを思い出したのか、目を潤ませてきた。
「でも、その彼氏が今のあなたを見たらどう思うでしょうね?もし私がその彼氏の立場だったら、自分のために弥生さんが幸せになれないということが、苦しくて、苦しくて仕方ないと思います」
「そうかもしれませんが、私としては自分だけ幸せになることが心苦しいのです。古谷さんもそうなんじゃないですか?奥さんを亡くされて、自分だけ他の女性と幸せになるのは心苦しいのではないですか?」
「私の場合はそういうのではないのです。単純に亡くなった妻以外の女性と、一緒に人生を歩むということが想像できなかったのです。学生時代から付き合っていたので、私の生涯の伴侶はこの人だけと思って、将来40歳になったときには二人でこうしたいとか、70歳になったときはこうしてとか、色々将来の夢を見てきましたから、今さら他の女性とその夢の続きを追い求めていくのが想像できなかったのです。周りから色んな女性を紹介されましたが、亡くなった妻の時のような将来のイメージがわきませんでした」
弥生さんは俺の話が意外だったようで、ジッと俺の顔を見ていた。
「じゃあ、私のように新しい相手を見つけるのは心苦しいとか、そういう気持ちはわかなかったのですか?」
「そういう気持ちになったことはないですね。あなたの彼と違って、私の妻は病気で亡くなりましたので、本人はもう覚悟していましたし、最期まで色んな話をしました。そして妻は、“最後の私の頼みを聞いてくれる?”って言いました。何でも聞くよというと、妻は“お願いだから、幸せになってね”と言いました。私が“君と出会ってからずっと幸せだったよ”と答えると、妻は“私がいなくなった後も、私がいたとき以上に幸せになって”と言いました。私は妻に答えました。わかった。どんな形でも必ず幸せになるからと」
弥生さんは黙って俺の話を聞いている。俺は空になった弥生さんのお猪口にお酒を注いだ。
「私と妻が逆の立場だったら、やはり私は妻に同じことを言ったと思います。本当に愛している人の幸せを願わない人はいませんよ。須藤さん、あなたは自分が幸せになるのが心苦しいと言いました。それは、裏を返せば、幸せになりたいという気持ちがあるということです。亡くなった彼を安心させるためにも、もう幸せになってもいいのではないですか?」
弥生さんは俺が注いだお酒を口に運んだ。そして、ゆっくりとお猪口を置き、俺の目を見て言った。
「私は幸せになっていいのですかね?」
「もちろんです」
「それを古谷さんは手伝ってくれますか?」
「幸せの価値観は人それぞれです。結婚だけが幸せではないですし、日々楽しく笑って過ごすことだけで幸せを感じることがあります。私もこの前須藤さんと過ごした1日はとても楽しくて、久しぶりに小さな幸せを感じました。先々のことはわかりませんが、まずは、お友達として、私と一緒に楽しい時間を過ごしませんか?」
弥生さんが「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「それで、ひとつお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
「須藤さんのプロフィールシートをもう一度見せてもらえませんか?私、全然見ていなかったので」
須藤さんは途端に笑い出した。
「そんなシートを渡すより、直接聞いてください。何でもお答えしますから」
「そうですか?じゃあ、まずはスリーサイズから・・・」
俺がそう言った瞬間に須藤さんがオシボリを俺に投げてきた。
婚活バスツアーで出会った弥生さん 春風秋雄 @hk76617661
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます