水音の家

木工槍鉋

燃やされなかった設計図

「また燃えてる...」

助手のトムが窓の外を指差した。建築家エドワード・ギグスのアトリエから、今日も黒煙が立ち上っている。近所の人々はもう慣れたもので、誰も消防署に通報しない。あの男がまた設計図を燃やしているだけだと知っているからだ。

「先生、今度は何が気に入らなかったんですか?」

トムが恐る恐る尋ねると、ギグスは灰まみれの手で髪をかき上げた。

「魂がない。技術だけの建物なんて、ただの箱じゃないか」

47歳になったギグスは、相変わらず完璧主義者だった。気に入らない設計図は容赦なく炎に投じる。そんな彼を変えたのは、ある日現れた一人の女性だった。

「ギグス先生でいらっしゃいますね。私、マリアンと申します」

彼女は亡き夫の別荘を建て直したいと依頼してきた。敷地は山奥の渓谷で、小さな滝が流れている。普通なら水害を避けて高台に建てるところだが、ギグスの目は輝いた。

「滝の上に建てましょう」

「え?」

「水の音が聞こえる家。自然と一体になった住まい。きっと素晴らしいものになります」

マリアンは困惑したが、ギグスの熱意に押し切られた。しかし、設計が進むにつれて、二人の関係も深くなっていく。

「先生の建物は、まるで生きているみたい」

「君がそばにいると、建物も喜んでいるような気がするんだ」

恋に落ちた二人。しかし、マリアンには秘密があった。彼女は実は有名な建築評論家で、ギグスの建築を「時代遅れ」と酷評した張本人だったのだ。

工事が始まって3ヶ月後、真実が明かされる。

「君は...あのマリアン・ウィルソンなのか?」

ギグスの顔は青ざめた。彼女の書いた批評記事を何度も読み返し、悔しい思いをしていたのだ。

「ごめんなさい。でも今は違うの。あなたの建築を理解したいの」

「理解?君に僕の何が分かる!」

ギグスは怒り狂い、設計図を破り捨てようとした。その時、マリアンが叫んだ。

「待って!この建物は私たちの愛の証でしょう?」

ギグスの手が止まった。

「君は...本当に僕を愛してくれるのか?」

「ええ。そして、あなたの建築も」

二人は抱き合った。そして完成した「水音の家」は、ギグスの最高傑作となった。滝の水音が室内に響き、まるで自然が歌っているようだった。

「この家は、君への愛の歌なんだ」

ギグスは微笑んだ。建築と恋、二つの情熱が一つになった瞬間だった。

それから50年後、老いたギグスは車椅子でその家を訪れる。マリアンはもうこの世にいないが、水音だけは変わらず響いていた。

「ありがとう、マリアン。君が教えてくれた。建築は愛なんだと」

夕日が滝を照らし、家全体が金色に輝いていた。

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水音の家 木工槍鉋 @itanoma

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