第9話 聖獣が護る女神の都
ルリアルトの住人達は数日の間に過去見たことのない異様な光景を目にしていた。
ルリアルトの森の向こう。ゲルトステインへと続く平原に向かって一本の大きな道が通っている。
荷車が数台通れるほどの道幅だ。
外部からの流入者を厳密に見極めていたルリアルトの在り方からは考えられなかった。
ルリアから住人達へは予め通達がされていた。
ただ、それが数日で実現されるとは思っていなかったし、聖獣が守る女神の都の所以を目にすることになるとも思っていなかった。
ルリアルトの街を拡張し、整備する。
住人のドワーフ達はその通達に自分達の仕事が出来たと息巻いていたが、ルリアルトの目前に広がる巨大な森の約半分を整地したのはロキをはじめとした元ダンジョンマスター達であり、ルリアルトから伸びる大きな一本道を舗装整備したり、外壁範囲を拡張したりと一番働いたのは地属性魔法を得意とするレナスであった。
話し合いの後、挑戦者達の訓練用ダンジョンはルリアルトに最も近かったシームルグのダンジョンだけを残し、拡張した外壁の内側に入るように区画も整備した。
大きく広がっていた森も、森という体裁は保ててはいるものの、元の大森林と比べると縮小されていた。森を棲家にしていただろう魔物がゲルトステインに行かないよう、しっかりと危険な魔物は調教済みであり、牙を剥いたものは排除していた。
そんな拡張されたルリアルトと目と鼻の先にある平原に、千人程の人が集まっていた。
ゲルトステインの王侯貴族の一部とその護衛の兵士や冒険者達、そして何が起こるのか興味本意でやってきた商人やゲルトステインの国民達だ。
アメリアは十二分に仕事をしてくれたようだ。
その大勢の人の前に立つ四人の男女。
挑戦者達を纏める慧族のラミアス、見張りを率いるエルフ族のルーク、そして鍛冶街を仕切るドワーフ族のゴダンと商売を取り仕切る狐の獣族メロウだ。
ルリアが直々に四人に頼み、これから行うショーの進行をお願いしたのだった。
そんなルリアとバルト、レナスとミリスは森の陰からことの成り行きを見守っている。
「私はゲルトステイン第一王子のファウスト! アメリアに言伝をいただき、恩義に報いるため我らゲルトステインここに参上仕りました。此度の御用件をお伺いしたい!」
ゲルトステイン側の先頭にはファウストがおり、その隣にアメリアと、恐らくは現国王と思われる老齢の男がいた。
「う……えぇと」
ファウストの堂々とした言葉に、王侯貴族と相対することに不慣れなラミアスは緊張している。
そんなラミアスの肩に手を置くとルークは一歩前に出る。
ゴダンとメロウは成り行きを見守る。
二人はその役目だけという約束でここに立っていた。
「ルリアルトのルークだ。こいつはラミアス。ドワーフはゴダン、獣人はメロウだ。女神様、そして聖獣様の庇護を受けてこの先のルリアルトに住んでいる。此度は、女神様の命を受け、貴殿達に伝えたいことを私が代行して申し上げる!」
ルークの声にゲルトステインがざわつく。
「ルリアルトって本当にあったのか?」
「聖獣に守られた女神の都だろ? 噂話、いや、御伽話の世界じゃないのか?」
「あいつ、エルフだぞ」
「女神とか聖獣とか、本当にいるのかよ」
「隣のやつ見たことある、確かAランク冒険者だったような」
「ドワーフとエルフが同じ街に住んでるのか」
「あの獣人、色っぽいな。いくらだろう」
「奴ら、国王様のお命を狙っているんじゃないのか?」
「おっほ、これは新たな商売の匂いがしてきますな」
王族を除く全ての者達がざわついた。彼らは王族が何故、この場に来ているのか知らない。
戦でもなく、ただ面白いものが見られるから着いてきて構わないという御触れだけを見て、着いてきた者達だ。
そのためルリアルトという言葉そのものにざわついたのだ。
「静かに! 彼らルリアルトはゲルトステインを救ってくれた恩人である! 失礼な発言や、これから何が起ころうとも剣を抜いたり変な気を起こすことは許さない!」
ファウストの声が平原に響き渡る。
その声に、ざわつきがピタリと止まった。
「続けてください、ルーク殿」
ファウストはルークを知っている。
ミリスと共にゲルトステインの混乱を治めたメンバーであり、ミリス達がゲルトステインに滞在している間にいくらかの親交もあった。
知らない仲ではない。
「私達は侵略や略奪、他者を侵害することを許さない。民はみな、女神様のその想いに賛同し、故にルリアルトに争いはなく、外部からの侵略行為は全て女神様や聖獣様によって防がれ、ルリアルトの場所は秘匿され続け、千年の平和を築き上げてきた」
「千年……」
「そんな昔から――」
またざわつき始めた者達に、ファウストが手を挙げて喋るなと無言の圧力を放つ。
ファウストの目の合図を受け、ルークは続けた。
「此度のゲルトステインへの侵略を受け、私達は在り方を見直すことにした。国が違えど、侵略行為により苦しむ人々を放ってはおけない。故に、ルリアルトはその存在を隠すことをやめる! ゲルトステインとの二百年続く約定より、秘匿の項を削除しよう!」
その発言に顔色を変えず、ファウストはルークの言葉を引き継ぐ。
「承知した! 不可侵の項はこれからも守り続けることを改めてここに誓う!」
ファウストの言葉にゲルトステインが再びざわつく。
今の会話を聞いて、王族達がルリアルトとの約定――昔から関わりがあったことを認識し、その存在を確たるものと理解したのだ。
「しかし、この場の者達には聖獣様を知らぬ者達も多い。もし万が一にでも貴国や貴国の民に対して不埒を働けばどうなるかをお示しいただけないだろうか」
ファウストは楽しそうに声を弾ませているのをバレないように声を抑えてはいたが、その表情には笑みが浮かんでいる。
このやり取りは全て事前にファウスト達と決めていた内容だ。
段取りの通り、滞りなく進行しているが、ここからはどうなることかわからない。
それがまたファウストの口元を緩める要因だった。
「よいだろう、聖獣様をお呼びする。決して武器を手に取らぬことだ。もしそのような行動をとった場合、命はないと思ってほしい」
「承知した。皆のもの、聞いた通りだ! 変な気は絶対に起こすな。恐ろしいものは今のうちにゲルトステインへと走れ!」
ファウストのその声にも、引き返すものは誰もいなかった。
それは王族への忠誠心からか、はたまたただの好奇心か。
いずれにせよ、次の瞬間にそれは明確になった。
ルークが森に向かって手を挙げる。
するとルーク達と森の間の空間に、光が瞬いた。
まずはフェンリルのベルが。
そしてシームルグのシャル、そして、グリフォンのイグルス。
しかも、ミニ版ではない、本来の大きさだ。
三体が姿を現した途端、ゲルトステインは大恐慌に陥った。
逃げ帰ろうと踵を返し始める者が出始めたため、トドメの一撃、ルリアは森の中からロキを急いで平原へと呼び出し、それに合わせて獣化したレナスとミリスも顕現した。
レナスとミリスはロキ達には及ばないが、それでも人間からしてみれば巨大な存在だ。
バルトも二人の本来の姿を見たのは初めてだった。
阿鼻叫喚とはこういうことを言うのだろう。
事情を知っているはずの王族の一部でさえも恐怖のあまり引き返すことを護衛に命じて踵を返す。その様子を見た者達が、続々と悲鳴を上げながら我先にと走り出す。
兵士の一部、恐らくは近衛騎士だろう者達は流石に残った王族のそばを離れず。しかし、剣を取ることも許されていなかったため、その体を王族の前に置くことしかできなかった。
ただそれさえも賞賛に値することだ。
剣を抜かなかったのは恐怖から抜けなかっただったのかもしれないが、ファウストの命令を守り剣を抜かなかったのかもしれない。
どちらにせよそれが正解であることに変わりはなかった。
災厄とまで言われる伝説級の幻獣がズラりと並んだその光景は森の中から見ているバルトでも圧巻だと感じた程だった。
悲鳴が聞こえなくなり、平原に残った数名の王族と騎士達は合わせて五十程。
当然のことながら、現国王、ファウスト、アメリア、メルもその場に残っていた。
そして森の中で様子を見ていたルリアとバルトは、漸くその場へと姿を現した。
「お初にお目にかかる、女神様よ。ゲルトステイン国王、ドラス・ステインである」
ルリアを目にした国王は、即座に膝をつき、ルリアへと頭を下げる。
ファウスト、アメリア、メルもそれに続き、その姿に刹那戸惑いを見せた騎士達だったが、すぐにそれに倣った。
「ルリアよ。頭を上げてもらわないと困るわ。私達は主従の関係ではなく対等なのだから。一国の王がそう易々と頭を下げるものではないわ」
かたじけない、とドラスは立ち上がる。
そこに怯えはなく、ただ極めて紳士的な老齢の男がいた。
「ファウストはご要望通りに対応できましたかな?」
「えぇ、ありがとう。十分よ。やはり国王の嫡子だけあって、何をやってもうまいわね」
「これはこれは、お褒めに預かり光栄の極みですな」
社交辞令のようなやり取りが交わされる。
閉鎖的であったはずのルリアルトなのだが、ルリアのこの外交への意識の高さを隣で見ていたバルトは感嘆の息を吐く。
「怪しい者はいた?」
『いたよ、真っ先に逃げた。恐らく偵察だね』
誰にともなく投げかけたルリアの問いに、獣化しているミリスが答える。
ただ獣化しているからか、その声の響きはこもっていて普段のミリスの声とは違って聞こえた。
「なんと! やはり紛れ込んでおりましたか! 流石の慧眼にございますな」
ドラスが驚きながらもルリア達を称賛する。
ルリアルトに斥候を出した者達が、この機会に乗じないわけがない。
そのため紛れ込みすらも想定のうちだった。
「これでルリアルトの存在とゲルトステインとの関係も他国に知れ渡るはずよ。変なことがあれば、いつでも言ってちょうだい」
「ありがたきお言葉――」
「もう一つの約束も、期待しているわよ。お隣さんが政情不安定だと何かと困るから」
「そうですな。ご迷惑をかけぬよう尽力いたします。貴族制度など、廃止してしまいますかな」
ふぉっふぉっと笑いながらも、その目は笑っていない。
ゲルトステインに染み渡っている国内の悪意をどう一掃するか、それがドラスに与えられたルリアルトからの宿題だった。
先日のミリス潜入時においては基本的にアサシーダの者達の排除をしたまでである。
それなりに続いた国であると、何かとしがらみがあるものだ。
恐らくそのしがらみと真向勝負をすることは危険も多い。いつ命を狙われるかわからない状態を作ることになる。
それをファウストやアメリアが乗り越えられるか。
二人とも筋の通った者達であるが、命の危険を乗り切れるかはわからない。
しかし、苦難は待っていようとも、やり切る覚悟はあるだろう者達だと思う。
そんなファウストは周りをキョロキョロと見回していた。
誰かを探しているようだ。
「兄様、どうしたのですか?」
「いや……ミリス嬢がいないなと」
「……」
アメリアは知っている。
目の前に座している銀豹がミリスであり、赤熊がレナスであることを。
レナスから教えてもらったその情報を、アメリアは律儀にも誰にも言わずに一人で抱えていた。
そして、ファウストがミリスを気に入っていることも知っていた。
それが叶わぬ想いであることも理解している。
バルトに抱きつき甘えるミリスの姿を目にしており、その姿からミリスの心に他の男が入る余地はないのだと。
だから――
「御父様、お話が終わりましたなら、私達も早く戻ってルリアルトのことを皆に知らせなければなりませんね」
この場から立ち去ることを促した。
「あぁ、そうだな。それではルリア様、我々はこれで失礼する。今後は交易などもさせていただければありがたい」
「悪意がないのであればいくらでもいらっしゃい。商人は常に受け入れるし、もうルリアルトは開かれているのだから」
「ちなみに、悪意があるとどうなりますかな?」
「追い返す。既に悪意を持って他者を侵害して命や尊厳を奪っていたりする匂いがするのなら、この子達がそいつを殺すでしょうね」
「承知しました。民達にはしかと言い聞かせましょう」
ルリアと握手を交わすと、ドラス達はゲルトステインへと戻って行く。
帰途の間もずっと、ファウストは周囲を見渡していたが、ミリスは我関せずと言ったように毛繕いをしていた。
「さて、終わったわね。みんな、お疲れ様。ありがとう」
「とんでもありません」
「このくらい、屁でもねぇですぜ」
「俺ぁ立ってただけだしな」
「わたくしも何もせずで、なんだか申し訳ない限りです」
ルークやラミアス、ダゴン、メロウに労いの言葉を掛けると、みな口々に大したことはないと言う。
台本通りに演じてくれた、それで十分ルリアは助かった。
大勢を前にルリアや人型のレナス、ミリスが姿を見せなかったのは、顔を覚えられたくなかったからだ。
だから代行者という手段をとった。
ルリアが最後に顔を出したのは、王族への敬意であり、また、あの場に残っているものであれば余計なことはしないだろうという期待の表れだ。
「でもなんで顔を覚えられたくなかったんだ? 開国――というのは少し違うかもしれんが、外交するならむしろ覚えられた方がいいような気がするんだが」
ずっと側に控えることしか出来ていなかったバルトが漸く聞きたかったことを口にする。
そんなバルトに、ルリアは悪戯っぽく笑う。
「別に外交したいなんて思ってないわよ。それよりも、可能性を広げたかったというだけ」
「可能性?」
「えぇ、あなたの人生を豊かにするための可能性」
なんだそれは、とバルトは首を傾げる。
「バルトは私といると幸せでしょ?」
「もちろん」
バルトの即答に、ルリアの笑みが溢れる。
「バルトは何がしたい?」
「ルリア達が幸せに笑える日々のために、俺に出来ることをしたいと思うが、な、なんなんだよ一体?」
ルリアは満足そうに微笑む。
「じゃあまずは、ルリアルトを盤石なものにしましょ。私達がいなくても、平和な街であり続けられるように」
それは確かに重要だとバルトも思う。
いつまでも自分達がここにいられるとは限らない。
生者の限界を超えているとは言っても、ルリア達だっていつ死ぬかもわからないのだ。
もちろんバルトがいる限り、誰かにその命を奪われるなんてことはもう絶対にさせないが。
「わかった、手伝うよ。女神様」
「もう、あなたは女神なんて言わないでよ」
「なぁ、続きは塔に帰ってからにしてやろうぜ」
「そうそう、私達は慣れてるが他のみんなに毒だ」
仲睦まじく話す二人に、レナスとミリスが人型に戻って間に入る。
周りを見れば退屈そうな幻獣達と、ルリアが見せたことのない笑顔で話す姿に呆然とする四人。
「大将、あんた、女神様と知り合いだったのか。ならその強さも納得だぜ」
「確かにな。まぁ俺ぁ何かあると思ってたがなぁ」
ラミアスとゴダンがバルトを見て苦笑いする。
「わたくしは街中で一度、同行されているのをお見かけはしましたが、ここまでの仲とは思いませんでした」
ルリアに馴れ馴れしくしすぎたようで、メロウをはじめみんなに悪印象をつけてしまったかとバルトは不安に駆られる。
「ラミアス、大将というこちらの方は?」
唯一顔を合わせたことがないルーク。
そのルークもバルトを見極め兼ねているようだ。
「噂で聞いたことあるだろ。挑戦者達の主力がのされたっていうSSランカーの話。それが大将だよ」
ラミアスの紹介に、バルトはルークとメロウに改めて挨拶をして、握手を交わした。
「なるほど。いつかお手合わせをお願いしたいものです」
「ルーク、まずはシームルグのダンジョンで鍛錬に励むべきだ。主人はそこにいるグリフォンとフェンリルの契約者だぞ」
割って入ったのはミリスだ。
「「「え?!」」」
「主人?」
そのミリスの発言に三人が驚きに目を見開き、ミリス親衛隊のルークは『主人』という言葉を疑問に思う。
「ダンジョンマスターがルリアルトに従ったって話を聞いた時から女神様やお二人がやったと思ってたが、大将も一役かってたのか! ハハッ! こりゃすげぇや!」
「なるほど。そのお力を見込まれてお側にいらっしゃるのですね。私もそれくらいの力をつければミリス様の側に置いていただけるだろうか」
ルークの言葉をミリスが優しく否定する。
「いや、ルーク。主人は、私達の主人であって、側近ではないんだ。むしろ側近は私達さ」
再び出てくる『主人』の言葉。
その言葉に四人とも思考が止まった顔をする。
何とか誤解のないようにバルトは説明を補足した。
「あー……えーとな。こいつらとは以前、家族のように暮らしてたことがあって――」
「ような、じゃなくて家族だろ旦那」
少し不満げにレナスが横槍を入れる。
「いや、そうなんだがわかりやすく言おうと――」
「そうね。わかりやすく言うなら、私が正妻で、レナスとミリスが住み込みの護衛かしら」
「っておぃおぃルリアさん?」
家族がどうして妻になるんだと、いや、妻も確かに家族だが。
バルトのツッコミなどお構いなしにルリアがレナスとミリスにドヤ顔を決めている。
レナスとミリスは案の定、不満を訴える。
「「そこは側室だろルリア!」」
「ってお前らも妻ポジかよ!」
そんなやり取りに幻獣達は飽きたのか、いつの間にか姿はなく、残された四人はもはや何も言えなくなっていた。
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