第7話 備え
ルリアルトは街の西側を森に囲まれ、東側は崖と海という中々に自然の要塞と呼べる街だった。
海の中にも魔物が潜んでいることから、他者からの侵攻は基本的に西側の森からしかあり得ない。
街の建設を始めた当初はここまで深くなかった森も、百年も経てば鬱蒼とした自然の防壁となり、また国境線となっていた。
森の先はゲルトステインというここ二百年程度の若い国へと至る道がある平原となっている。
建国早々に森に侵攻してきたゲルトステインをレナスとミリスが完膚なきまでに叩きのめし、当時の国王が自ら謝罪に赴き、ルリアルトには関与しないことを誓ったことで国家滅亡には至らなかった。
逆に不可侵を誓ったゲルトステインはある意味ではルリアルトの西の防衛線となった。
ルリアルトへと侵攻しようとした者がいた場合は、ゲルトステインを襲撃しないことには出来ない。
仮にゲルトステインに気づかれないように侵略を謀ろうとするのであっても、大軍を率いてくるはずであり、そのような動きがあるようであればゲルトステインを通らざるを得ない。
それをそのまま通すようであれば、ゲルトステインはもはや約定を破棄したということになる。
いずれにしろ、必ずゲルトステインに動きがあるはず。
そう確信していたミリスは、国境線となる森の端の中央を見廻りの拠点とし、森の中を巡回してはなるべくこの場所の背の高い木の上に身を潜めていた。
そして案の定、ゲルトステイン側から動きがあるというその読みは当たったようで、馬が二頭、猛スピードで森へと近づいてくる。
一頭には男と少女、もう一頭には女が乗っていた。
森の前で男が馬から降りる。服装はみすぼらしいが、ピンとした背筋や下馬の立ち居振る舞いからして、貴族なのかもしれない。であれば、服装のミスマッチ感は面倒ごとの証左とも思われた。
その男は森に向かって一礼をすると、声を張り上げた。
「私はゲルトステイン第一王子のファウスト・ステインである! ルリアルトの女神様、そして聖獣様よ! 約定に反してこの場に参じたことはお詫びする! だがどうか我々の声を聞いてほしい!! 我々に敵対の意思はない!!」
貴族かと思えば王族だった。
真偽の程は確かではないが、嘘をついている匂いもしない。
どことなく、過去にルリア達に詫びを入れに来た王に似ている気もする。
何より約定に関して口にするということは恐らくは本物なのだろう。
ミリスがすぐ側にいることなどわかっていないはずだが、ファウストと名乗った男は森が全てルリア達の監視下にあると思っているようだ。
ミリスが偶々ここにいたから良いものの、いなかったら彼らはどうしたのだろうか。
そんな疑問を抱いたが、そんなことは瑣末な話だ。
今は目の前の三人だとミリスは思考を切り替える。
三人からは確かに悪意を感じない。
ミリスは獣化しようか迷ったが、そのままの姿で木から三人の前に飛び降りた。
ファウストは突然の出現に警戒し、腰に下げていた剣を抜いた。
女も馬を降りており、少女が乗る馬の前で少女を守るように立っている。
少女は明らかに怯えていた。
「何者――」
しかし、ファウストは口を開くが、すぐに剣から手を放し、両手をミリスに向かって上げると膝まづく。
敵意はないと示したのだろう。
「失礼を。その美しさ、女神様とお見受けする。我々の話を聞いてもらえないだろうか」
ファウストのその言葉にミリスは刹那、面を食らったが、鬼気迫るファウストの様子を優先した。
「お前の言う女神様ではないのだが、ルリアルトの者だ。話とはなんだ、ゲルトステインの王子よ」
ファウストはミリスの言葉に安堵するように一息吐くと、覚悟を持った眼差しで言葉を紡いだ。
「単刀直入に申し上げる。この二人をルリアルトで受け入れていただきたい」
◇◇◇
「ゲルトはちゃんと、約束を守ったのね」
塔の貴賓室で、ルリアは嬉しそうに顔を綻ばす。
その笑顔はまさに女神の微笑みと言っても過言ではない程に美しく、その場にいたレナスとミリス以外のメイド達は恍惚の表情となっていた。
しかし、ルリア達の目の前に座る女と少女の顔からは緊張は消えない。
第一王女でありファウストの妹であるアメリア・ステイン、そしてその世話係兼護衛のメル・ブライアと名乗った二人だ。
ルリアの言うゲルトはファウストとアメリアの父である現国王の五代前らしく、彼は建国王だった。ざっと約二百年程前の話だ。
不可侵の約定以降、ゲルトステインはルリア達との約束を守り、ルリアルトを王族にしっかりと語り継いできた。
ルリアルトに害をなさぬように立ち回り、そしてその存在を秘匿し続けてきたのだ。
しかし、今般、ゲルトステインの南に隣接しているアサシーダに不穏な動きがあり、ゲルトステインと戦争が起こるかもしれないとのこと。
すでにゲルトステイン内部にもその手が伸びつつあり、ゲルトステインの重鎮達がこの数日の間に姿を消している。危機的状況と判断した現国王は第一王子と第一王女をルリアルトにダメ元で託そうとしたらしい。
アメリアの話が事実なのであれば、ファウストもここにいなければおかしいのだが、ファウストは「第一王子としての責務を果たす」とアメリアとメルをミリスに託した後、ゲルトステインへと帰っていったらしい。
芯の通った王族達だ。
今、目の前にいるアメリアも自分だけがルリアルトに保護されていることを許せないようだった。
「女神様、何でもします。必要であれば私の命も捧げますので、どうか兄様を、父様を、我が国の民達をお救いいただけないでしょうか」
「姫様、それは――」
「メル」
「っ……失礼いたしました」
十にも満たないであろう少女が、自分の全てを材料に、一国の代表として他国の代表と交渉をしようとしている。
それを止めようとした世話係を諌めた姿は、少女とは思えない凛々しさがあった。
ただその瞳に涙が浮かんでいることは、これが本当の交渉であれば未熟としか言えない姿だ。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
真っ直ぐに誰かを守りたいという想いが、ルリアにとっては大事だった。
だが安易に助けるとは言えない。
王族が高潔であっても、その国民全てがそうとは言えない。
自分達の国のことを棚に上げるのかという話になるが、そもそもルリアは自身を高潔とは思っていないし、ルリアルトの民達の忠誠度と誠実さは他国ではあり得ないということはルリアでも理解している。
だからこそ、安易に助けるとは言えない。
ルリアルトの民達と他国の民達は、恐らく簡単には共に暮らすことは出来ない。
この世界に争いがあるということが、その証である。
人が集まれば様々な感情が生まれ、そこには好悪の感情からの対立も生まれる。
人が多ければ多いほど、そこに悪意という魔が刺すのだ。育ってきた環境が異なれば尚更だ。その悪意を打ち消すだけの自律心や抑止力がなければ、ルリアルトは外の世界の者達と共存は出来ないのではないかと思ってしまう。
「私達は、他者を侵害し、奪うことを許さないわ」
その言葉に、アメリアの顔に光がさす。
それが大きな期待に変わる前にルリアは続けた。
「この街の人達はみんな、それを理解し、絶対のルールとして生きている。だから平和なの。貴女達の国は、みんなそういう人達かしら?」
アメリアは何も言えなくなる。
ゲルトステインには貴族も平民も貧民もいる。そこには少なからずわだかまりがあり、争いも――言うなれば殺人事件も起きている。それは決して平和とは言えない。
「ただ、それが手を差し伸べない理由にはならないとも思っているわ」
「あ、ありがとうございます!!」
アメリアは途端に明るくなる。
しかし、ルリアは手を挙げ、それを諌める。
「待ちなさい、条件付きよ」
「……条件とは?」
「ゲルト・ステインの血を引く貴女達が今まで通り、ルリアルトの名は一切表にださないこと、ルリアルトに一切の危害を加えないことを永代守ってほしいということ」
「もちろんです!」
「それともう一つ、悪意に満ちた者を私達は助けない。それがもし貴女の大事な王侯貴族であっても。もし助けたいなら、この話は無しよ」
こう言うと人を選別しているようでルリアは非常に気分がよくなかった。
しかし、事実選別なのだ。ルリアルトを守るために街の統治者としてルリアルトに近いゲルトステインで悪人を許すわけにはいかなかった。
「……構いません。もし女神様のお許しをいただけるのであれば、我々ゲルトステインはルリアルトの属国となります」
「姫様!? 勝手にそのような――」
アメリアの発言は少女とは言え、一国の代表者としての発言となる。
メルはその危険性を十分に理解しているためか口を挟むが、ルリアによって遮られる。
「属国なんてやめてちょうだい。私達の街は支配なんて望まないわ。この街のみんなも、好きでこの街にいてくれて、好きでみんなのために動いてくれているだけなの」
「大変失礼致しました。それではこのアメリア、生涯をルリアルトのために捧げさせていただきます。ご配慮に感謝を」
アメリアは立ち上がると、ルリアに華麗に一礼をする。
慌ててメルもそれに合わせた。
ルリアは構わないと、再び二人をソファに座らせる。
「ファウスト……だったかしら? 第一王子にこの話を取り次ぐのが一番話が早いと思うのだけど――」
「私が行こう。ファウストにも顔を知られているからな」
誰が行くべきか。そう思案する間もなく声を上げたのはミリスだった。
ミリスは行間をよく見ている。冷静に事に徹することができることもあって適材だ。
「そうね、ミリスにお願いするわ。あとルーク達にも同行をお願いしなさい。街中で守る以上、目立てないという制約があるのだから、彼らに頼るべきよ」
「御意」
ルークというのはミリス親衛隊とも言える見張り達の筆頭エルフだ。
見張りは基本的に全員、索敵能力と隠密行動に優れた密偵になれる者達であり、エルフ、慧族、獣族で構成されている。
流石に気性が荒めで筋肉で解決しがちなドワーフには不向きな仕事であり、見張りの中にはいなかった。
「それと――」
託されたアメリアを同行させるのはよくないだろう。
だが、ここで交わされた事実を伝えてもらわなければならない。
メルはアメリアの世話係兼護衛であることを踏まえると側を離れることはしないだろう。
どうしたものか。
「メル、今の話をお兄様に伝えて。こちらに保護されている限り私は大丈夫だから」
「姫様……承知しました」
話の流れを把握したアメリアがルリアの言葉を継いで続けた。
主に不安、そして様々な表情がメルを満たしていた。
「安心なさい。大事なお姫様、賓客として丁重におもてなしさせてもらうわ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
アメリアとメルは同時に礼をし、しばしの別れに抱擁を重ねるのであった。
◇◇◇
「ラミアスはいるか?」
酒場に響き渡るくらいの声をあげたのは、酒場の扉をくぐってきた赤毛の美しい獣人――レナスだった。
そのレナスの声に、酒場の奥の訓練場からドタバタと猛スピードで駆け寄ってくる厳つい顔をした巨漢がいる。
「レナス様! ラミアスはここに!!」
そのままのスピードでレナスの目の前にひれ伏すラミアスは、その厳つい顔からは想像できない程に恍惚な表情を浮かべていた。
「このラミアスにどのような御用でしょうか?!」
「すまん、頼みがある。何人か見張りのサポートに回してやってくんないか?」
これから起ころうとしていること、そして見張りの数人がミリスに同行することを伝えると、ラミアスは即座に動く。
「御意ぃ!!」
「いつもサンキューな。見張りにはミリスから話が通ってるから、レナスから言われたって言えばあとは見張りの指示に従ってくれたらいい」
「御意ぃぃぃ!!」
「あと、ダンジョンに潜ってる奴らも、できる限り備えてほしいから戻ってきてくれって伝えてほしい」
「お前らぁ!」
「御意ぃぃぃぃぃ!!」
ラミアスの掛け声に挑戦者一同はまるで戦場であげる鬨の声のように叫ぶ。
「ハハッ、お前達はいつも元気で楽しいな」
笑うレナスに一礼すると、ラミアス達はすぐさま駆け出した。
「レナス様、侵略者でも来るのですか?」
空っぽになった酒場のマスターが、自分にも何か出来ないかと申し出てくる。
「大丈夫、心配はいらねぇよ。それよりもあいつらはここで飯食って酒飲むのが楽しみなんだ。あいつらのために腕を振るってやってくれ」
「はい。承知しました」
「そこは御意だろマスター」
「ぎょ、御意!」
「ハハッ、うそうそ、気にするな。さて、じゃああたしは念のため守りを固めっかね」
肩をグルグルと回しながら、レナスは外壁へと向かおうと酒場を出ると、そこにルリアがいた。
どうやらレナスを探しに来たらしい。
「少し出掛けてくるわ。一日もあれば戻って来れると思う。任せていい?」
「あいよ、いってら」
ルリア達はこの街が出来て以降、三人同時に街を離れることはしていない。
万が一ということも考え、三人のうちの誰かしらは街に残るようにしていた。
今では結界のこともあってそうすることは最早3人の中でルールとなっていたが、元は誰かが言い出したことでもなく、何となくいつからかそうなっていた。
今はミリスがゲルトステインに行っているため、ルリアも離れるとなればレナスが街に残らなければならないということだ。
ルリアも何かすべきことがあるのだろう。
内容を口に出さないのは、迎えに行くことにしたのかもしれない。
バルトがダンジョンに潜ってそろそろ十日。
レナスとしてはいい加減戻ってきて欲しい頃なのだが、動向は知れない。
ルリアが心配してないことから、生死に関わることはないと思っているが、あれだけルリアに再会できてわんわん泣いていたにも関わらず、いかがなものかと。
帰ってきたら、一言文句でも言ってやろうか。
「ったくあの旦那。あぁ見えてルリアは寂しがりなんだ。早く帰ってこいよ」
笑みをたたえながらロキを従え、街を歩く姿はいつ見ても王者の――いや、女神の風格だ。
しかし、その中身をレナスとミリスはよく知っている。
寂しがり屋の甘えん坊のワガママ娘だ。
それがこれだけ放ったらかしにされているのだから、レナスが文句を言わずとも、ルリアからお灸を据えられるかもしれない。
表向きは優しそうに見えるルリアの恐ろしさもレナスはよくわかっている。
「ひぃ〜こわいこわい」
触らぬ神に祟りなしと、レナスはルリアの背を見送りながら、やはり成り行きに任せようと思い直すのであった。
◇◇◇
「ということで、ついてきてほしいのだけど」
目の前に佇む巨大な鳥に、ルリアは話しかけていた。
ロキが言っていた、ダンジョンの中で最も話が通じるダンジョンマスターだ。
ルリアの衣服と同じ淡い青白色が魔力光により一層輝きを増している。
その神秘的な美しさにダンジョンマスターだということを忘れてしまいそうになる。
本当ならここにバルトが来ていたはずなのだが、ここのダンジョンに入った時に、ロキが偽りを伝えていたことが発覚した。
一つのダンジョンが消滅したとロキから聞かされ、バルトが無事ということはわかったが、同時に今こうして存在しているこのダンジョンにバルトがいないことも発覚。流石にタチの悪い悪戯だった。
ロキは試練だと主張したが、バルトを危険に晒したことへの罰は存分に与えた。
いずれにしろ、ルリアがこのダンジョンに来た理由は目の前のダンジョンマスターのためであったため、現在交渉中というわけだ。
『愚かで下劣な人間の話など聞くに値しないでしょう。妾は鳥の王、シームルグ。貴女の命をここでいただきましょう』
ルリアの誘いに対して返ってきたものは、断固拒絶する意思と、翼から放たれた毒の飛沫だった。
『話が通じるとは言ったが、お主がやるならこの病んだ精神を浄化するか叩きのめすかせんと無理じゃぞ?』
「もう、早く言いなさいよ」
『言ったはずだが……余がやってやろうか?』
「不要よ。あなたと違って随分優しそうなダンジョンマスターだもの」
ルリアは手を翳して毒の飛沫を消し去ると、ロキの前から姿を消した。
ロキがシームルグへと目をやると、シームルグの頭の上にルリアがいた。
『本当に恐ろしいハイエルフじゃな』
普通に考えたら一瞬で行ける距離ではない。
シームルグもその一瞬の出来事を理解出来ておらず、自身の頭の上にルリアがいることすら認識できていないようだった。
「安心なさい。人間も捨てたものではないと、私達が証明してあげるから」
ルリアはかがみ、手のひらをシームルグの頭へと置く。
シームルグが眩い光に包まれる。
その光が収束した時には、勝負は既についていた。
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