ヴァーティゴとバードストライクな日々

伊生仁鵜

Ep1 ソロモンよ私はかえってキタ――(゚∀゚)――!!

 原稿用紙月産二百枚というのは、いつぶりなのだろう。適応障害になって心療内科を受診して以来の約十六年の間で、二百枚スケールというのは一度あったかどうか。まあ、令和の初めころから比較的メンタルは落ち着いていて、むしろ小説なんて書いているバヤイじゃない異常事態のアジャストのために日々を費やしていたため、十六年の中のおしりの六年は病気とはかかわりのないブランク期間だったのだが、いずれにせよ本当に久方ぶりに書き始めたわけである。この九月はリハビリ期間として、まあまあな感じであった。何より脳みその負荷がさほどでない。若いころは頭部のヒートシンクがいまいちで、すぐにへばって思考が止まった。二十代のころ、二日で一五〇枚書いたことがあったが、内容なんてろくでもない。ただ量を書いたというだけだった。

 執筆というのは、オケの総譜を見ながら自分のパートを吹くように書くみたいなところがある。当然ながら脳みそ内でのこういう思考、気構えは、猛烈に損耗する。自動車運転免許取得のための学校(新潟では車学という)で、右見て左見て前見て後ろに気を付けてと言われて、あんさんそりゃあご無体な涙のリクエストやと初心者が泣く状況に似ている。慣れればどうということはないのだが、脳内処理の同時進行というのは慣れるまでは実に難儀だ。今は昔に比べて随分とそういうのが減った。さして疲れもしない、へばりもしない。体力そのものは当然に若いころからガクリと落ちているものの、マルチタスク型の思考については若い頃より断然にスタミナがついているのである。それはブランクを経ても、別に劣化はしていなかった。

 さすがに書く方は多少ともトンチンカンになっていたが、半月もすると随分とサビが落ちてきた実感を得られた。現状は、わりと今が全盛期なのかなと。自然の呼吸で、気負わず背伸びせず書けるというのは、実に大きな安心材料だ。

 そもそもとして、書くというのはなまじなことではない。

 音楽を聴く耳を持つ人ほど、メロディラインだけでないところをしっかりと聴き、聞き分け、感じたことを見事に言語化するものだが、書くことも全く同様で、書いてあることを額面通りに読むだけでは読むという行為においてギリギリの及第点なのであって、それはリアルにおいて他人のしゃべくることをそのまま受け取るだけの人間の薄っぺらさに全く等しい。書くというのは一本の線のみを描きつつも重奏であるという殺人的な作業である。まず、この点の自覚の有無からしてが第一のハードルで、第二のハードルは例え自覚があったところでそれをアタフタせずにやれるかどうかということになってくる。筆致というのはむごいもので、ちっとでも腰と料簡が上ずってイキがっているようではすぐに露わになるし、怯えていても同様で、要は知識として有していたところで実地として当たり前に使えこなせないうちは全くダメなわけである。これもリアルで例えれば、女の口説き方をネットで学んですぐに実践するバカタレにぽわわんとなる相手がそうはいないのと同じになる。ぽわわんになってくれる相手は相当にウブだからそうなってくれるだけなのであって、手練れを口説くのは一周回るしかない。

 まずこれを自然の息遣いで気負わず背伸びせず淡々とやれるか。そのくせあらゆる良好な緊張や挑戦心を失っていないか。そういった精神性こそが万物共通のよき気構えであり、書くという行為もそこに当然のようにして含まれるわけだ。

 そのあたりは、若くないというのが実にありがたい貢納になってくれているとも思っている。若いころとは野心の質がまるで異なった。若いころのように文学を功名のための槍の穂先とも到底思えず、またその功名の馬鹿らしさというのも痛感している。ゼニを稼ぐなら、もっと効率的なコスパのいい方法ならいくらでもあるし、カタギとして働きたくないから文学を、というのは、カタギをやってみたらカタギの方がよほど自堕落でイージーにやれることを知れば、実にナンセンスに見えるわけだ。ただ、それでもどうにも埋めようのない虚しさや憤懣を癒すために書くとなると、野心の姿も自ずから異なってくる。まあ若いころverの野心の恩恵を全拒否するほど無欲ではないにせよ、その獲得を目的として愛だ死だポコチソだまんまんだと騒いでいるわけではなくなったし、そういうことも含めて自然な呼吸の範疇に収まってしまっている。三十年も前からweb小説の方面をあんまし好意的でなく眺めてきたので、今更に人気だPVだ読まれねえとかというのも気にならんしなあ。

 それにありがたいことに、わたしゃ余慶で書いているだけで、自分の基盤はちゃんとある。ウケないと死んじゃう病を回避するには、別に自分の存在意義についての強固な城塞を持っておくべきで、この六年はありがたいことにその構築をさせてもらったからねえ。

 てなわけで、ソロモンよ私はかえってキタ――(゚∀゚)――!! ガトーと海原雄山は考えてみたら親子やわな。足して二で割る非ライト非文芸の書き手とか、ソロモンの美食倶楽部とかになりそうや。















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