バルデモラとザイセン 二つの冠と二人の王子

モドキ

序章

バルデモラ侵攻 二人の王子

 バルデモラ王の突然の事故死は王国に暗い影を落とした。王と王妃の間に子はおらず、王の弟ダミルが継承者として皇帝に謁見。王位を継ぐことを正式に認められた。しかし、彼は長らく外国で暮らしていたため、貴族に人気がなく、国民からも殆ど認知されていなかった。

 隣国ザイセン王国の国王ルガルは自身の母がバルデモラ先王の血縁者である事を理由に自分こそバルデモラ王に相応しいと主張。皇帝に王の選定を見直すように要求し、それが拒否されると「血での決着」つまり戦で王位を争う事を選んだ。


 バルデモラ侵攻の際、王は軍勢を二つに分けた。一つはサレグ王子に指揮された三万の軍であった。彼らはアスガル山脈を南下し、バルデモラ北部に侵攻した。もう一方はアストラ王子率いる八万の主力で、サレグ王子の軍勢が北部を攻めた半月後にバルデモラ南部の沿岸地域に上陸、都市や城を攻略した。

 王の予想通り、バルデモラ国王は主力を北部に送り、南部には少数の戦力しか残されていなかった。アストラは城や町を略奪しながら進み、中央を目指した。当初の見立てではとっくにバルデモラを屈服させ、北部のサレグ王子の軍隊と共に残党を掃討しているはずだった。ところが実際には、アストラ軍はスレアという地で足止めを食らっていた。兵糧は僅かで、攻略した港町から伸びる補給線は細く、度重なる奇襲を受けていた。夏の大嵐で、王が寄越した補給船団が壊滅したのも兵糧不足に拍車をかけていた。


 略奪、強姦、虐殺。アストラは抵抗を示した城もそうでない城も徹底的に侵略し、恐怖を与えてきた。が、敵はそれに屈しなかった。当初は簡単に降伏し、容易く陥落していたバルデモラの城であったが、今は違う。包囲している数個の城や砦は頑強な抵抗を続けており、アストラ軍は貴重な時間と戦力を失っていた。何度も総攻撃を掛け、降伏を促したのにも関わらず、各城の守備隊は民達と共に抵抗を続けている。


 陥落しない敵城に焦りと苛立ちを感じていたアストラ。そんな彼に追い打ちをかけるように、伝令から報告が入る。王の軍勢が北部に入ったという報せであった。





 バルデモラ中央部の要所ラニア。崖の上に築かれたこの都市の歴史は古く、まだドラゴンが空を飛び、神々が人々に直接干渉していた時代にまで遡る。伝説では暗黒王グルダの敗戦後、グルダに加勢していた竜王リーゲンと彼を信仰する人間達の一団が小さな居住地を築いたのがラニアの始まりだという。伝説が真実かは分からないが、ラニアが異教徒の人間達によって支配されていたのと、エルフの皇帝から鎮圧を命じられた将軍サディアの軍勢がラニアの地で異教徒達と死闘を繰り広げた出来事は紛れもない事実であり、バルデモラの建国の礎となる歴史の一部であった。

 

 戦い、赦し、人々を愛したサディア。彼女と夫の亡骸が納められた石棺はサーヴェ礼拝堂の地下に安置されている。


「この石棺が?」


「ええ、そうです」


 法衣を羽織った男が微かに笑みを浮かべてそう答えると、騎士は石棺の前に跪いた。脱いだ大兜を静かに脇に置き、鎖帷子のミトンで包まれた両手を合わせる。法衣の男は目の前の騎士の信心深さに感服しつつ、消えた蝋燭に火を灯し、祈りの言葉を捧げる。


 サーヴェ司祭の祈りの言葉を小さく繰り返す騎士の顔立ちは整っていて、端正な茶色のひげを口と顎に短く蓄えていた。司祭のほうは、不老不死の人間種にしては老けすぎていて、白髪と皺が目立っていた。


 騎士は祈りを終えると、兜を掴んでゆっくりと立ち上がり、司祭に笑みを向けた。


「感謝します。司祭殿」と騎士は言った。「今日は我が永遠なる人生の中でも最良の日となるでしょう。偉大なるサディア女王とイバンレラ卿に会うことができたのですから」


 司祭は微笑んだ。


 祈りを終えた二人は地下室を出て、礼拝堂を後にした。礼拝堂は町の外壁から遠く離れた崖っぷちに築かれており、町から流れてくる川が近くにあった。川の水は激しく流れ、勢いよく崖下へと落ちていく。


 もう太陽が沈んで久しいが、月の青白い光によって大地は昼間のように明るかった。「月が綺麗ですな」


「ええ、まさしく」と、騎士は岩の側に留められた愛馬を撫でながら月を見た。「こんなに光り輝く月を私は見たことがありません」


「私もです」


「あなたもですか? この地に生まれて長いのでは?」


「ええ、ですが、私は産まれてから一度もこのような月を見たことがありません」まじまじと月を眺めた後、司祭は笑った。「きっと、サディア女王とイバンレラ卿が貴方様を歓迎されているのでしょう」


 サレグは司祭に謙遜のこもった笑みを浮かべ、静かに月を見た。月光は崖下の平原を青く輝かせ、大地を這うように流れる川を宝石のように煌めかせていた。





「あの時の月は美しかった……」と、サレグは呟いた。「もう一度見られるかもと期待していたのですが……」


「一度見られただけでも、貴方様は幸運ですよ。サレグ様」と、司祭は笑みを浮かべて言った。


 サレグは寂しげに表情を緩ませると、手綱を引き、崖下に怯える軍馬を優しく撫でた。鎖帷子の上に甲冑を着込んだサレグは正に王国の騎士といった姿であった。彼の後ろに控える立派な数騎の騎士達がサレグの威厳を更に高めている。


「それにしてもあの日以来ですな」司祭は町に向かって歩き出す王子の横に自分の馬を並走させる。「私と貴方様がこうして顔を合わせるのは」


「ええ」サレグはため息をついた。「もっと別の形で再会できれば良かったのですが、このような形で申し訳ありません」


「お気になさらず。人は多くの者と顔を合わせますが、終末の日までに再び会うのはごく僅か。貴方様が私とこの礼拝堂を覚えててくださり、こうして時間を作って頂いただけでも私は満足です」と、言った後、司祭は僅かに笑った。「ですが、次は別の形でお会いしたいですな。私はサーヴェの司祭、魂の契りを見届ける者。貴方様がご婚姻なさった際には是非呼んでください。友人と司祭、どちらの形でも喜んで駆けつけますぞ」


「ハハ、素敵な方と巡り会えたなら必ず。……ですが、かなり先の事になるでしょう。私には何の取り柄もありませんので」


「ご謙遜を!」


「いやいや、本当に」





 翌朝、ラニアの大通りは騒がしかった。通りや塔に、王国旗が掲げられ、通りの両脇に整列する王国兵達の後ろで人々が群がっていた。王の軍勢が町に入り、人々は新たな君主の到来を歓迎すべく集まったのだ。

 千人もの武装した騎士達が通りを進み、広場まで馬を進める。やんちゃな子供が兵の列から身を通りに乗り出しても、麗しい女性たちが娼館から手を振っても、銀色の鎧兜に身を包んだ近衛騎士らは顔を動かさない。彼等は規律正しく行進し、広場に到着すると二列に分かれ、広場の入口から教会まで続く道に並んだ。


 騎士達の次にラニアへと入ったのは王だった。彼は少数の従者や騎士に警護され、後ろに大勢の兵士達を引き連れて通りを進む。兜の上に載せられた王冠は太陽の光で黄金色に輝き、見る者全てに誰が王であるかを知らしめている。


 ウィンバーナ辺境伯夫人セリアは、民衆に手を振る父の横で静かに馬を進めていた。世の女性が羨む曲線美と透き通った肌、黒いドレスと彼女の胸元で光る銀色のペンダントの豪華さとそれを着こなす夫人に女性達は待望の眼差しを向け、白く輝く肌とペンダントの下の豊かな胸に男達は目を釘付けにされた。


 夫人は辺境伯の妻である前に国王の娘でもあった。彼女は愛する夫と幼い子供を辺境に残し、王の出征に連れ従っていた。こういった事は度々あった。王は遠征や外遊にはもちろん、何もない時でも娘を呼びつけ、彼女の助言を求めた。王は賢い娘を頼りにしているだけ、周りはそれだけだと思っていた。それだけではないことを知っているのはごく僅かであった。


「見よ! セリア! 町中が我らを歓迎しておるぞ!」


 王はセリアの腰に手を回し、民衆達を手で示した。


 セリアは静かに笑みを浮かべると「当然の事です」と馬を僅かに速めた。父の手が腰から離れると、彼女は再び父の隣に馬を歩かせる。何人の目に今のを見られたか、ミリアはしばし頭で考えた。


 王の一行は民衆の歓迎を受けながら通りを進み、広場に出た。広場に整列した騎士達の間を通り抜けると、サレグ達が王を出迎えた。


「父上!」

「ハハ! 我が勇者よ!」


 王は馬を降りると、息子と抱き合い、彼を称えた。


「お前の軍がラニアを征したと聞いた時、我が心臓は高鳴り、飲んでいた安酒も美酒のように甘くなったぞ! 此度はよくやってくれた!」


 サレグは謙遜のこもった笑みを浮かべる。


「流石は我が弟ね」

「おお、姉上!」


 サレグが近づいてくると、セリアはにこやかな笑みを浮かべ、手を広げて弟を包んだ。その笑顔は暖かく、クスクスという彼女の笑い声には愛情が詰まっていた。


「久しぶりね、直接会うのはヴァモータースの馬上槍試合以来かしら」


「ええ、今でもあの落馬の痛みは忘れません。愚鈍な義弟が再戦を楽しみにしていると、リッタ殿にお伝え下さい」


「ふっ、ええ伝えるわ」


「アストラはまだ南部か?」王が言った。


「ええ」サレグは視線を姉から父へと移すと、わずかにためらい、しかし覚悟を込めて口を開いた。


「兄上はスレアにて交戦中です」


 サレグの言葉が終わるや否や、王は「あやつめ!」と叫んだ。「八万の軍勢を与えてやったに、まだ南部の弱兵どもに手こずっておるとは!」彼は歩き出し、配下の一人に顔を向けた。「我が精鋭二万をタルボット卿に与える。南下し、アストラを助けよと伝えよ」


「はっ!」


「鴉!」


 王が叫ぶと、後ろから素早く黒い鴉が飛んできた。羽根帽子を頭に被り、緑の葉のレリーフを胸につけている。


「はい、陛下」鴉は王の手の平に着地し、翼を畳むと、頭を下げた。「何なりと」


「南部のアストラに我が言葉を伝えよ。増援を差し向けるから、お前はさっさと南部を征し、ラリアに来いとな! 戴冠式の前に必ず来るよう伝えろ!!」


「はっ! 必ずや伝えます」


 勢いよく飛び立つ鴉。


「まったく」

 

 王は憤慨した表情のまま、教会に入っていった。


「おお、なんと壮健な眺めだ」王は教会の広間を眺めると、表情を緩ませた。「我が戴冠式を執り行うに、実に相応しい」


「陛下がこの由緒正しき大聖堂で戴冠なされば、その正統性もより確かな物となりましょう」


 王の取り巻き、ピュータンが言った。彼は痩せていて、その笑いは気味が悪い。


「サレグ殿とアストラ殿のご活躍で、ダミルの勢力は風前の灯。陛下を邪魔するものは何もありません」


「うむ」


 王は満足そうに微笑んだ。


「ですが、父上」薄気味悪く笑うピュータンを冷たく見た後、セリアが口を開いた。「気がかりな点が一つあります」


「わかっている。皇帝の件であろう?」


「ええ、そうです。ドーリン陛下は父上がバルデモラ王になるのをお許しになられるでしょうか?」


「気に病む必要はないぞ、セリア。皇帝は死にかけ、後継者と期待される皇女は幼い。皇帝は事を荒立てて、娘の代に問題を持ち越すつもりはないであろうし、女帝なぞ簡単に手懐けられる。どちらにしても、我らがバルデモラの半分を平らげた今、帝国は余の王位を認めるしかないのだ」


「レンディアヌ皇女が皇帝になられた暁には、沢山の貢物をお送りしましょう」ピュータンが言った。「ご気分を良くされれば我らの味方をしてくださるはずです」


「うむ。貢物は花や宝石がよかろう。女は皆、それらに目がないからな。皇女とて同じだ」


 王の笑い声が響いた。


「皇女が成長したら」王はサレグの肩を叩いた。「我が息子を結婚相手に推薦しようぞ! お前は女帝の相手として相応しい武勇と教養を持ち合わせている! 皇女も必ずやお前を気に入るであろうな! ハハハ!」


 サレグは苦笑いを浮かべた。





 数十日後、タルボット率いる二万の軍勢が南部に侵攻。タルボット軍の軍旗を見ると、南部の諸城は相次いで降伏、タルボットは戦わずしてアストラと合流を果たした。南部の抵抗を強固な物にしていたのは、アストラの残虐な行いへの恐怖心から。降伏しても殺されないと分かれば彼等は喜んで武器を捨てて、門を開けたのである。タルボットがヴィラ聖戦で異教徒相手に寛大な行いをした聖騎士であった事も、南部の抵抗を弱めた要因の一つであった。名声や人徳は悪名や悪行に勝るのである。


 タルボットは、西部のダミル派の領地に攻めようとするアストラを窘め、ラニアを目指した。どうやら王子は王と会う前に手柄を立てたいらしい。成果がほとんど無い状態で王と会わなければならない気持ちは理解できるが、独断は許されない。ラリアに軍を集結させるのが先決だ。


 ラニアに到着したアストラを待っていたのは王からの罵倒と嘲笑であった。主力を任されていながら、弟に先を越された。彼は弁明の機会すら与えられずに突き放された。


 サレグは父から庇い、慕ってくれるが、それがアストラを更に惨めにした。表には出さないものの、彼の心は焦りと嫉妬で一杯だった。父や姉のように突き放してくれたほうがまだ救われるというのに。





「ミスレア……おおう、ミスレア……」


 セリアはベッドに横たわり、時が過ぎるのをじっと耐えていた。首筋に舌を這わせ、欲望をぶつける王。彼は荒い息づかいの合間に亡き母の名を呼び続け、セリアと肌を合わせる。事を済ませると、王はセリアの隣でイビキをかくのであった。



 ラニアの外には静かな礼拝堂があった。彼女はまだ太陽も出ていない早朝に礼拝堂を訪れ、その近くの岩場に腰掛け、崖下に広がる平原を見下ろした。鳥のさえずりも自然豊かな風景も彼女の心を休めることはない。自身への嫌悪感と家族への罪悪感、その二つが彼女を苦しめ、迷わせていた。裏切りと父との関係に終止符を打ちたいが、そうなれば家族に危害が及ぶ。夫に義理を立てれば、父は無理やりにでも引き離そうとするからだ。


 家族の平穏のためには自分が耐えるしかない。日夜ハンマーで打たれる鉄床のように。


 白のローブを着て、風に髪を靡かせる彼女の後ろ姿は美しくも悲しくもあった。


「姉上」


 後ろから声がすると、セリアは後ろを振り向いた。

 

 鎖帷子に優しい笑み。声の主はサレグであった。


「サレグ、どうしてここに?」


「毎朝ここで朝食をつまむのが最近の日課なのです」と、サレグは持っていた袋からパンを取り出し、セリアの隣に腰掛けた。「姉上こそ、どうしてここに?」


「さぁね、気まぐれで」セリアは笑ってみせた。「朝食というけど、私の分はあるかしら?」


「ありません。が、私のを分けましょう」サレグは袋からもう一つパンを取り出し、セリアに差し出した。「次からは姉上の分も持ってきます」


「ありがとう」セリアは手渡されたパンを手でちぎり、口に入れる。普段は温かいパン以外食べないのだが、今のセリアには何よりの馳走であった。「本当にここで毎朝、食事を?」


「ええ、雨の時以外は。おかげで友とも出会えたのです」


「友?」


「見ててください」


 サレグはパンを小さくちぎり、岩の上に置いた。


 しばらくすると、一匹のリスが岩陰から姿を現した。手のひらに乗せられる程の小さなリスだ。リスはサレグが置いたパンくずを掴むと、口に運び、二人を見つめながら口をモゴモゴと動かす。


 サレグは姉がリスに微笑んでいるのを確かめると、リスに「もっと欲しいか? 小さき友よ」とちぎったパンを渡した。


 小さな手でパンくずを取り、口にするリス。


「さぁ、姉上も」


「ええ……上手くできるかしら」と言いながら、セリアは促されるままにちぎったパンをリスに近づけ、それをリスが受け取ると嬉しそうに笑った。その笑顔はまるで少女のようだった。


 結局、セリアは渡されたパンの殆どをリスにあげてしまった。腹は満たされなかったが、リスは彼女を笑顔にさせ、傷ついていた心を満たしたのであった。




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