第11話 捧げる

 エナの騒動の後、僕たちはオクルスの邸に招かれた。僕が満身創痍で、あまり動くことができない状態だったからだ。レオとリュートは<インフィニス>の邸に帰ってもよかったのだが、レオが首領を一人にできないと主張したために一緒にユアンたちの邸に行くことになった。

 邸で客用の寝室に通されて、僕はベッドに横になった。レオとリュートは別室へ案内されたようだ。しばらく休んでいると、外から「入ってもいいか」とレオの声が掛かる。了承するとレオがドアを開けてベッドの傍へやってきた。身を起こそうとする僕を制して、彼はローザに事の顛末について連絡を入れたことを報告してくれる。

「ありがとう、レオ。いろいろやってもらってごめんなさい」

「今日はお前の護衛だからな。気にするな。……そうだ、お前に会いたい奴が来ている」

 レオは扉の外に「もう入っていいぞ」と声を掛けた。途端、そっとドアが開いて、リュートと彼に手を引かれたエナが現われる。エナは劇場で着ていたドレスではなく、先日と似たようなかわいらしいワンピース姿だった。

「――……あの……えぇと……」

 言葉を発しかけて、エナは続きが出てこないのかはくはくと口を開閉した。何か言わなければと可愛らしい顔に焦りが浮かぶ。僕がじっと彼女の言葉を待っていると、傍らのリュートがエナの背中をぽんぽんと叩いた。

「エナは謝りに来たんでしょ。上手く言えなくてもいいから、ちゃんとごめんなさいって言わないと」

「……ルイ、さん……。ごめんなさい……。争いたくないって言ってくれたのに、あたし、話を聞かなくて迷惑をかけました。歌姫として、せっかく認められるようになったのに、その居場所をあなたに奪われたらって怖くなってしまったの……。本当に、ごめんなさい……」

「僕は気にしていませんよ。あなたの恐怖はよく分かります。居場所を失う恐怖は、この島の人なら多かれ少なかれ持っているものですし。それに、僕はどんなことになったとしても、生きて切り抜ける自信はありましたから」僕はにっこり笑ってそう伝える。それから表情を改めた。「でも、あの劇場で誰も君を止められなかったら、死者が出ていたかもしれない。そうしたら、オクルスの掟によって君は裁かれることになってたんだよ?」

「――はい……。ルイさんと、ボスが止めてくれたおかげです……。――本当にごめんなさい!」

「エナは、もう体調は平気なの?」

「ええ……」

 エナは小さく頷いて、傍らのリュートの手を取った。握手するようにその手を握って、少し背の高い彼を見上げる。「リュートが助けてくれたから」そう呟く彼女の目には、リュートへの信頼が浮かんでいた。そんな彼女をあやすように微笑んで、リュートは僕へ顔を向ける。

「俺、ローザと同じような治療系とルイみたいな感知系のギフトを選んだんだ。ルイがいつもしんどそうにしてたから……。それにダイナミクスの暴走も治療できるかと思って」

「そっか。ありがとう、リュート。おかげで助かったよ」

 僕はリュートにお礼を言った。そのとき、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。レオが小さく咳払いして二人に退出を促す。

「もう遅いから、ルイを休ませてやろう。リュートとエナも、子どもなんだからそろそろ眠らないと」

 二人は素直に返事をして、レオに連れられ部屋を出て行く。入れ替わりに入ってきたのはラフな格好に丸眼鏡を掛けたユアンだった。僕はベッドを降りようとするが、彼はそれを制して近づいてくる。ベッドに腰を下ろしたユアンは、手を伸ばして僕の頭を撫でた。

「大丈夫か? 体調は落ち着いた?」

「はい」

「エナを許してやってくれて、ありがとう。お前に無理させてしまってごめん」

「……そういうこと言うと、なんだかお父さんみたいですね。僕に親はいないけど」

「クランの首領なんて、そういうものだろ。クランっていうのは昔からある言葉で、血のつながった氏族っていう意味で使われてたんだから」

「そう、なんですか?」

 意外な事実に僕は目を丸くする。それは知らなかった。

「おそらく、クランを作った初期の<天使>の中に、言葉の意味を知る奴がいたのかも」

「ああ……それで、ローザは僕に首領を譲るとき、慈悲深くあるように言って聞かせたんですね。僕はてっきりローザが優しいからだって思ってた。――それにしても、ユアン、よく知ってますね」

「いちおう、俺の親はそういうものに属する一人だったんだよ。といっても、氏族はずいぶん昔から何度か消滅しかけながら細々と続いてきたものだから帰属意識もあんまりないけどね。俺はそういうの、ぜんぶ捨ててここに来たわけだし」

「僕のせい、ですよね? ごめんなさい……」

「ルイのせいじゃなくて、俺が選んだんだ、それは」

「でも」

「俺が選んだことだ。お前にも、そう思っていてほしい。……そうじゃないと、いつか自分の選択を後悔したらお前のせいにしてしまうから。逃げ道を絶ったままにしておきたいんだ」

 その言葉に僕は頭を撫でるユアンの手をどけて身を起こした。丸眼鏡のレンズに遮られた彼の目が見たくて、両手を彼に伸ばす。ユアンは僕が顔に触れても拒まなかった。抵抗がないのをいいことに、ユアンの顔から眼鏡を外す。遊色の浮かぶオパールの虹彩が真っ直ぐに僕を捉えた。

 パチリと互いの間に微かに電流のようなものが走る。双方ともにDomの性質が強いから、真向から視線を合わせればダイナミクスの緊張が起きるのは仕方のないことだ。

「――じゃあ、僕は自惚れてもいいですか? あなたが僕を求めてくれてるんだって思ってもいい?」

「もちろん」

「嬉しい……。子どもの頃からあなたが好きで、すべてだったから」

 喜びで視界がじんわりにじむ。ユアンと再会してから、僕はずいぶん弱くなってしまったみたいだ。あるいは、幼い頃に無意識のうちに彼に預けた心の柔らかいピースが、再会して戻ってきたかのよう。

 泣くなよ、と優しく言ってユアンはふたたび僕の頭を撫でようとする。僕はすっとその手をかわした。予想外の僕の行動にユアンが目を丸くする。その表情があどけなくて可愛らしい。

「あのね、僕も首領級の<フェリガ>のギフトを持ってるんですよ? 毎回、あなたに『委ねる』とは思わないで」

「えー……。そこは惚れた弱みで譲ってくれたりは?」

「しません。あなたもDomの傾向が強いなら分かるでしょ。愛する人のことは支配したいし、導きたいし、守りたい。それが好きっていうことなんだって。もちろん、支配されたい欲だってあるけれど、それだけじゃ満足できない」

「まぁ、分かるよ。仕方ないか。――ルイ、コマンドを出して」

「はい!」元気よく返事して僕はユアンに言う。「それじゃあ、僕に『委ねて』くださいね。――ユアン、<kneel>」

 高らかにそうコマンドを発すると、ユアンは立ち上がってすっとベッドの下に跪いた。ためらいのないその動作に、僕は胸がどきどきするのを感じる。オクルスの首領として高い戦闘能力と強力なギフト<グレア>を持つ彼が、ためらいもなく僕のコマンドに身を委ねてみせた。あっさりと、当たり前のように示された信頼と愛情に胸が一杯になる。

 実のところ、これ以上のコマンドを出すつもりはない。今、差し出されたものだけで十分すぎるほどだ。僕はユアンを褒めてコマンドを終わらせようと、ベッドを降りかけた。そのときだ。床に跪いたままのユアンがヒョイと僕の裸足の右足を取る。

 バランスが取れなくて、僕はベッドに座り込んでしまった。

 いったい何をする気だとユアンを見れば、彼は跪いたまま上目遣いでこちらを見上げる。そうして、艶めいた笑みを浮かべて僕の足を口元まで持っていき――足の甲に唇を触れさせた。

「なっ……! ――…………。~~~……!!」

 まさかそんなことをされるとは予想しておらず、僕は真っ赤になって絶句してしまう。そんな僕にユアンが促す。

「どうした? もうコマンドをくれないのか?」

「っ……。ズルい……。命令される側になっても、こんなに格好いいなんて……」

「そう思ってもらえるなら、俺は嬉しいけど」

 そう言ってユアンは笑ってみせる。僕は少し拗ねながら、それならばと新たなコマンドを紡ぐ。

 ――ここへ来て、<kiss>。

 仰せのままにと芝居がかった言葉遣いで応じて、ユアンはゆっくり立ち上がった。ベッドの上に乗り上げて、僕を抱きしめる。上を向くとブラックオパールの虹彩が柔らかな光を放っていた。その面差しに、子どもの頃のエメラルドのような瞳が一瞬だけ重なる。彼が僕の元に来るために選び取ったもの、捨てたもの。その大きさと重さをふたたび想う。

 本当は、命令する側とかされる側とか、そんなことはどうだっていいのだ。僕はずっとユアンとの思い出を心の支えとして生きてきたし、彼は僕のために多くのものを引き換えにしてくれた。だから、これから先の僕の全部を彼に捧げたって、本当は構わない。それほど大事な人だ。

 そんなことを考えている間に、ユアンの唇が恭しく降ってくる。僕は目を閉じてその唇を受け入れた。



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Kneel、そののちキスして くまたろー @karasu_003

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