第10話 エナ
とっさに僕はただ羽根を巻きつけるようにして自分とリュートを守る。エナのギフトは脅威だが、僕の<フェリガ>やユアンの<グレア>ならば、<ソリュテード>の力を上回ることはできる。ただ、そうやって力業に出ればエナの精神は壊れてしまうだろう。
――いつまでもこの状態は続けられない。
そう思ったとき、ユアンが声を発した。
「ルイ! エナをこのままにしてはおけない。もう一度、今度は強い<グレア>を使う――」
決然とした声音。振り返ればユアンは冷酷な首領の表情をしていた。あぁ、と僕は心の中で声を漏らす。ユアンはエナの生命を奪う覚悟を決めたのだろう。エナは決して悪い娘ではない。そのことはユアンも承知している。それでも、生かしておくことはオクルスのクランや傘下の市民のためにならないと決断したのだろう。
僕は唇を噛んだ。エナはただ実力を証明したいだけなのに、生命を奪われるなんてかわいそうだ。それを言うなら、エナの精神を破壊しなくてはならないユアンだって。ユアンが優しいのを、僕は知っている。首領として、皆のために仲間を処分しなくてはならないことに、ユアンが傷ついていないはずがない。
――でも、僕だってきっとユアンと同じ決断をする。
意を決して、僕はユアンを援護するために<フェリガ>を操ろうとした。そのときだ。
「エナは……!」
腕の中でリュートが声を発した。
「彼女はずっと怖がってる。失う恐怖を歌ってるんだ。<天使>には家族がいない、生まれついて何も持たない。この島で少しずつ手に入れていく。だから皆、エナの歌に共感するんだ。……お願い、エナから奪わないで。彼女を助けて」
その言葉に僕は息を呑む。そうだ。エナに罪はない。処断すべき理由もない。そんな彼女を、暴走しているからといって殺そうとするのは残酷だ。今まで首領として、クランのため、皆のためを考えて行動してきたけれど――その論理は本当に適切だった?
クラン同士の戦いでは、判断の遅れによって仲間が傷つくことがある。だから、必要とあれば多少の犠牲を払うとしてもすぐに判断してきた。だけど、そうやって即断することによって切り捨ててきたものは、本当に捨ててよかったのか。
――首領になって、そんなつもりはなかったけれど、僕は傲慢になっていたのかもしれない。
そう気づかされる。僕はリュートに小声でお礼を言ってから、ユアンを振り返った。
「ユアン! エナを許してあげてください。今ここで誰も怪我していない。エナは何も悪いことをしていない。彼女に必要なのは……必要なのは……――」
言いかけて、言葉がでてこない。だって僕もエナと同じ<天使>だ。家族も何も持たず、この島に送り込まれた。エナに欠落しているものは、おそらく僕も同じで――だから、その欠落を理解することはできても、言葉にすることはできない。だって、僕も『それ』を知らないのだから。ユアンに『それ』をどう伝えればいいのだろう。
言葉を途切れさせた僕と目を合わせて、ユアンは微笑んでみせた。ブラックオパールの瞳が、柔らかく細められる。僕が言いたいことが伝わった? 言葉にできていないのに? 生まれも育ちも違う、もう何年も会っていなかったのに? 理解してくれたの?
半信半疑で、それでも僕は軽やかに舞台に駆けあがってくるユアンを見つめた。彼の表情は穏やかで、やはりエナを処断しようとしているとは思えない。気づけば僕の背後で、エナもユアンの動きを注視しているようだった。
「ユアン……あの……」
「エナを傷つけずに宥める。それでいいんだろ? 手伝ってくれ」
「はい!」
僕は力強く頷いて、腕の中のリュートに素早く逃げるように言った。心得た様子でリュートは身を低くして、舞台から逃げていく。数秒間それを見送ってから、僕はユアンとともにエナに向き直った。一度は止んでいた<ソリュテード>の圧力がふたたび強く僕らに圧し掛かってくる。
舞台の中央に佇むエナの瞳は焦点を失ったまま。ただ、彼女の表情は先ほどと違って、怒りよりも不安が強いようだった。ユアンがエナへと近づいていくと、彼女は怯えたように後ずさった。そうして歌おうと口を開く。
けれど、ユアンは<グレア>を発動させない。<ソリュテード>の圧力の中で無防備なまま。本当にエナを救おうとしているのだ。僕は<フェリガ>の羽根を広げてユアンを包み込んだ。その直後、エナが短く旋律を歌う。ユアンの<グレア>の援護なしに受ける<ソリュテード>の力は凄まじかった。<フェリガ>の羽根の幻影は、Domのグレアのようなダイナミクスが可視化したもの。その羽根の幻影が<ソリュテード>の孤立の力によって削り取られ、輪郭が揺らいでいる。
ガリガリと精神を削られるような感覚。ぐわんと眩暈と頭痛が襲ってくる。僕はくずおれそうになる自分を叱咤して立ちつづけた。僕が倒れたら、ユアンは<ソリュテード>の力をまともに受けてしまう。そうしたら、僕だけでなくユアンもエナも共倒れだ。
やがてエナまであと二メートルほどの距離まで近づいたユアンが「もういい」と言った。
「でも……」
「大丈夫だから」
こちらを振り返らずにユアンが言う。決然とした声音。僕は迷いつつも<フェリガ>の発動を解除した。途端、エナの<ソリュテード>の力は真っ直ぐにユアンに襲い掛かる。真向からその圧力を受けて、ユアンは顔を歪めた。けれど、立ち止まることなく残りの数歩を詰めて――エナを抱きしめた。
「あ、……あぁ……あああああああぁぁぁぁ……!!」
ユアンの腕の中で、エナはもはやメロディとはいえない悲鳴を上げてもがいた。コントロールを失った<ソリュテード>の圧力が、あちこちに飛ぶ。僕はもう一度、<フェリガ>の羽根を広げて劇場内の人々を孤立の圧力から皆を守る。
唇を噛んで眩暈に耐えていると、つぅと鼻を伝って足元に鼻血が滴り落ちた。精神にかなり負荷が掛っているのかもしれない。だけど、僕よりもユアンの方がキツい状況にあるはずだ。そのユアンはエナを抱きしめたまま動かなかった。おそらく彼の感じている負荷もひどいものだろうが、それでも震える足で踏みとどまっている。
そのとき、ふとユアンの微かな声が聞こえた。宥める言葉を掛けているのかと思ったが、どうもそうではない。急速にエナの悲鳴が途切れがちになり、嗚咽に変わっていく。同時に<ソリュテード>の圧力がなくなって、ほっとしたのかユアンはエナを腕に抱いたまま床に座り込んでしまった。ユアンは子どもをあやすように身体を揺らしながら、メロディを口ずさんでいるのだった。聞いたこともない旋律は、彼の故郷の子守り歌か何かだろうか。自分もダメージを受けているだろうに、ユアンは嗚咽するエナの背を撫でてやっている。
もうエナが暴走する危険はないだろう。そう判断して、僕は<フェリガ>の発動を止めた。途端、立っていられなくなってその場にしゃがみこむ。恐る恐るといった様子で、レオとリュートが駆け寄ってきた。
「……ルイ、大丈夫か? なんで首領の方が護衛を庇ってるんだよ、この馬鹿」そう言いつつ、レオが僕を助け起こす。
「あ。それ、まだユアンに秘密なのに」僕は眉をひそめた。
まぁ、<フェリガ>のギフトの力は他のクランにも知られているから、あの羽根を広げてみせた時点でユアンも気づいていただろうが。そう思いながらユアンへ目を向けると、彼は嗚咽からすすり泣きに移行したエナを宥めながら肩越しに振り返った。さして驚いた風でもなく、肩をすくめてみせる。
「ルイの正体なんて、昨日、ローザと邸に来たときから気づいてたさ。敵対クランの首領との会談に、首領自ら出たくないわけがない。ローザの態度も、端々に部下に対するには不自然なところがあった。まぁ……そういう意味でも、エナは何も心配する必要はなかったんだけどな」
それはそうだ。敵対クランの庇護を受けようとするクランの首領なんかいるはずがない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます