第7話 委ねる
目が覚めたとき、僕は見慣れぬ部屋のベッドの上にいた。ぎょっとして起き上がろうとすると、「<relax>」とコマンドが発される。それがユアンの声だと認識した途端、身体がくたりと弛緩した。ベッドの上で声のした方に顔だけ向ける。と、ベッドサイドの椅子にユアンが座っていた。僕が目覚めるまで付いていたらしく、彼の膝の上には本が開かれている。
ユアンはパタリと本を閉じてすぐ傍にあるサイドテーブルの上に置いた。
「ここは……? ローザはどこに……?」
「ここはオクルスの邸の客室だ。ローザは先にインフィニスの邸に送り届けた。 ……ルイ、気分は? 本当のことを言うんだよ」
コマンド未満の指示。けれど、ごく微量のダイナミクスを含んだ声音が柔らかく僕に届く。僕はゆっくりとベッドの上で上体を起こした。
「……眩暈は治まりました。ギフトが暴走しかけてたのも、止まっています。気分も……まぁまぁです」
「そう。教えてくれてありがとう」
柔らかな感謝の言葉に、じんわりと温かなものが胸に広がる。いくら『委ねて』と頼まれたとはいえ、Subみたいに敵の首領に自分の支配権を明け渡してしまっていいのだろうか。インフィニスの首領失格ではないだろうか。そう思って不安になるけれど、ここで抵抗を示せばユアンに不審がられてしまうだろう。僕は自分に一介の下っ端として振る舞うのだと言い聞かせた。
そのときだ。ユアンが「そういえば」と口を開く。
「エナが君に失礼なことをしたんだろ? ごめん。エナは悪い娘じゃないんだけど、歌が大好きで歌うことに関しては周囲が見えなくなってしまうから」
「あの、どうか気にしないでください。彼女は何も悪いことをしていない。だから、どうか罰さないで――」
僕が懸命に言うと、ユアンは苦笑してみせた。
「君は俺がジスを処断する場面を見ていたから不安に思うんだろうけど、エナは一般人だ。オクルスの掟で処罰しなければならないことは何もしていない。エナを傷つけたりはしないから、安心してほしい。……それにしてもエナは君と歌で勝負すると言っていたけど、どうしてそんな話に?」
「それは、僕が庭で歌っていた歌が彼女の歌いたいものと似ていたようで……」
「歌? 君は歌うのか?」ユアンはびっくりした顔で僕を見つめた。
「ええ……。でも、別にエナみたいに仕事で歌うわけじゃありません。ただ歌うのが好きだから、一人で歌っているだけで――」
「歌うのが好き……?」ユアンは戸惑い気味の声で繰り返す。「実は子どもの頃、ルイっていう友達がいたんだ」
「僕と同じ名前……」
そうだ、とユアンは微笑んだ。だから、タイピンを贈るときにインフィニスの構成員から名前を教えられて驚いた、と。そうして話を続ける。
「ルイは歌うのが好きで……。でも、あるとき、大人たちに引き離されて、翌日、ルイは姿を消してしまった。エナを見てると友達を思い出すから、支援することにしたんだ」
「大人たちに引き離されて……」
僕は思わずユアンの顔を見つめる。どことなくかつての親友を思わせる顔立ちだが、名前と丸眼鏡に隠された目の色が違うから、他人の空似なのだろうと考えていた。けれど、ユアンの語る過去は僕の記憶と相似形で、まさかという思いが再び湧き上がる。あの、と思わず震える声を発した。
「僕……子どもの頃、引き離された親友がいるんです。僕が育てられていた<天使>の邸の庭で会っていました。彼は近所の子で、絵を描く場所を探して邸に忍び込んできて……庭で歌っている僕を見つけた。それで、褒めてくれたんです」
僕はそっとメロディの一節をハミングしてみせた。ユアンが静かに息を呑む。
「その歌、聞いたことがある……」
「ルイという名は、その親友が付けてくれました。僕はずっと親友に会いたくて、島を出たいと思っていました。先日、出会ったとき、実はあなたが親友なんじゃないかって思いました。似ていたから。……でも、名前も目の色も違う。友達の目は緑、名は――」
「名はリアン。違う?」ユアンはそっと丸眼鏡を外した。色付きのレンズの下からブラックオパールに似た瞳がのぞく。「俺は<天使>じゃないから、この島に来るために名前を捨てなきゃいけなかった。だから親のつけた名を捨てて、ユアンと名乗るようになった。目は……オクルスのボスのギフトを受け継いだ影響だ。この異様な虹彩は、オクルスの首領のギフト<グレア>の本質であり、副作用でもある」
ユアンが語ったところによると、彼はルイと引き離された後、ずっと探してくれていたらしい。そうして、実験のため遺伝子操作で生み出される試験管ベビー<天使>の秘密にたどり着いた。実験を行っている大人たちの目指すところは、さまざまな才能を自由に搭載できる人間を生み出すこと。そのため、一般人でも島に入ることができる可能性はあった。
化学的・あるいは外科的処置であるギフトの付与に適合できる体質ならば、多額の謝礼金と引き換えにギフトの被検体となることができる。ユアンは悩んだものの、謝礼で弟妹たちをよりよい学校に行かせたいという気持ちもあって、被検体になることを決めたのだという。もちろん、被検体は二度と島から戻れない。実験の結果、何が起きるか保障もないため、名を捨てて家族とも縁を切る必要がある。そうした手続きを経てユアンは三年前に島に入り、一年間でオクルスの元ボスからギフトと地位を譲りうけたのだ。
僕は呆然としたまま、彼の打ち明け話を聞いていた。が、最後まで聞くといても立ってもおれず、ベッドに起き上がる。
「嘘……。あなたがリアンだなんて……。どうして初めて会ったとき、僕に気づいてくれなかったの? それなのにタイピンなんか寄越して、どういうつもり?」
「ごめん。――……その……実は……俺はルイのこと、女の子だと思ってた」
その言葉を聞いた瞬間、僕は思わず「は?」と低く唸るように発していた。
「僕のことを女の子だと思って探してたの? ……――っていうか、女の子のルイを探してる癖に、僕に助けられたからってタイピンをくれてコマンドも出したって……――それって浮気……」
「浮気じゃないっ」ユアンは慌てた様子で顔の前で手を振った。「誤解だ。女の子のルイを探してたのに、出会ったらすぐにお前に惹かれたんだから、むしろ一途だろ」
「どうだか。信じられないなぁ」僕はベッドの上でそっぽを向いた。
「本当にずっと探してた」
「あなたの友達の『ルイ』が男だって知っていても、探してくれました?」
「性別は関係ない。信じてくれ。――ルイ、<look>」
コマンドが発されて、身体が自然にそれに従う。ユアンの方を見ると、彼は情けない表情でこちらを見ていた。
「コマンドに頼るなんてずるい」
「そりゃあな。これまでわずかな希望に縋ってルイを探してたんだから、コマンドに頼れるならためらいなく頼るよ。……そっちこそ、十年間も島を出て俺に会おうと頑張ってたのに、今はそういう態度を取るんだ?」
素直になれ、と言下にダイナミクスが込められた言葉。親友に再会できた嬉しさが大きくて、僕自身もいつまでも拗ねた態度を保つことはできそうにない。「会いたかったです」と僕はつい本音を零してしまった。
「……この島で生きるのは大変でした。でも、歌はときどき歌ってたんです。歌を捨てたら、あなたとのつながりがなくなりそうで、怖かったから」
「そっか。素直になってくれてありがとう。……<come>」
僕はベッドを降りて彼の傍へ行った。と、腕の中へ、というようにユアンが両腕を広げる。僕はおそるおそる、身を屈めるような格好で椅子に腰かけるユアンに抱き着いた。ユアンの手が後ろに回って、いたわるように緩やかに背中を撫でる。その手の優しさに涙が出てきて、僕はユアンの肩に顔を押し付けて泣いた。
――よくがんばったな。
ユアンの優しい声音にはわずかな寂しさが含まれている。
僕は頷きながら、子どもの頃の<天使>の邸の庭を思い出した。あの庭から随分、遠くへきてしまった。僕だけでなく、彼まで人生がガラリと変わってしまった。そのことを思い、出会えた嬉しさだけでなく、ユアンが捨てた『リアン』としての未来を思って泣いた。
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