第4話 丸眼鏡の青年
彼はゆったりした足取りで、戦闘員たちの傍まで歩いてきた。
「お前は何だ!?」
戦闘員の一人が丸眼鏡の青年へ掴みかかろうとした。彼はそれをかわして、よどみない動作で戦闘員の顎を蹴り上げる。そいつは悶絶して地面に倒れ込んだ。クランの戦闘員なら大抵は、身体強化のギフトを積んでいるはずだ。その点で言えば倒された戦闘員も丸眼鏡の青年も条件は同じはず。それなのに、あれだけの動きの差が出たのは丸眼鏡の青年によほど戦闘センスがあるか、別の戦闘向きの強いギフトを積んでいるかのいずれかだ。強いギフトは、それだけ副作用も大きいから、適合できるかどうかは本人の体質や精神力次第。
――彼は強い……!
できれば今、ボスであることを隠さなければならない状態で戦いたくはない。そう分析しながら、僕は息をひそめて状況を見守っていた。仲間が打ち倒されたことで、オクルスの他の戦闘員たちは仲間であるはずの丸眼鏡の青年に敵意をむき出しにしている。残りの戦闘員たちが彼に襲い掛かるが、舞うような動作でかわしては時折、拳や蹴りで地面に叩きつけている。
と、そのときだった。視界の端で少し離れたところにいた戦闘員が銃を取り出したのが見えた。
ここには無関係の人間が集まっているから、皆、発砲しようとしなかったのに。僕は舌打ちして、銃を手にした戦闘員の元へ駆けていった。腰のベルトに隠しておいたナイフを抜き、逆手に持って戦闘員の手元めがけて振るう。ガキンッ。ナイフの刃と銃がぶつかって、金属音が辺りに響いた。相手が銃を持つ手に力を込めるのを感じながら、そのまま思い切り相手を蹴り飛ばす。戦闘員は吹っ飛んで背後の建物の壁にぶつかった。
「――そこの人、発砲を阻止してくれたんだろう? ありがとう」
丸眼鏡の青年が声を掛けてくる。柔らかな声音。目元の表情は色つきのレンズのせいで隠れているが、その唇は笑みを象っている。なぜか不意に僕は呼吸が楽になったような気がした。今まで固まっていた何かが、少しだけ解けるような感覚。正体の知れないその感覚に戸惑いながらも、僕はフードを目深に被ったまま小さく会釈をした。彼は僕から視線をそらして、戦闘員たちに顔を向ける。
「お前たちの指揮官はどこにいる? 境界線の封鎖と人の出入りの監視なんて、ボスに許可を取ってるとは思えない。指揮官が独断で指示したんだろう?」
登場したときとも、僕に向けたときとも違う、鋭さを含んだ声音。戦闘員たちがはっと息を呑んで姿勢を正す。その様子に、僕は気づいた。丸眼鏡の青年は、おそらく強いDomの性質を持っている。積んでいるギフトにDomの性質を持つものが多いのだろう。
Domの性質を持つギフトは能動的な能力が多い。身体強化、精神観応、魅了、共感覚など能力の内容はさまざまだ。が、いずれにせよ一定のDomの性質を持つであろう戦闘員を圧するほどのダイナミクスの持ち主ならば、その戦闘能力はかなり高いに違いない。
僕はひそかに丸眼鏡の青年の姿をじっと見つめた。
もし彼と戦うことがあれば、注意しなくては、と心に刻みつける。彼に注目されないよう、手にしていたナイフを腰の鞘にそっと仕舞った。
と、そのときだった。境界線のオクルス側から豪奢なコートをまとった背の高い男が現われた。年齢は二十代後半くらいだろう。コートの上から目の形の装飾で飾られたベルトを締めて、そこから剣を吊るしている。その姿に僕は見覚えがあった。オクルスの戦闘員の指揮官――ジスだ。
ジスは戦闘員たちが倒れているのを見て、眉を跳ね上げて歩いてきた。彼は戦闘員たちに向かって怒りの声を発する。ジスは丸眼鏡の青年に気づいていないようだった。
「どういうことだ、これは! インフィニスとの境界線で通行を監視しろと言っただろう!」
「――それは、誰の命令? ボスが正式に命令を下したのか?」
丸眼鏡の青年が声を発した。ジスは初めて彼に気づいたようで、はっと青年に目を向ける。
「お前、どうしてここに……――」
「俺がこの動きに気づかないとでも? 子ども一人、余所から入り込んだからって、あんな大騒ぎをしてちゃ気づくよ、普通は。見くびってもらっちゃ困るな」
丸眼鏡の青年は眼鏡の縁に手を掛け、それを外した。その顔に、ふと懐かしさを覚える。子どもの頃、島に来る前、大好きだった親友・リアンに似ている。だが、目の色が違った。友は鮮やかな碧眼だったが、青年の目はまるで遊色の浮かぶブラックオパールのよう。僕の意識は空気にヒリつくような緊張感が満ちたことで、現実に引き戻された。フードを目深に被って、周囲の様子をうかがう。この緊張感は、青年のギフトなのだろうか。
――……いや、ちがう。これは、ギフトというより、ダイナミクス……<
以前、ローザから聞かされたことがある。オクルスのボスのギフトは強力な<グレア>とそれにまつわる精神操作。それがクランの象徴である目のマークとなっていて、構成員は目のモチーフを身に着けることになっているのだと。他のクランもそれは同様で、クランを象徴するギフトを代々のボスが受け継いでいくことになる。僕がローザから引き継いだギフトがあるように。
だとしたら、彼は――今のオクルスのボス・ユアンその人だ。友のリアンとは違う。目の色も、名前も。
「ジス、kneel」
眼鏡を外したユアンが静かな声で告げる。ジスはしばらく抵抗する様子を見せたが、コマンドに抗いきれず地面に跪いた。ギフトによってある人物のダイナミクスがどうであろうと、より強力なDomの性質の持ち主から発されるコマンドには抵抗できないのだ。だが、コマンドを受け入れようとしない場合、抗いきれなかったときの精神的な負荷は非常に大きい。跪いたジスの顔からは血の気が引いて、青白くなっている。身体の横で握り締めた拳が、カタカタと小さく震えていた。
「……ユアン……いえ、ボス……。俺は――……、俺は……」
「お前はインフィニスとうちとの間で抗争を誘発しようとしていたな? ボスの専権事項である抗争開始の決裁を、無視しようとしていた。それは、オクルスの掟に反する行為だ。だが、今回は抗争になる前に止められた。よって、ジス、お前から指揮官の身分を剥奪して、オクルスの支配区域への立ち入りを禁じる」
底冷えするほど冷たい声で告げて、ユアンはくるりと指揮官に背を向けた。彼の視線が消えたことで、<グレア>による威圧感が辺りから消える。僕はそっと息を吐いた。今はDomの性質が強い僕にとっても、強いDomのダイナミクスにさらされつづけるのは負荷が大きいのだ。
と、そのときだった。跪いて項垂れていたジスが、不意に腰の剣を掴んだ。彼は立ち去ろうとするユアンの背を睨みつけている。背中から斬りかかるつもりだ。
――だめだ。ここでユアンが……オクルスのボスが死んだら、クランの秩序が崩れてまずいことになる!
僕は上着の内側から十本の小刀を取り出した。それを横に振りぬくようにジスに向かって投げる。僕がローザから受け継いだインフィニスのギフトの力で、十本の小刀はまるで翼のような軌跡を描いてジスに襲い掛かった。と、ほぼ同時にユアンが振り返る。
次の瞬間、強烈な<グレア>に僕は上手く息ができなくなった。小刀をコントロールする力が失われ、十本は渇いた音を立てて地面に落ちる。斬りかかろうとしていたジスも強烈すぎる<グレア>に打ちのめされたようになり、その場に立ち止まって突っ伏してしまった。
そんなジスの元へ、ユアンが戻ってくる。
「ジス、<Look>」
「……かはっ……ユア、ン……いやだ……。ゆるしてくれ……」
「お前はボスを殺そうとした。処断せざるをえない。<Look>、ジス」
ジスは震えながらもコマンドに抗えず、顔を上げる。ユアンは真っ直ぐにジスを見ていた。その瞳が蛍光色に輝く。そうして世界がぐらりと揺らいだ。昼下がりだというのに、急に夜が訪れたように闇の帳が辺りに広がる。幾重に世界がブレて、引き裂かれるような不快な感覚。まるで脳を取り出して揺さぶられるかのようだ。
――このままでは、狂ってしまう。
そんな恐怖が腹の底からこみあげてくる。と、次の瞬間、ふと身体が楽になって呼吸ができるようになった。ユアンが丸眼鏡を掛け直し、こちらに背を向けたのだ。辺りはいつしか昼下がりの明るさを取り戻しており、周囲の喧騒が戻ってくる。ジスはといえば、いまだに一人、顔を上げた姿勢のまま硬直していた。が、やがてバタリと地面に倒れ込む。
戦闘員たちが恐る恐る彼に駆け寄った。呼吸を確かめた後に「正気を失ってる……」とうめくような声が上がる。僕は昼に飲んだ頭痛薬の効果を打ち消すようにして、ふたたび始まった頭痛に顔をしかめた。痛みで思考がまとまらないが、どうやらユアンはさっきの<グレア>と瞳術でジスの精神を破壊したらしい。
――あんなの、バケモノだろ……。
僕は震えながら、先ほど見た光景を思い返した。あんな相手と戦う手段は、さほど多くはない。対抗できるとしたら、僕が引き継いでいるインフィニスのギフト<フェリガ>や、他のクランの首領クラスのギフトくらいだろう。怖い、と思った。ボスとしてあんな相手と対峙することになるとは。
ずきずき痛む頭を抱えて、僕は身を引きずるようにしてインフィニスの拠点へ戻った。出迎えたローザやアリアに、手短に事情を話し、オクルスに絡まれた姉弟やその他への対応を頼む。それが精一杯で、指示を終えた僕は倒れるように眠りに落ちていった。
オクルスとの小競り合いが収束したその日の夜、僕は体調を崩して寝込んでしまった。特にユアンを守ろうとして、僕は<フェリガ>を発動しかけた。その反動が来ているのだ。
ベッドに寝かされ、吐き気で何も食べられないままうんうん唸っていると、夜半にアリアが見舞いに来た。
「ルイ、大丈夫ですか? もしよければ、あたしにコマンドを出しませんか?」
僕の不調の大部分は、そもそも積んでいるギフトのせいだ。いずれもDomのダイナミクスを帯びたギフトなのだが、とりわけインフィニスのギフトはこれ以上ないくらいに強いDomの性質がある。おそらく各クランの首領クラスのギフトは、どれもそうなのだろう。
つまり、僕はギフトを使えば使うほど、ダイナミクスが高まって体調を崩す。これを解消するには、Subの性質を持つ相手にコマンドを出す必要がある。そうして、コマンドを受けると申し出てくれているアリアはSubの性質の持ち主だった。けれど。
「……ありがとう。アリアの気持ちだけ、頂いておくよ」
「どうしてそう、頑ななんですか? 他に好きな人がいるとしても、気にする必要はないんですよ。コマンドすることは、別にキスやセックスとは違うんですから」
「こら、セックスなんて言葉、人前で言わないの。だいたい、そんなの君の恋人のカノンに悪いでしょ」僕はアリアをたしなめた。
「カノンはいいって言ってくれています。むしろ、ルイが心配だからあたしにコマンドすることで、少しでもルイが楽になるのならって」
「それでも、できないよ」
「……それくらい、好きな人がいるんですね」
「好きな人とかは関係ないよ。……ただ、僕がそういうことをしたくないだけ」
「分かりました。……それでは、ゆっくり休んでください」
アリアは僕の額に乗せた濡れタオルを取り換え、ベッドの傍に水差しを置いた。それから、静かに部屋を出て行く。僕は天井を見つめてため息を吐いた。ダイナミクスを解消しようとしないことで、皆に心配を掛けている。けれど、どうしてもそういう気になれなかった。
ふと、脳裏に昼間、ユアンに「ありがとう」と言われたときのことを思い出す。あれはコマンドをしたときのダイナミクスが満たされる感覚に近かった。彼となら、コマンドをしてみたいかも――なんてぼんやりと考えて、そこで我に返る。僕も彼もクランの首領としてのギフトを持っているのだから、当然、Domとしては最上級のダイナミクスを持っていることになる。いくらユアンの顔立ちに親友の面影があるにしても、彼とコマンドなんて考えられない。磁石の同極を近づけてみるようなものだ。かならず反発が起きるに決まっている。
きっと体調が悪いせいで、変なことを考えてしまうのだろう。こんなときは眠るに限ると、僕は目を閉じた。
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