第3話 小競り合い

 昼過ぎ。ローザはボスの代理人として、インフィニスの車に乗り込んだ。オクルスの戦闘員の指揮官と会うため、いつものラフで動きやすい格好ではなく、鮮やかな紅色のドレスをまとっている。開いた襟元からは羽根のタトゥがはっきり見えていた。かつてインフィニスの首領として強力なギフトを持っていた痕跡は、そのままローザの威厳を示すものだ。

 ローザを見送ってから、僕もバイクでオクルスとインフィニスの支配地域の境界線へ向かった。隠密行動なので、地味な色の上下に着替えている。境界線の近くには普通の家屋に扮したインフィニスの拠点があった。僕がそこへ行くと、家屋にはすでにインフィニスの街の行政担当の一人――アリアがいた。アリアは二十歳そこそこの女性で、黒い髪に青い目をしている。顔立ちは少し年齢より幼く見える。が、同じく行政担当の女性――カノンとともに写真記憶や分類管理といった行政向きのギフトを積んでいて、誰もがその実力を認めるところだった。

「アリア、状況はどう? ローザが交渉に行ってくれるけど、向こうは戦闘員を境界に並べてるんでしょ?」

「ええ。こちらから見た感じ、向こうの戦闘員たちは今にもこっちを攻撃してきそうです。ときどき指揮官が現われて、皆を煽ってる……」

「おそらく、日の高いうちは戦闘にならないと思います。向こうのボスからはまだ連絡がないから、おそらく指揮官はボスの許可を得てない。さすがに堂々と抗争に持ち込めはしないだろうから、小競り合いをしてどっちが攻撃したか曖昧にしようとするとするはず。――僕が向こうの指揮官なら、そうする」

「あなたが向こうの指揮官でなくて良かった」アリアは肩をすくめた。「それにしても、リュートのことはさっき電話でレオから聞きましたけど、なぜ向こうは子ども一人が忍び込んだくらいで大騒ぎするんでしょう? それこそ、インフィニスの配下でいることが性に合わなくて、オクルスに行って忠誠を誓う<天使>だっているわけですし」

 アリアの言うとおりだった。リュートのしたことは問題行動だが、かといってそこまで大事にするほど深刻なものでもない。正直、僕もリュートが殴られて、怪我をしたものの、クラン同士の問題には発展しないだろうと楽観していたくらいだ。

 オクルスの指揮官はわざと抗争を起こそうとしているのではないか。ローザが言うには、一年前にボスが代替わりしたオクルスはまだ組織が不安定らしい。指揮官はまだ首領の座に野心を持っていて、抗争の混乱に乗じて今のボスに取って変わろうとしているのかもしれない。

 ――だとしたら、ローザの要請を聞き入れることはないだろう。

「アリア、万が一の事態に備えます。レオに連絡して、うちも境界線に戦闘員を配置して。ただし、相手を刺激しないように皆、住人のふりをさせて」

 僕の命令に頷いて、アリアレオに伝えるために部屋を出ていく。僕は相手の様子をうかがいながら、落としどころをどうすべきか考えを巡らせた。戦闘になったとして、インフィニスが持ちこたえられれば、オクルスの指揮官のしたことはボスの知るところとなるだろう。そうなれば、ボスは指揮官を処分するはずだ。とてもではないが、抗争どころではない。

 狙い通りに上手くいくかは、僕らインフィニスに掛かっている。僕らが境界線と住民たちを守りきれず、オクルスの戦闘員たちの突出を許してしまえば、そのまま支配区域を切り取られてしまう可能性が高い。インフィニスの支配区域の一部を自分の組織のものにしたという手柄があれば、指揮官は今回の独断専行を許されるだろうし、そのまま抗争に持ち込まれてしまうに違いない……。

 戦闘員たちとともに境界線を警備すること一時間ほど。時刻は正午を過ぎ、夕方が近づきつつある。長い間、指揮官と交渉していたローザが拠点へと戻ってきた。僕の予想の通り浮かない顔をしている。

「その表情だと、やはりあちらの指揮官は人の引き渡しの手続きを踏んでほしいという要望を、受け入れなかったんですね」

 僕の言葉にローザは疲れた顔で頷いた。

「元々、インフィニスの配下にある人間がオクルスの領域を侵したのが悪いと、その一点張りよ。交渉するつもりがないみたい」

「予想通りですね。……そんなに浮かない顔をしないでください、ローザ。これは予測範囲内のことなんですから」

 この後は間もなく戦闘か抗争かが起きるだろう。それに備えてローザは衣装を着替えはじめた。戦闘があることを見越して、動きやすい衣服になる。今の彼女はボスではないから、幹部として前線に立つこともある。何より、治癒のギフトを持つ彼女は負傷者の治療に欠かせない存在でもあった。

 おそらくオクルスの戦闘員が手出ししてくるのは、夜になるだろう。僕はそう踏んでいたが、事態は昼下がりに差し掛かった頃に動き出した。

「ローザ、ルイ! オクルスの戦闘員がこちらを攻撃しはじめました!」部屋に飛び込んできた少女が報告する。

「――もう? 早すぎる……! 指揮官はインフィニスが先に手出ししたと取り繕う気もないんでしょうか? もしかして、そんなことも思いつかないくらい愚か、」

 言いかけた僕の頭を、ローザが拳で小突いた。

「こらっ、相手を甘く見ないのっ。……おそらく、指揮官の意図とは裏腹に戦闘員が暴走したんでしょう。指揮官自ら部下を煽っていたなら、あり得る話だわ。でも、早すぎてこちらも態勢が取れていないわね……。私が前線へ出て戦うしかない――」

 待ってください、と僕はローザを制止した。

「僕がオクルスの領域に入って、ボスに会いに行きます。指揮官の行動が彼の耳に届けば、ボスは必ず指揮官の身勝手を処断するために動くでしょう」

「それは会議のとき、危険だからってあなた自ら却下したじゃない!」

「僕以外の人間を送り込むことになるからですよ。こういう役目は僕がいちばん向いてるんです。便利屋として、島中のあちこちに潜り込み、情報収集をしてきたんですから」

「それはそうだけど、ボスがやっていい仕事じゃないっ!」

 ローザは制止しようとしたが、僕は聞かなかった。いざというときのことを彼女に頼んで、インフィニスの拠点を出る。そのまま、人の流れに紛れて境界線を越え、オクルスの支配区域に入ろうとした。普段なら、境界線の人の往来はかなり自由だ。人が移動しなければ商業行為も難しくなり、組織へのアガリが減るから、基本的に支配区域間の人の往来は制限しないものなのだ。だが、小競り合いが始まった今、境界線はオクルスとインフィニス双方によって監視されている。

 それでも、僕は他の人間に紛れて境界線を越えられるだろうと考えていた。列に並んで境界線を抜けるためのチェックを受けるのを待つ。僕は衣服のフードを被ったまま、その様子を観察していた。と、そのときだ。列の前方で悲鳴が上がる。

 見れば、十代後半くらいの少年が列から引き出されていた。ちょうどリュートと同じくらいの年頃で、似たような背格好の子どもだ。彼の姉らしい女性が、弟を助けようとオクルスの戦闘員に縋りついている。

「やめてください! 弟はオクルスの支配区域でオクルスの法に違反したことはありません。私たちはただ、取引先に育てた花を納品しようとしているだけで……」

「花? くだらない……!」

 戦闘員の一人は、少年が抱えていた様々な花の入った容器を蹴りとばした。ガンッと不快な音とともに地面に色とりどりの花が散らばる。僕は強く目を瞑った。

 ここで僕が割って入れば、オクルスのボスに会いに行くという目的が果たせなくなるかもしれない。とはいえ、彼らはインフィニスの支配区域の住人だ。彼らがオクルスの構成員に暴行されるのをこのまま放置しておくのは、住人とインフィニスとの信頼関係を損なうことになる。僕は列を離れ、人に紛れて彼らに近づいていった。そうして姉弟たちのすぐ傍まで至る。静かに息を吸って、彼らとオクルスの戦闘員の間に割って入ろうとしたときだった。

「オクルスのメンバーが弱い者いじめとは、みっともないな」

 のんびりとした声が辺りに響く。見れば、オクルスの支配区域側から青年が一人、現れたところだった。茶の髪にTシャツとジーンズのラフな姿。その顔は薄く色のついた丸眼鏡ではっきりとはしない。ただ、オクルスの構成員であることを示す目の形をあしらったバングルが袖口からのぞいていた。

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