第2話「世界樹のもとに集う影」

 勇者リオン率いる軍列が近づく砂煙を、俺は鍬を握りしめて見つめていた。

 旗は王国直属。だがその先頭にいるのは、かつて俺を追放した張本人。


 胸の奥がざわつく。

 追放された夜の火花。あのとき俺は、なにも返せなかった。

 けれど今、背後には芽吹いた世界樹がある。枝葉がざわめき、風が俺の背を押した。


 カサンドラが低く呟いた。

「勇者殿にしては、動きが早すぎる。……王の使者より先に来るとは」


「……あいつは俺を覚えているだろうか」

 独り言が口をつく。

 カサンドラはわずかに眉を動かしたが、問い返さない。彼女の目はすでに、近づく軍列の槍先を測っている。


 やがて蹄の音が止まり、リオンが馬から降り立った。

 金の髪を揺らし、英雄然とした笑顔。だが俺には、その笑顔の奥に潜む冷徹さを知っている。


「久しいな、アレン」


 覚えていた。

 だが、その声音は仲間に向けるものではなく、“偶然ここにいた農夫”を見下ろす響きだった。


「勇者殿。ここは王国のものだ。我々が管理する」

 カサンドラが先んじて言葉を放つ。巻物を掲げ、王の名を示す。

 しかしリオンは首を横に振った。


「いいや。世界樹は勇者の旗の下にこそ相応しい。王国がどうあれ、魔王討伐のために必要だ」


 兵たちがざわめく。

 リオンの背に従う百余の兵士と、カサンドラの護衛数名。戦力は比べるまでもない。

 俺は唇を噛んだ。

 再び“役立たず”と切り捨てられるのか? ここでも。


 そのときだった。

 世界樹の枝から、ひとひらの葉が舞い落ちた。光の粉をまとうその葉は、俺の足元に落ち、柔らかい音を立てて消えた。


 胸の奥に、あのときの響きが蘇る。

 芽吹きの瞬間に感じた、土と水と命の震え。

 俺の掌は濡れていないのに、水の気配が指先に集まってくる。


 俺は小さく息を吐いた。

「……ここは俺の畑だ。誰にも奪わせない」


 掌を湧き水へ差し入れると、糸のような光が走った。

 水面が震え、世界樹の根が鳴動する。


 兵士たちがざわめき、リオンが目を細めた。

「……なんだ、その力は」


 俺自身、答えを持たない。

 けれど、世界樹が応えてくれているのは確かだった。


 突然、遠くから笛の音が響いた。

 村人たちが集団でやってくる。旅人に老婆、傭兵、子供。数日前に枝の下で癒された人々だ。

 彼らは俺の背後に立ち、声を上げた。


「この人は守り人だ!」

「水をやって、樹を育ててくれたのはアレン様だ!」


 ざわめきは波となり、軍列を押し返すかのように広がる。

 リオンの表情がわずかに歪む。

 彼はいつだって“人々の英雄”だった。だが今、民の目は俺に向けられている。


「……なるほどな」

 リオンはゆっくりと剣に手をかけた。

「ならば力で証明してもらおう。お前が本当に世界樹の守り人かどうかを」


 剣が鞘鳴りをあげ、夕陽を弾いた。

 勇者と“役立たず”の再会。

 だが今度は、俺はもう背を向けない。


つづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る