第四十三話『価値工学(バリュー・エンジニアリング)』
「教えてよ、ギルドマスター! この『勝利』に、いったい、どれだけの『価値』があったっていうのよ!」
クララの絶叫が、静まり返った集落に響き渡る。 「橋の民」たちは、自分たちの命を救ってくれた恩人が、仲間から「大赤字だ」と糾弾されている、その異様な光景に、ただ狼狽(うろた)えるしかなかった。 長老とバルトは、感謝の言葉さえ、もはや口にできない。彼らには、この「大赤字」を補填(ほてん)できる金銭など、一枚も持ち合わせていないのだから。
レオが、二人の間に入ろうとする。
「お、おいクララ、まあ落ち着けよ! 予算がどうとか、金の話は、帰ってから…」
「帰れないかもしれないのよ!」 クララは、そのレオさえも、涙声で一喝した。
「この橋(アエリア)を見て! あの『空中展望回廊』は崩落して、道が半分ない! 『中央吊り橋』も、ギムレットさんの戦いでボロボロ! 私たち、この『空の牢獄』から、どうやって帰るっていうの!」
「うっ…」
レオは、戦闘の勝利に浮かれて、その「帰路」という、あまりにも基本的な「問題」を見落としていたことに、初めて気付いた。
クララは、コウスケを睨みつけた。
「この橋を『修理』するんでしょ、どうせ! また『追加費用』が発生する! 私、もう認めないから!」
「…その通りだ」 コウスケは、クララの激昂を、静かに受け止めた。 彼は、クララに向き直る。
「クララ。君の言う通り、俺たちの『ギルド』の予算は、もう銅貨一枚たりとも使えない。それは、ギルドマスターとして、俺が君に『約束』する」
「え…」
「だが」 コウスケは、長老とバルト、そして不安げに見つめる「橋の民」たちに向き直った。
「俺の『クライアント』は、あんたたちだ。あんたたちの『課題』は、空賊を倒すことだけじゃない。『この橋(アエリア)から、安全に外の世界へ出られること』だ。その『機能』を回復させるまで、俺のプロジェクトは、終わらない」
「何よ、その、都合のいい言い訳!」 クララが、再び噛みついた。
「予算(カネ)を使わずに、どうやって、あの巨大な橋を『修理』するっていうのよ!」
「『修理』はしない」
コウスケは、きっぱりと答えた。
「…は?」
「『完全な修復』は、金も時間もかかりすぎる。設計図書(オリジナル)通りに戻すなんて、それこそ『無駄(コスト)』だ」 コウスケは、クララとレオに、彼の「本当の専門分野」を教えるように、話し始めた。
「こういう時に、俺たちコスト管理士が使う、特別な技術がある。『価値工学(バリュー・エンジニアリング)』…通称『VE』だ」
「ぶい、いー…?」 レオが、怪訝な顔で反復する。
「簡単に言えば」 コウスケは、クララの目を見た。
「『どうでもいい所』の金を徹底的に削って、『絶対に譲れない機能』にだけ、金(リソース)を集中投下する技術だ」 彼は、崩落した回廊を指差した。
「あの回廊に必要なのは、古代の美しいガラス張りか? 違う。『安全に渡れる』ことだ。その『価値』だけを、最小限のコストで実現する」
コウスケは、ギムレットに向き直った。
「ギムレットさん。出番だ」
「フン。待っておったわい」
ギムレットは、すでに、集落の隅に集められた「ある物」の前に立っていた。 それは、ヴォルガたち空賊団が、この橋に持ち込み、そして遺していった、大量の「残骸」だった。 飛行船と呼ぶには粗末だが、頑丈な竜骨(りゅうこつ)らしき木材、帆の破片、そして、彼らが略奪してきたであろう、用途不明の金属製の「ガラクタ」の山。
「コウスケ、まさか…」
クララが、コウスケの意図に気付き、目を見開いた。
「ああ。資材(コスト)は、ゼロだ。俺たちの『クライアント』の未来のために、ヴォルガに『払って』もらう」
コウスケは、ギムレットが検分していた金属の残骸を手に取った。
「ギムレットさん。この金属の『強度』、うちのギルドの『標準仕様書』で使った、ドワーフ鋼と比べて、どうだ?」
「…フン。ガラクタだ。純度は低いし、加工も雑だ。だが」 ギムレットは、その金属片を、巨大な万力(まんりき)のような握力でねじ曲げた。
「この『粘り』は、悪くない。橋の『補強材』としてなら、使えんこともない」
「それだよ」 コウスケは、ギムレットに、崩落した回廊の「図面」を渡した。
「あんたの『技術』で、このガラクタ(資材)を『再利用(リユース)』してほしい。『価値工学』の出番だ。見た目は、どうでもいい。『最低限の機能(安全性)』を、『最小限のコスト(このガラクタ)』で、確保する」
それは、職人の王であるギムレットにとって、ある意味、神業の古代建築を修復するよりも、遥かに「無茶」な依頼だった。 だが、ギムレットは、そのガラクタの山と、コウスケの図面を交互に見比べると、心底、楽しそうに笑った。
「…フン。神の仕事を、ゴミで修(なお)せ、か。これほどの『無茶』は、ドワーフの生涯でも、そうそうお目にかかれんわい。面白ぇ! やってやる!」
ギムレットの号令のもと、バルトを始めとする「橋の民」たちが、目を輝かせて「資材」を運び始めた。 それは、もはや「修復」ではない。 この橋(アエリア)に、生きるための「新しい機能」を、彼らの手で「再構築(リビルド)」する、コウスケの最後のプロジェクトだった。
数日後。 橋は、生まれ変わった。 そこには、かつての美しい空中回廊は、ない。 あるのは、空賊の船の竜骨を柱にし、金属のガラクタで無骨に補強された、ツギハギだらけの、醜い、だが、絶対に壊れないという確信に満ちた、「命の道」だった。 クララは、その「道」の建設に、ギルドの予算が「銅貨一枚」も使われていないことを、帳簿に記しながら、小さくため息をついた。
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