第三十六話『応力集中(ストレス・コンセントレーション)の罠』
「中央管理室」の空気は、張り詰めていた。 コウスケ、クララ、ギムレットの三人は、部屋の中央に鎮座する、この橋(アエリア)全体の巨大な「構造模型(モックアップ)」を囲んでいた。コウスケの手には、先ほど手に入れたばかりの、金属板に刻まれた本物の『設計図書』がある。
「…まず、現状を整理しよう」 コウスケは、プロジェクトマネージャーの顔に戻っていた。
「レオは、ヴォルガの手に落ちた。『人質』だ。そして、奴の拠点は、この模型でいう『西居住ブロック』。我々が今いる『中央管理室』とは、一本の主要回廊で繋がっている」
コウスケが指差した先を、クララとギムレットが目で追う。
「奴の拠点を、真正面から攻めるのは愚策だ」 ギムレットが、その「西居住ブロック」の模型を指で弾いた。
「構造上、あそこは『砦』として設計されている。入り口は狭く、守りやすい。レオを人質に取られた今、力押しは、俺たちが全滅するだけだ」
「ええ」とコウスケは頷いた。
「だから、発想を変える。攻めるんじゃない。『誘い出す』んだ」
彼は、ギムレットが指した「砦(西居住ブロック)」と、自分たちがいる「中央管理室」とを繋ぐ、一本の細長い通路の模型をタップした。
「これだ。この『空中展望回廊(スカイ・オブザーバトリー)』。これが、奴らの主力を叩き、レオを取り戻すための『鍵』だ」
「ここを…渡るの?」
クララが、不安げにその模型を見た。そこは、名前の通り、両側がガラス張り(あるいは水晶張り)になった、橋で最も見晴らしの良い、しかし、最も無防備な通路に見えた。
「いや」コウスケは首を振った。
「我々が渡るんじゃない。ヴォルガの部隊に、ここを渡らせる」
コウスケは、設計図書の一枚…その回廊の『構造詳細図』をテーブルに広げた。
「一見、この回廊は頑丈そうだ。だが、設計図書(これ)によれば、この回廊の構造には、ヴォルガが知らない、意図的な『設計思想』がある」彼は、図面の一点を指差した。
「この回廊は、橋の『上』に建てられているんじゃない。橋の『横』から、吊り下げられている…『懸垂(けんすい)構造』だ。そして、その全重量は、この四隅にある、巨大な『支持ブラケット(持ち送り梁)』だけで支えられている」
ギムレットが、その図面を食い入るように見つめた。
「…ほう。無茶苦茶な設計をしおるわ。確かに、この一点に、回廊全体の重さがかかっとるな」
「クララ、これが、ヴォルガの知らない『弱点』だ」 コウスケは、クララに向き直った。
「この状態を、『応力集中(ストレス・コンセントレーション)』と呼ぶ」
「おうりょく…しゅうちゅう?」
クララが、聞き慣れない言葉を繰り返す。
コウスケは、近くにあった、書き物用の古い羊皮紙(パーチメント)を一枚、手に取った。
「クララ。この羊皮紙を、両手で持って、左右に引っ張って破ろうとしても、なかなか破れないだろ?」
「え、ええ。結構、丈夫だもの」
「だが」 コウスケは、懐のナイフで、その羊皮紙の端に、ほんの数ミリの「切り込み」を入れた。
「こうやって、小さな『傷』を一つ入れたらどうだ?」 彼は、もう一度、羊皮紙の両端を引っ張った。
「――!」
羊皮紙は、何の抵抗もなく、その小さな「切り込み」から、ピィーッと音を立てて真っ二つに裂けた。
「これが、『応力集中』だ」 コウスケは、裂けた羊皮紙をテーブルに置いた。
「力が、その一点の『傷(弱点)』に集中して、全体の強度が意味をなさなくなる。ヴォルガが知らない『弱点』とは、これだ」 コウスケは、ギムレットに向き直った。
「ギムレットさん。あんたに、その『ハサミ』になってもらう」
ギムレットの目が、職人のそれへと変わった。
「…フン。なるほどな。あのバカでかい『支持ブラケット』を、真正面から叩き割るんじゃねえ。俺の戦鎚(ハンマー)の『角』を使い、設計者が意図した、あの『応力集中』が起きる一点に、『切り込み(クラック)』を入れる、と」
「ああ。あんたの技術なら、できるはずだ」
コウスケは、クララに視線を移した。
「クララ。あんたが『陽動』だ」
「私!?」
「レオの次に、あんたが一番速い。あんたが、この回廊の『反対側』…ヴォルガの砦の入り口で、派手な陽動を仕掛ける。火矢でも何でもいい。ヴォルガに『敵の主力が、真正面から攻めてきた』と誤解させるんだ」
コウスケは、冷徹なプロジェクトマネージャーの目で、作戦の『完了条件』を告げた。
「ヴォルガは、必ず、あんたを叩き潰すために、屈強な空賊の主力を、あの『空中展望回廊』に送り込んでくる。ギムレットさんは、設計図書に記された『メンテナンス・シャフト』(ヴォルガが知らない通路)を使い、回廊の『下』に潜入。ブラケットに『切り込み』を入れて、待機する。そして、ヴォルガの主力が、回廊のど真ん中に差し掛かった、その瞬間…」
ギムレットが、恐ろしい笑みを浮かべて、コウスケの言葉を引き継いだ。
「…回廊の『自重』と、空賊どもの『積載荷重』、その二つが、ワシが入れた『切り込み』の一点に集中し、破断する、というわけか」
それは、ヴォルガの主力を、レオごと人質に取っている砦から引き剥がし、一網打尽にするための、完璧な「構造ハック」だった。 クララは、その恐ろしくも精密な作戦に、ゴクリと喉を鳴らした。
「ギムレットさんとクララが、奴らの主力を引きつけている、その『時間』が、俺の勝負だ」 コウスケは、設計図書の、砦(せい)の内部構造が描かれた部分を指差した。
「俺は、レオが囚われている、砦の『最下層』に、別のルートから単独で潜入する」
「なっ!?」
「コウスケ、あんた一人で!?」
「ヴォルガの目が、二人にくぎ付けになっている、その数分間だけが、俺がレオを救出できる、唯一の『チャンス』だ」 コウスケは、仲間たちの顔を見渡した。
「これは、単なる戦闘じゃない。三つの『プロジェクト』を、同時に実行する、『複合ミッション』だ。…やるぞ」
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