第三十四話『「設計図書」を求めて』

 時間は、凍りついた。 穴の上から、コウスケ、クララ、ギムレットの三人は、その光景をただ見下ろすことしかできなかった。 数メートル下で、瓦礫に半身を埋め、無数の槍とクロスボウを突きつけられたまま、悔しさに歯ぎしりするレオ。 そして、そのレオを、まるで獲物(トロフィー)のように見下ろす、ヴォルガ。


「どうする、『話』のできるネズミ」 ヴォルガの嘲笑が、崩れた穴から響き渡る。

「お前の大事な『突撃部隊(アセット)』が一つ、盤上から消えたぞ。お前の『計算』、狂ったんじゃないか?」


「…テメエ…!」


 ギムレットが、怒りに戦鎚(ハンマー)を握りしめる。だが、彼も動けない。あの穴に飛び込めば、レオごと串刺しにされるのがオチだ。クララも、唇を噛みしめ、顔面蒼白になりながら、ただ弓を構えることしかできない。


 コウスケは、穴の底のレオと、穴の上のヴォルガを、交互に見た。


(…やられた。完敗だ)

ヴォルガの知性は、自分と「同質」だ。だが、決定的に違うものが一つある。


(俺は「情報」を持っていない)


 コウスケは、この橋(アエリア)の構造を、その場その場で【万物積算】で解析していたに過ぎない。 だが、ヴォルガは違う。彼は、長年ここに住みつき、この橋の構造を、隅々まで知り抜き、そして「罠」として『施工』している。 この「現場(テリトリー)」において、情報量で劣るこちらが、力押しで勝てるはずがなかったのだ。 レオの敗北は、それを証明していた。


「賢いお前なら、わかるだろ?」 ヴォルガは、コウスケの葛藤を見透かしたように、冷酷な「提案」を続けた。

「そいつ(レオ)の命が惜しければ、お前のその『知恵』を、俺のために使え。この橋(アエリア)は、古い。あちこちガタが来てる」 ヴォルガは、コウスケたちがワイバーンを倒した「穴」を顎でしゃくった。

「お前、あの塔の『解体』、見事にやったそうじゃねえか。その『建築知識』、気に入った。俺の『設備』として、この橋の『修理』を手伝え。そうすりゃ、そいつの命は、当分、『予備費』として取っておいてやる」


「ふざけんじゃねえぞ、ヴォルガ!」 穴の底から、レオの怒号が響いた。

「コウスケ! クララ! ギムレットさん! 俺のことはいい! そいつの言うこと、聞くんじゃねえぞ!」

「黙れ、『設備』が」

 空賊の一人が、レオの腹を槍の柄で殴りつける。


「ぐっ…!」


「レオ!」

 クララの悲鳴。


「…わかった」 コウスケは、静かに口を開いた。 その声に、レオも、クララも、ギムレットも、驚いてコウスケを見た。


「…条件は、それだけか?」


「ハッ! 話が早えじゃねえか、リーダー様」 ヴォルガは、満足げに笑った。

「そうだ。だが、交渉(ネゴシエーション)じゃねえ。命令だ」 ヴォルガは、部下たちに合図を送る。レオの身体が、荒々しく縄で縛り上げられていく。

「明日、またここに来い。それまでに、お前の『価値』を、俺に示すための『事業計画書』でも考えておくんだな」


「コウスケ、テメエ!」


 レオが、裏切られたかのような目でコウスケを睨んだ。だが、空賊に猿ぐつわを噛まされ、その声はもはや届かない。


 ヴォルガは、捕らえたレオを引き連れ、勝ち誇ったように闇へと消えていく。 穴の上には、レオを失った三人が、ただ立ち尽くしていた。



「橋の民」の集落に戻った時の空気は、最悪だった。 長老やバルトも、コウスケたちがレオを「見捨てた」(あるいは「取引材料にした」)のだと悟り、その目には、わずかに宿った希望の光が消え、深い絶望と軽蔑の色が浮かんでいた。


「…なんでよ」 クララが、膝から崩れ落ち、泣きじゃくる。

「なんで、レオを見殺しにしたのよ! あんたの『クライアント』は、あの長老なんでしょ!? レオは!? レオは、あんたの『仲間』じゃないの!」

「クララ…」

 ギムレットが、やりきれないといった顔で、その小さな肩に手を置いた。


 コウスケは、何も答えなかった。 彼は、自分の甘さを呪っていた。 力(レオ)に頼る戦い方も、中途半端な脅しも、全てヴォルガに「読まれていた」のだと。


「闇雲に戦えば負ける」


 コウスケは、その事実を、仲間の「喪失」という、最悪のコストで学んだ。


 彼は、泣き崩れるクララの前を通り過ぎ、集落の奥、長老が座り込む祭壇の前まで進み出た。 そして、コウスケは、土埃に汚れた膝を折り、その場に土下座した。 「…………!」 長老も、バルトも、そしてクララさえも、そのコウスケの行動に、息を呑んだ。


「長老。お願いがある」 コウスケは、深く、深く頭を下げたまま、絞り出すように言った。

「俺は、仲間を救いたい。そして、あんたたちの『依頼』を、今度こそ、完璧に遂行したい」


「…今さら、何を」

 バルトが、冷たく吐き捨てる。


「だから、武器が要る」 コウスケは、顔を上げた。 その目には、涙も、後悔もなかった。ただ、ヴォルガの知性を上回るための、冷徹な「覚悟」だけが宿っていた。

「ヴォルガは、この橋の『構造』を利用している。だが、それは『現物』を見て学んだ、後付けの知識だ。奴の『上』を行くには、奴の知らない『情報』が要る」


 コウスケは、長老の目を、まっすぐに見据えた。


「この空中都市アエリアの、建設当時の『オリジナル設計図書』…。あんたたち『橋の民』が、代々守り続けてきた、本当の『仕様書』が、あるはずだ。それが眠る場所を、教えてほしい」


 その言葉に、長老の目が、カッと見開かれた。 バルトも「な、お前、何を…!」と狼狽(うろた)えている。


「……知っておったか。いや、お主なら、気づくかもしれん、と…」 長老は、震える声で呟いた。

「だが、ダメだ。あそこだけは…」


 長老は、集落の遥か上、この巨大な橋が、空を突くようにそびえ立たせている「中央主塔」を指差した。

「最上層の『中央管理室』…。あそこは、我らの一族も近づかぬ『聖域』。ヴォルガどもも、あそこだけは、恐れて手を出さん」

「…なぜだ」

「この橋の、本当の『守護者』が、今もなお、あそこを守っておるからじゃ…!」


 長老の言葉に、クララが「守護者…?」と怯える。 だが、コウスケは、揺らがなかった。

「それこそが、俺たちの『武器』になる」 彼は、立ち上がると、クララとギムレットに向き直った。


「クララ、ギムレットさん。すまなかった」 彼は、二人に頭を下げた。

「俺の判断ミスで、レオを危険に晒した。だが、必ず、俺が連れ戻す」

 コウスケは、先ほどヴォルガに「敗北」した穴とは、まったく違う、覚悟を決めた「建築士」の目に戻っていた。


「レオを救い出す。そのためにも、まず『最強の武器』を手に入れる」

「クララ、ギムレットさん。俺と一緒に、あの『聖域』を『攻略』してほしい」


  彼らの次なる目的地は、ヴォルガの知らないダンジョン、「中央管理室」に定まった。

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