第十八話『事業継続計画(BCP)』
『礎の谷』の領主邸は、かつてない混乱に包まれていた。
「東地区の被害が大きいようです!」
「地下水道が崩落したとの報告が!」
「負傷者の手当が追いつきません!」
衛兵や役人たちからの断片的な報告が飛び交うが、誰も被害の全体像を把握できていない。領主は気丈に指示を飛ばしているものの、その顔には疲労と焦りの色が濃く浮かんでいた。何から手をつければいいのか、どこにどれだけの人員を割けばいいのか、その判断基準が全くなかったのだ。
まさに、混沌。 その会議室の扉が、静かにノックされた。
「…入れ」
現れたのは、土埃に汚れたままのコウスケだった。場違いな闖入者に、役人たちが訝しげな視線を向ける。だが、コウスケは動じなかった。彼は、領主の前に進み出ると、数枚の羊皮紙の束を恭しく差し出した。
「領主様。街の復旧について、ご提案があります」
領主は眉をひそめた。こんな時に、一介のギルドマスターが何を言うのか。だが、羊皮紙の一枚目に書かれた表題を見て、息を呑んだ。
【『礎の谷』災害復旧・事業継続計画書(BCP)】
「…これは?」
「昨夜からの調査でまとめた、被害状況の報告と、復旧に向けた具体的な計画書です」
コウスケは、領主が書類に目を通す間、簡潔に説明を始めた。
「まず、被害状況です。全壊家屋12棟、半壊35棟。そのほとんどが東地区に集中。原因は、老朽化した地下水道の崩落に伴う局地的な地盤沈下。水道の修復を最優先としなければ、二次災害の危険性があります」
羊皮紙には、クララが徹夜で描き上げた、被害箇所を正確にマッピングした地図が添付されていた。
「次に、復旧の優先順位(プライオリティ)です。第一に人命救助とライフラインの確保。第二に、主要道路の瓦礫撤去による輸送路の確保。第三に、家を失った住民のため、広場に仮設住居を建設します」
計画書には、各工程に必要な資材と人員のリスト、そして、それぞれにかかる概算費用(コスト)までが、驚くほど正確に算出されていた。
誰もが、その書類の持つ圧倒的な情報量と具体性に、言葉を失っていた。誰もがパニックに陥っている中で、この男だけが、たった半日で、この街が今直面している問題を完璧に分析し、その解決策までをも提示している。それは、剣や魔法では決して成し得ない、高度な知性と専門性の結晶だった。
領主は、最後のページに記されたコウスケの署名を見ると、顔を上げた。その目には、もはや迷いはなかった。
「…コウスケ殿」
領主は立ち上がり、居並ぶ役人たちに宣言した。
「これより、『礎の谷』の災害復旧における全権を、ギルドマスター・コウスケ殿に委任する! 全員、彼の指示に従うように!」
「りょ、領主様!?」
役人たちの驚愕の声を、領主は手で制した。
「混乱の中で、唯一、冷静に道を示してくれたのは彼だ。ならば、信じるに値する」
コウスケは、静かに頭を下げた。
「ご期待に沿えるよう、全力を尽くします」
その日、『礎の谷』の未来は、一人の建築コスト管理士の手に託された。 ギルドハウスに戻ったコウスケは、待機していた仲間たちに告げる。
「これより、公共事業を開始する。レオ、クララ、ギムレットさん。…仕事の時間だ」
彼らの目は、この街を救うという、新たなプロジェクトへの決意に燃えていた。
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