第十七話『構造計算の嘘』

コウスケが『ライフサイクルコスト』という概念を提示して数週間。街の職人たちの空気は明らかに変わりつつあった。目先の安さに飛びつく者と、コウスケの「未来への投資」という言葉を信じる者とで、世論は二分され、一種の膠着状態に陥っていた。商業ギルドの長ヴァレリウスは、水面下で圧力を強め、コウスケのギルドは静かな消耗戦を強いられていた。




その日、事件は起きた。 ギルドの作戦室で次の戦略を練っていた、まさにその時だった。 「ゴゴゴゴ……」 地鳴りとも違う、腹に響くような低い振動。そして次の瞬間、ズンッ、と真下に落ちるような不快な衝撃が、街全体を襲った。




「な、なんだ!? 地震か!」




レオが咄嗟に剣の柄に手をかける。だが、ギムレットが眉をひそめて首を振った。




「いや…この揺れは違う。地面が…沈んだ…?」




コウスケは即座に叫んだ。




「レオ、クララ! 被害状況の調査だ、急げ!」




街はパニックに陥っていた。あちこちの建物に亀裂が走り、一部では壁が崩落している。しかし、奇妙なことに、全ての建物が同じように被害を受けているわけではなかった。古い石造りの建物はびくともしていないのに、比較的新しいはずの建物ほど、被害が甚大だったのだ。




手分けして調査を終え、ギルドに戻ってきた仲間たちの報告は、コウスケの予測を裏付けるものだった。


「被害が集中しているのは、ここ数年で商業ギルドが開発を請け負った東地区だ」




クララが地図を指し示す。そこは、ヴァレリウスが「安価で迅速な建築」を謳い文句に、急速に発展させたエリアだった。




コウスケは、最も被害の大きかったパン屋の残骸の前に立っていた。壁がごっそりと剥がれ落ち、内部構造が剥き出しになっている。彼は、崩れた壁の断面にそっと手を触れ、目を閉じた。 スキル【万物積算】が、魔力ではなく、その建物の物理的な構造を解析していく。




そして、彼の目に映ったのは、戦慄すべき光景だった。 外から見える壁や柱は、確かに規定通りの太さと材質だ。しかし、見えない内部…地面に埋まった基礎はあまりにも浅く、壁の中に埋め込まれているはずの梁(はり)は、本来の半分以下の細さしかなかった。




「……これは天災じゃない。人災だ」




コウス'ケの口から、氷のように冷たい声が漏れた。




「構造計算を偽装している…。見えない部分で徹底的に材料をケチり、コストを浮かしているんだ。ヴァレリウスの『安さ』の正体は、これか」




それは、建築に携わる者として、決して許されない背信行為だった。




「コウスケ! こっちはどうだ!?」




レオの切羽詰まった声に、一行はガスパールの工房へと走った。頑固な老職人は、揺れで棚から落ちた道具を片付けながら、不機嫌そうに悪態をついている。




「ちっ、集中できんわい!」




だが、建物そのものは――コウスケたちが改修した、あの炉も、壁も、柱も――傷一つついていなかった。基礎から構造を見直し、適切な補強を施したコウスケの仕事は、この災害によって、その価値を完璧に証明していた。




コウスケは、崩れ落ちた東地区の街並みを見据えた。 彼の胸に宿るのは、ヴァレリウス個人への怒りではない。人々の安全と財産を軽視し、「安かろう悪かろう」を押し付けたシステムそのものへの、静かな怒りだった。




「ヴァレリウス…お前が信奉してきた『安さ』がもたらした、本当のコストを教えてやる」




この街を「再建」する。




それは、ギルドマスターとしてではなく、一人の建築プロフェッショナルとしての、彼の決意だった。

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