第十一話『実行手順書(オペレーション・マニュアル)』
「プロジェクト開始」
後方に設置した仮設の司令塔で、コウスケの静かな声が響いた。その一言が、緻密に組み上げられた巨大な機械のスイッチを入れる。 合図と共に、レオ率いる陽動チームが雄叫びを上げた。
派手な剣戟の音と魔力の閃光が、遺跡の深部で炸裂し、黒いローブの魔術師とオークたちの意識を完璧に引き付ける。
「今だ! ギムレットさん!」
ドワーフ王が頷く。
彼は遺跡の心臓部を守る最後の防衛機構――巨大なレバー『物理インターロック』に手をかけた。
「ぬんっ!」
全身の筋肉が隆起し、古代の超合金が軋む。凄まじい抵抗に顔を歪ませながらも、その腕は寸分の狂いなく、設計図通りの角度までレバーを押し下げた。 ゴゴゴゴ……! 重い地響きと共に、心臓部を覆っていた分厚い装甲がゆっくりと開いていく。 作戦は完璧に進んでいた。誰もが、勝利への道を確信した、その時だった。
装甲の向こうに現れたのは、手順書にあったはずの美しい『祭壇』ではなかった。
「なっ……なんだ、これは!?」
レオの焦った声が司令塔に届く。 そこにあったのは、黒く禍々しい魔力で輝く、継ぎ目のない一枚岩の「壁」だった。古代の遺跡に、あまりにも不釣り合いな異物。魔術師が、本来の設計を無視して無許可で「増築」した、違法建築物だった。
絶望が空気を支配する。だが、司令塔にいるコウスケだけは冷静だった。 彼の目には、この光景が、かつて担当した日本の「老朽化ビルの耐震改修工事」の現場と重なって見えていた。解体してみたら、図面にない壁や柱が出てくる。想定外の構造物に行手を阻まれる。そんなことは、現実の現場では日常茶飯事だ。
『椎名! 古いコンクリートに新しいコンクリートを打ち継ぐ時、一番大事なのは何だか分かってんのか! 下地処理(したじしょり)だよ! 脆弱な面にいくら頑丈なものを被せたって、界面から全部剥がれ落ちるだけなんだ!』
前世の上司の怒鳴り声が、コウスケの脳裏に鮮明に蘇る。
「……そういうことか」
彼のスキル【万物積算】が、ただの魔力量ではなく、あの黒い壁の物理的な組成を弾き出す。本来の遺跡を構成する高密度の古代石材と、魔術師が後付けで生成した魔力水晶に近い鉱物。二つの材質は、硬度も密度も、熱膨張率さえも全く違う。
「ギムレットさん! その黒い壁を直接叩いても無駄だ! 奴は下地処理を怠っている!」
「下地処理…だと?」
「そうだ! 元々の遺跡の石材と、後付けの魔法の壁…その『打ち継ぎ部分(コンストラクション・ジョイント)』を狙え! 異なる材質の境界面は、構造上、最も脆い! そこに応力が集中しているはずだ!」
それは、魔法の知識ではない。椎名圭介が36年間、幾度となく現場で見てきた、物理的な構造物の絶対的な法則だった。 職人の王であるギムレットは、その言葉の意味を即座に理解した。最高の素材と技術を知る彼だからこそ、コウスケの指摘が真理であることを悟ったのだ。
彼は巨大な戦鎚(ハンマー)を構え直す。狙うは、黒い壁のど真ん中ではない。コウスケが指し示した、遺跡の古い石と黒い壁が接する、僅かな「境界線」。 渾身の一撃が叩き込まれる。凄まじい衝撃音。だが、黒い壁は砕け散らなかった。
「ピシッ!」
甲高い音と共に、境界線に沿って一本の亀裂が走る。
「もらった!」
ギムレットが確信と共に二撃目を叩き込むと、亀裂は壁全体に広がった。そして、まるで一枚の大きなカサブタが剥がれるように、魔術師が増設した「壁」だけがゴッソリと剥落したのだ。
粉塵の向こうから、本来あるべき姿の、古代のルーンが刻まれた美しい『祭壇』が現れる。
「やった…!」
クララの歓喜の声が響く。だが、それも一瞬だった。 自らの防御壁が、想定外の「施工不良」によって突破されたことに気付いた魔術師が、凄まじい怒りと殺気を膨れ上がらせる。
「レオ! もう持たない!」
前線からの悲痛な叫び。 『祭壇』を操作し、この谷の未来を「再建築」するのに必要な、最後の数秒。その時間を稼ぐため、レオが決死の覚悟で魔術師の前に躍り出た。
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