声が響く都市で、一分だけの最強を歌う

森鷺 皐月

第一章 声の序章

第1話  再出発の鍵

 灯影市――芸能と表現の街。


 舞台と配信、アートとエンタメが交差し、昼夜を問わず喧騒が絶えない。

 劇場では歌ひとつで観客が涙を流し、人気俳優の声ひとつで場の空気が一変する。

 DJの叫びがフロアを揺らし、アーティストのパフォーマンスが照明を狂わせる。


 誰も驚かない。

 それが、この街の【日常】だからだ。


 灯影市では、表現はただの芸ではなく【力】となる。

 人はそれを、『異能』と呼んでいた。


 その混沌をかろうじて繋ぎ止めているのが、『国家異能者登録管理課』

 通称、因課と呼ばれている。


 隣市である洛陽市を拠点に全国へ展開する組織であり、その一支部が因課・灯影支部である。


 今、その灯影支部から新しい居場所を与えられた異能者がいた。

 何度も挫折し、己のハンデを呪った。

 それでも受け入れた上で歌う。


 ――彼に許される時間は、たった一分だけ。


***


 街角で女子高生たちが一つの曲を再生していた。

 たった一分の歌。

 短さゆえに呼吸を奪い、心臓を鷲掴みにするほどの痛みと救いを残す。


「やっば! 何この曲、殺されるかと思った!」

「余韻すご……まだ胸が熱い。たった一分なのに」

「なんでこれ、ネットだけの公開? 下手な歌手よりよっぽど上手いんだけど!」

「それな。上手いというより神域。化け物レベル」

「はー……やばい、好き」


 胸の熱さは収まらない。

 むしろ余韻が、それをさらに熱くしていた。


「この人、どんな人なんだろ。ええっと、アーティスト名は……」


 動画の概要欄を開き、聞いたことのないその名前に首を傾げた。


***


 国家異能者登録管理課・灯影支部の応接間。

 一人の青年と男が向かい合っていた。


 青年の名は一ノ瀬葵。


 小柄で華奢な体つき。

 年齢は二十三だが、まだ成人したばかりにも見える童顔だった。


 黒髪は軽く伸び、無造作に下ろされている。

 眠たげな目元と、口数の少なさを映したような薄い表情。

 顔立ちは「かわいい」と言われてもおかしくないが、本人の態度がそれを拒絶していた。


 服装は飾り気のないシンプルさ。無駄を嫌うように、目立つものは身につけない。


 対する男は、分厚い体躯にスーツを羽織っていた。


 だが型通りには着こなせておらず、首元はだらしなく緩み、袖口もわずかにほつれている。

 短く刈り込まれた髪に、獣のような眼光。

 睨まれれば異能者すら背筋を凍らせる迫力。

 深い彫りの顔立ちに無精髭を残し、笑っても目が決して笑わない。


 立てば靴音ひとつで空気が変わり、座っているだけでも圧を放つ男――雁木亮介。

 因課・灯影支部の人間からは畏怖を込めて「組長」と呼ばれていた。


「で、お前に担当をつけるかの話だが――」

「いらん」


 雁木が言い終える前に、一刀両断するような拒絶。


「ま、今までついてなかったし、それでもいいけどよ。環境が変わったんだ。周りに見てくれる大人はいねえぞ」

「いらん。そもそも俺の異能は、人員を割くほど強い異能じゃない」

「いや、馬鹿強ぇよ。一分間はな」


 一分間。


 その言葉に拳をぎゅっと握る。

 ふう、と息を吐いて雁木は一本の鍵を差し出した。


「再出発するって決めたなら、扉の鍵は必要だろ」


 雁木はそう言って、葵の手に鍵を握らせた。

 鋭さを帯びた目を向け、葵は無言のまま応接室を出ていく。


「せめてなんか言えよ」


 苦笑まじりに呟き、雁木はポケットから煙草を取り出す。

 火をつけ、煙を燻らせながら窓の外を見た。


 見事なまでの晴天だった。


***


 廊下に出た葵は、鍵を握りしめたまま立ち止まった。

 金属の冷たさが、ひどく現実的で、同時に胸の奥を締め付ける。


 ――再出発。


 その言葉が、耳の奥で何度も反響していた。


 足取りは軽くない。

 葵はポケットに鍵をしまい、無言で建物を後にする。


 灯影市の街路は、今日も相変わらずの喧騒に包まれていた。

 電光掲示板には新作舞台の広告。

 路上ではパフォーマーが群衆を集め、ビルの壁面には人気配信者のライブが流されている。


 誰もが、自分の表現を誇示し、異能を武器に舞台に立つ。

 その光景は、かつて夢見た場所のはずだった。


 だが今は、胸の奥に言葉にできない痛みだけが残る。


 信号が青に変わる。

 歩き出した瞬間、ふと耳に届く。


 誰かのスマホから流れる、自分の歌。

 通りすがりの若者たちが笑顔で聴いていた。

 それは、ネットにだけ投げたはずの歌声。


 ――届いている。確かに。


 葵は立ち止まり、俯いたまま小さく息を吐いた。


「……やっぱり、歌しかない」


 そう呟いた声は、喧騒に紛れて誰にも届かなかった。


***


 灯影市の雑踏を歩きながら、青年はマスクを下げて深呼吸した。


「ふー……人多すぎ」


 音瀬奏真。二十七歳。


 陽の光を思わせる明るい金髪が特徴的で、短めに整えられた髪は無造作ながら清潔感がある。


 茶色がかった瞳は人懐っこさを含んでおり、笑みを浮かべれば誰の心にも入り込めるような柔らかさを持っていた。


 背丈は平均よりやや高く、すらりとした体型。舞台や映像で培った所作は自然と人の視線を集める。


 黒のジャケットに白シャツを合わせ、胸元にはさりげなくネックレスを重ねている。

 派手さはないが、どこか洒落て見えるラフな装いだ。

 明るさと親しみやすさを纏いながら、その奥に情熱の炎を秘めた青年だった。


 休日の街はいつも賑やかだ。

 俳優として顔を知られている自分にとって、人混みは気が抜けない。

 それでも、どうしてもこの街の空気を感じたくて足を運んでしまう。


 そのとき、耳に届いた。


 ――たった一分の歌。


 短いのに、呼吸を奪う。

 鋭く、胸を撃ち抜く。

 痛みに叫びながらも、同時に救ってくれる。


「……やっぱり、いいな」


 思わず口元が緩む。

 この街で数多の歌や芝居に触れてきた奏真でも、衝撃を受けた数少ない一曲だった。


 SNSを覗けば、アーティスト名は《一ノ瀬葵》とある。

 しかしプロフィールはほとんど空白。顔写真も経歴もなし。


「……やっぱり、あの人なんだな」


 癖になる熱が耳に残り、どうしても忘れられない。

 この声の主に触れたい――そう何度も思った。


「……今も歌い続けているんだ」


 呟きは雑踏に消えた。

 だがその名前は、確かに心に刻まれていた。


 一ノ瀬葵。


 奏真はその名を、誰にも聞こえないように口の中で転がした。

 それが近い未来、自分の運命を大きく変えることになるとは、まだ知らないまま。


 街のざわめきは今日も止まることなく続いていた。


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