第3円



 公園の隅は、夕焼けに染まるはずの景色から切り取られたみたいに、どす黒い色をしていた。

 焦げた匂いと血の臭気が鼻を突く。地面には深々と爪痕が刻まれ、焼け焦げた草と土がまだ微かに煙を上げている。


 その中心に、ぐちゃぐちゃに引き裂かれた“何か”が転がっていた。

 人間じゃない。けれど動物とも違う。――悪魔の死体だ。


(……うわ、マジでグロ……。結局、戦いには間に合わなかったか)


 一歩、二歩と足が止まりかける。

 けどすぐに頭の奥で別の考えが浮かんだ。


「……ほんじゃ、お宝探索といきますか」

『がははっ。お前は本当にブレねぇな。血の匂い嗅いで引くどころか、小銭の計算かよ』


 耳の奥でグリードの煤けた声が笑う。

 俺は鼻をつまみながら、ゆっくりと悪魔とその契約者の死体へ近づいた。


 死体のそばに、血と煤にまみれた革のバッグが転がっていた。

 高そうな革靴、砕けた眼鏡のレンズも散らばっている。


「……お? 社会人って感じだな。出張帰りか何かか?」


 鼻で笑いながらバッグを拾い上げ、中を覗き込む。

 ノートPC、分厚い財布、名刺入れ。――どれも新品に近い。


(本人はもう死んでる。所有権は遺族に移った。つまり、これらは“ほとんど触れられてない物”ってわけだ。寿命コストは軽めで、稼ぎはデカい)

『がははっ! 理屈こねてクズを正当化すんなよ。でもまあ、確かに旨味はあるぜ』

「よし……換金!」


 俺が財布を強く握ろうとした瞬間――。


 どろり、と死体の胸から黒い影が蠢き、爪が突き出された。


「なっ――!?」


 咄嗟にのけぞった俺の代わりに、背負っていた自分のカバンが爪に引き裂かれた。

 革がざっくりと裂け、教科書やノートが地面にぶちまけられ、財布まで泥に転がる。


「う、うわあああっ!? 俺のカバン! ふざけんな!」


 胸を掻きむしるように心臓が跳ね、冷や汗が背中を伝う。

 悪魔の残滓は最後の力を吐き出すように爪を振り抜き、そのまま崩れ落ちて動かなくなった。


『がははっ! 命は助かったが、お前のカバンは死んだな! 最高にマヌケだな!』


 荒い息を吐きながら、裂けたカバンを抱えて後ずさる。

 汗が冷えて背中に張り付き、耳の奥でグリードがまだ笑い続けていた。


 ――そのとき。


「今の音……!」

「こっちからよ!」


 遠くから駆け足の音と声が近づいてくる。

 魔女――神崎先輩たちだ。


「やべっ……!」


 慌てて散らばった教科書や財布をかき集め、近くの瓦礫の陰に身を滑り込ませる。

 裂けたカバンを胸に抱え込み、息を潜めた。


 数秒後、三人が駆け込んでくる。

 先頭の神崎先輩が、冷ややかな目で死体を一瞥し、指を鳴らす。


「……まだ残滓が動いているわ」


 床に散った黒い影がもぞりと揺れた瞬間、彼女の鎖が地を這い、死体を絡め取る。

 ぎちり、と締め上げられた残骸は悲鳴もなく粉砕され、黒煙となって霧散した。


「……油断できないね」


 日野が短く息を吐き、炎を指先で散らして残り火を焼き尽くす。


「……お疲れさまです」


 桃川は小声で呟き、ぬいぐるみを抱きしめながら辺りを見回した。


 その顔は、いつもの柔らかな表情ではない。

 誰一人、学校で見せていた“部員の顔”をしていなかった。


(……チッ、マジでヤベぇ雰囲気だな。バレたら一発で終わりだ……!)


 冷や汗を拭うこともできず、ただ固まって息を潜める。

 彼女たちの“魔女としての顔”を間近で見てしまい、背筋が凍りついた。


 魔女達が去ったあと、俺はようやく瓦礫の陰から這い出した。

 全身が汗でぐっしょり濡れ、裂けたカバンを見下ろしてため息を吐く。


「……クソッ。金どころか大赤字じゃねぇか」


 引き裂かれた革の破片から、泥にまみれたノートや教科書を拾い上げる。

 財布も中身は無事だったが、革の本体はもう使い物にならない。

 新しいのを買わなきゃならない。つまり――マイナス。


『がははっ! 寿命削ったあげく、赤字とか。マジ笑えるぜ!』

「……うるせぇ」


 吐き捨てるように答えながら、俺はふらつく足で公園の外へ向かう。

 その途中、道路の先に明かりが見えた。


 ゲーセン。

 さっきまで小銭を握りしめて寄り道しようとしていた遊び場。


 けれど今は、ズタズタに裂けたカバンを肩に提げ、泥で汚れた教科書を抱えたまま立ち止まるしかなかった。


(……ちくしょう。遠くから眺めるだけとか、マジでつまんねぇ)


 悔しさに歯噛みしながら、俺はゲーセンのネオンを背にして歩き出した。

 ポケットの中で、グリードの笑い声がいつまでも響いていた。

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