第2円

 ペン先の音が、冷えた空気に吸い込まれていく。

 何も知らない三人が机を囲む中、俺だけの耳に煤けた声が響いた。


(そういや……お前、呼び名とかないのか?)

『俺か? ねぇよ。低位の悪魔だからな。名前なんざ必要なかった』

「マジかよ。呼びにくいな……じゃあ俺がつけてやるよ」

『おいおい、勝手にか? まあいいけどな』

(そうだな……ネズミだから“チュー太”とか?)

『やめろ、即刻やめろ! 俺はペットじゃねぇぞ!』

(はは!じゃあ“ブラックラット様”はどうだ?)

『長ぇしダサい! 呼ばれるたびに笑われるやつだろそれ!』

(んじゃ……金にがめついネズミにぴったりの名前。“グリード”)


 一瞬の沈黙。次の瞬間、耳の奥で爆発するような笑い声が響いた。


『がははっ! いいじゃねぇか、それ! 贅沢で、欲深くて、俺にぴったりだ!』

(お、気に入ったか)

『最高だぜ、ハル! 今日から俺は“グリード”だ!』


 机に広がる原稿用紙を見ながら、俺も口元を緩める。

 魔女に囲まれた部室で、俺と悪魔はますます強い絆で結ばれていく。


 頭の中でそんなことを考えていると ガタリ、と椅子の音がした。

 顔を上げると、神崎先輩たち三人が揃って立ち上がっていた。


「今日はここまでにしましょう。……急用を思い出したの」

「え、あ、はい」


 桃川が慌ただしく原稿をまとめるのに続き、日野も鞄を肩に掛ける。

 三人はアイコンタクトを交わすと、そのまま部室を飛び出していった。


 冷房の風だけが残され、俺はペンを回しながら鼻を鳴らした。


「……またか。あいつら、よく急用思い出すよな」

『ハル、気づいてねぇのか? 今のは“悪魔狩り”だ』


 耳の奥で煤けた声が囁く。


「悪魔狩り?」

『ああ。さっき言ったろ?奴らは“魔女”だ。血に悪魔を宿す一族。……だから悪魔を狩れる』

「へぇ……」


 俺はペンを止め、ぼんやりとドアの方を見やった。

 三人が姿を消した空間に、微妙な違和感が残っている。


「……でもさ」


 ぽつりと口に出す。


「なんで学生がやってんだ?大人がやればよくね?」


 一拍置いて、グリードが笑った。


『ハル、お前ほんとバカだな……いや、だから面白ぇんだけどよ』

『魔女の先祖は悪魔って言ったろ?力ってのはお前ら悪魔との契約者と同じで寿命を削って使うんだ。ジジババがやったら?一瞬でシワシワミイラだ。骨まで干からびて終わりだぜ』


「寿命……ね」


『そうだ。だから若ぇのが前に出る。お前らみたいな学生が“主力”なんだよ。合理的だろ?』


 俺はペン回しを止め、ニヤリと笑った。


「……まあな。合理的っちゃ合理的だ」


 言いながら、そのペンを強く握りしめる。

 次の瞬間、手の中からふっと消え失せ、机の上に百円玉が二枚転がった。


『がははっ!魔女は寿命削って街を守る。お前は寿命削って小銭を稼ぐ。やっぱりお前はそういう奴だな、ハル!』


 百円玉をポケットに落とし込みながら、俺は机の端に積まれた備品へ視線を移した。

 新品のノート、未開封のボールペン、配布用の原稿用紙。


「……いいねえ、宝の山じゃねえか」

『ハル、お前ほんっとブレねぇな。普通は“人助けに使えないか”とか考えるだろ』

「アホか。人助けは魔女連中の仕事だろ。俺は俺で稼ぐだけさ」


 新品ノートを手に取る。

 ページを開くこともなく、ただぎゅっと握り込む。


「換金」


 ――パチン。

 音とともにノートは霧のように掻き消え、机の上に千円札が一枚現れた。


「……おお、いい感じだな。帰りにゲーセン寄るか」


 紙幣を広げて眺め、にやりと笑う。


『がははっ! 市場価値そのまま、現金化成功だ! 新品は持ち主があまり触れてねぇから寿命の消費も軽いし、狙い目だな』

「なるほど。……新品はアタリ、っと」


 今度は新品ボールペンを掴む。

 瞬間、手の中が空っぽになり、ちゃりんと百円玉が転がった。


「んー、微妙。コスパ悪いな」

『まあ安物だしな。消える寿命のわりに、稼ぎは小さい』

「やっぱ大物を狙わなきゃな」


 俺は原稿用紙の束に手を伸ばす。

 未使用の百枚セット――軽く見積もって数百円は下らない。


「換金」


 束ごと消え失せ、机に散らばった硬貨と紙幣。

 財布にすっと流し込み、俺は鼻歌まじりにポケットを叩いた。


『ほんっとクズだな、お前は……だが、そこが最高だぜハル!』


 財布を叩きながら、俺はニヤつきを抑えきれなかった。

 机の上の現金はすでに俺の財布の中。寿命が削られる感覚なんて、もう慣れちまえば大したことじゃない。


「……よし、大収穫っと」

『調子に乗るなよ、ハル。あんまやりすぎるとバレるぜ』

「大丈夫大丈夫。魔女連中だって、自分らのことで手一杯だろ」


 窓の外に視線をやると、夕焼けに染まった校庭の先で、黒い靄のようなものが揺らめいているのが見えた。

 ざわつく空気。嫌な寒気。あれが――悪魔。


「……なあ。今、奴ら狩りに行ってんだろ?」

『ああ。間違いねぇ。あの気配は……そこそこ大物だ』

「へえ……。なら見物してみるか。命がけで戦うのは俺じゃねえしな」

『おいおい、お前ってやつは……』


 椅子を引いて立ち上がり、鞄を肩にかける。

 グリードが呆れたように笑った。


『見物ねぇ……血の匂いに釣られて行くバカは聞いたことあるが』

「違ぇよ。金の匂いだ」


 俺は財布を叩き、にやりと口角を上げる。


「悪魔の体とか換金できねぇかな。魔女の道具とかも高そうだし、余り物くらい拾えるかもしれねぇだろ」

『ははっ! お前ってやつは……命のやり取りを前にして金勘定かよ。だが嫌いじゃねぇぜ、そういうの』

「……野次馬ついでに小遣い稼ぎ。最高だろ?」


 俺は鼻で笑い、部室を後にした。

 魔女と悪魔が死闘を繰り広げるその場所を、金の匂いを嗅ぎにいくために。


 グリードの煤けた声は呆れ半分、楽しみ半分。


『ははっ! 寿命削って小銭に変えるだけじゃ飽き足らねぇか。――いいぜ、行こうや、ハル。血の匂いと悲鳴で、きっと退屈はしねぇぞ』


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