第8話 電話

部室にページをめくる音だけが漂う。

この時間だと朱に染まっているはずの太陽が、まだ爛々と輝く姿に夏が濃くなったと感じされられる。

本を読む振りをしながら、チラリと先輩を見ると目が合った。

無意識に息を呑む。先輩も見ていたとは思わず、互いに見つめ合ってしまう。

風鈴がチリンチリンと2人の間をすり抜ける音だけが響いていた。


「どっ、どうかしましたか?」


虹彩の模様が綺麗だなとか、以外と睫毛長いなとか、ぼんやりと考えていた頭を振り払い、どうにか言葉を絞り出す。


「あっ、見つめて悪かった。

いや、そういえば連絡先を交換しておこうかと思って……。」


私の言葉にハッと我に返り、バツの悪そうにする。

別に見つめられるのは嫌ではないので、気にしないでほしい。

そのことを言うのは、なんだか気恥ずかしいので置いておく。

言われて見れば連絡先を交換してなかったな。


「昨日みたいに部室に来るのも面倒だろうし、緊急の用事がある時のために知って置いた方が良いと思ってな。」


淡々と説明する先輩にそうですねと返しながらスマホを取り出し、NINEを交換しようとすると先輩から紙を渡される。

紙には11桁の番号が書いてあった。

それを見た瞬間、ドアを堅く閉められたような拒絶感に寂しさを覚える。

それと同時に、沸々としたものが胸の底から溢れだした。


「なんですかこれ。」


電話番号だと言うのは分かっていたが、責めるように冷たい声が出る。


「な、何って……連絡先?」


私の顔と渡した紙に視線を忙しなく動かす先輩は、何だか悪戯を怒られる子供みたいだ。

どうせ、変な気でも遣って番号だけを渡そうとしたのだろう。


「もうっ!スマホ出してください、NINE交換しますよ!」


毎日顔を合わせているのに、いつまでも私に遠慮している先輩に大きな声が出てしまう。

少し理不尽だったかなと思うが、紙だけ渡されたときに胸がチクリとしたから、お相子だとだよね。

スマホを取り出した先輩が画面を見ながら顔をしかめている。


「えっと……どうやって交換するんだ?」


申し訳なさそうに探るような声で聞いてくる。

ええ、知らない人がいるんだ。つい、驚いてしまった。

いつも堂々として頼りになるのに、珍しく狼狽える姿にさっきまでのことは忘れて可笑しくなってしまう。


「ふふっ!わかりました、私がしますね。」


そう言って、スマホにお互いの連絡先を入れる。

連絡先の欄に先輩のシンプルなアイコンが、追加されたのは不思議な気分だ。


「これで何時でも連絡してきてくださいね?」


スマホを返してお礼をする先輩にそう言う。


「ああ、何かあったら連絡する。」


真面目にそう言う先輩は、きっと義務的な連絡のことだと思っているんだろうな。

そういうことではないが、それなら私から連絡して驚かせてやろうと思った。




夜、ベットに寝転がりながらスマホを握りしめていた。

先輩のトーク画面を開いたまま、思考を巡らせる。


“こんばんは、もう、お休みになりましたか?” 


“お疲れ様です。今何されてますか?”


そんな事を書いては消してを繰り返えしていた。

せっかく、先輩と連絡先を交換したのだから何かお話したい。出来れば声が聞きたい。

だか、夜に連絡するのは迷惑かもしれないし、用事も無いのに連絡してくる変な奴だと思われるかもしれない。

そう思うと送信ボタンが押せずにいた。

勇気の無い奴めと自嘲したところで、変化があるわけでもなく体を脱力させベッド沈み込む。

あと、5分、いや10分後に連絡しようと思っているとピコンと通知が鳴った。

通知名には先輩の名前。


「わっ!先輩からだ!」


まさか先輩から連絡があると思っておらず、驚きで声が漏れてしまう。


“夜分に失礼する。前に言っていたオススメ本のリストを送っておく。”


簡素で硬い文面、メールは慣れていないのだろう。

何だか先輩らしくて小さな笑いが出た。

そうだ、返信しないとと思いトーク画面を開こうとして指が止まる。

すぐに既読をつけるのは、待っていたみたいに思われるのでは?

まあ、先輩ならそんな事気にしなさそうだし、たまたま見ていることもあるよねと思い返信する。


“ありがとうございます!さっそく、調べてみますね。

先輩は何をされてたのですか?”


せっかく先輩から連絡をくれたのだ。

私も話がしたくて質問してみる。

すぐに返信が来た。


“今日、平野さんにオススメしてもらった映画を観ていた。

面白かった、ありがとう。”


さっそく観てくれているなんて、力を入れて紹介してよかった。

部室ならいつも観た感想をこのまま言い合うのだが、メールではそれがやり辛くて、やっぱり声が聞きたいなと思ってしまう。

つい、先輩が考えるとき手を口に当てる仕草や真剣に喋る声などを思い浮かべた。

そんな事を考えていたからだろうか、いつの間にか電話してもいいですかと私が送っていた。

リラックスしていた姿勢から一気に体を起き上がらせる。


「わわっ!送っちゃった!?」


無意識のうちにしてしまった自分の行動に驚く。

送ってしまった以上は仕方ない。

電話をしたい気持ちと断ってほしい気持ちがせめぎ合う。

つい画面が見るのが怖くなり、伏せてベットに置いてしまった。

1秒待つのでも長く感じてしまい、時計の音がやけに大きく部屋に響いた。

ふぅと深く深呼吸して、何とか暴れる心臓を落ち着かせようとする。

なかなか来ない返信に気持ちが揺れ動いた。

よしっと気持ちを入れ替えたところで着信音に体が跳ねる。

画面を恐る恐る見ると先輩からだった。落ち着けたはずの心臓がまた暴れだす。

先輩から電話してくれた。それだけのことなのにどうしようもなく、心に喜びの色が差す。

自然と背筋が伸び、震える指で画面をタップする。


『こんばんは。電話したいとあったが、どうかしたか?』


いつもと少し違う電話越しの先輩の声が、耳から脳にまで響いてくる。

不思議な感覚にぼうっとしそうな脳を阻止するように声取り敢えず喋る。


「こっこんばんは!えっと……その……。」


なんとか平静を装うとしたが、出だしから口が上手く動かず言葉に詰まってしまう。

頭が真っ白になって、何の話をしようかと何も引っかからない頭の中を駆け巡る。


『おお、元気だな。やっぱり映画について聞きたくなったか?』


私の元気な挨拶に笑う先輩に気恥ずかしさが湧いてくる。

姿は見えないはずなのに、先輩の声が直ぐ側に聞こえて、今どんな表情なのかが分かってしまう。

先輩の言葉に映画のことを聞こうとしてたのを思いだした


「そっそうです!すぐに聞きたいなと思いまして!」


自分でもわかるぐらい声が上擦っていた。

私はわけがわからないぐらい焦っているのに、先輩が何ともなさそうなことが悔しい。

そう思いつつ、感想を話しあっているうちに、いつものような穏やかな空気が広がっていく。

静けさと暗闇が支配する夜でも、こうして先輩と話していると心が温かくなっていく。

もっと、この心地よさに浸っていたい思いとともに夜が更けていった。


ふぁっと欠伸が出てしまい時計を見てみると、いつも寝ている時間をとっくに過ぎていた。

私の欠伸で先輩も既に夜遅いことに気づいたみたいだ。


『もうこんな時間か。平野さんと話していると時間を忘れるな。今日は終わりにしよう。』


この特別な時間も終わってしまう。

そのことに繋いだ手を離されるような、名残惜しさを感じた。

しかし、我儘を言うわけにもいかない。お互いにおやすみを伝えて電話を切った。

電気を消して布団に潜る。

暗闇の中なんとなくこのまま眠ってしまうのが勿体なく感じて、画面が暗くなったスマホに先輩を思い出し眺めてしまう。

画面に反射する月明かりとカチカチとリズムを刻む時計が、空虚になった私の心を埋めていくのだった。

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