第12話 パンゲリアの旅、二日目

 朝陽が輝き、草花が朝露に濡れる静かな早朝、三人は出発した。


 登山口と書かれた木製の看板が揺れている。既に登山路を歩いてきたような気もするが、キースによるとここからがパンゲリアの登山だそうだ。


「さあ、いよいよだ。二人とも覚悟はいいか?」

「ええ、いいわよ!」

「ライラは元気だな……俺は寝不足気味だよ」

「アレックス、もっとしゃっきりしなさいよ!」


 ドン、と背中をライラに叩かれてアレックスはつんのめるようにして歩き始めた。 前方には樹々が鬱蒼と茂る山道が続いていた。

 

 鳥がさえずり、樹々に差し込む陽光が美しい。朝の空気は澄み切っている。ライラは歩みを進めながら大きく深呼吸した。

 

「朝の森って気持ちがいいわねぇ」

「全くだ。山登りもいいもんだろ」

「そうね」


 キースとライラが並んで歩く、その後ろを気だるそうに歩くアレックスが呟く。


「昨日は、虫が嫌だの、シャワーを浴びたいなど散々文句言ってたくせに……」

「何か言った? 後ろのお兄さん!」


 地獄耳のライラが振り向いてジロリと睨む。


「いえいえ、なんでもありません」


 文句を言う所は置いておいて、気持ちのいい山道を気持ちよさそうに歩くライラを見るのは気分がいい。

 彼女の後ろをついて歩くのは……少なくとも、悪くない。


「今日はちゃんとお昼ごはん、ザックに入っているよね? お兄さん?」


 まだ昨日のことを根に持っているのかライラの皮肉がアレックスの耳に刺さる。


「はいはい。今日は大丈夫ですよ~ (ったくホントに食いしん坊だな)」

「何か言った~?」

「いえいえ、何も~ まだ朝なのでね、昼ごはんはお昼に食べような」


(地獄耳だよ)


 そんな話をしながら三人は標高を少しずつ稼いでいった。

 ふと、アレックスが立ち止まった。


「ちょっと、ストップ!」

「どうした?」

「どうしたの?」


 アレックスは前方のやや遠い斜面を見ながら顎を上げた。馬の背になった細い尾根が登山路になっている。


「何か、あの尾根の辺りに獣がいる……」

「獣?」


 キースが目を細めて見るが樹木が生い茂り、遠すぎることもあって、動くものは見えない。


「どこだ? あんな遠くが見えるのか?」

「いや……」

「なぜわかる?」

「匂いだ」


 比較的嗅覚に敏感なライラが嗅ぐが、そんな匂いはしない。


「何も匂わないけど」

「かすかだが……間違いない」

「アレックス、おまえ……」


 キースは思い出した。オーリアには色々な能力を持った者がいるが、嗅覚や聴覚など一部の感覚が非常に発達した人間がいる。確か嗅覚については犬類に変身する能力のある者が有していたはずだ。


「ライラ、アレックスは犬なんだ」

「なるほど、そう言えば犬よね。納得です」

「あの~ 間違いでは無いが、その言い方はどうかと思う……」


 犬を強調されると、馬鹿にされたようで気に障る。アレックスの嗅覚は確かに昔から犬並みに優れている。あまりそれが活かされる機会は無いが、今回はたまたまヒットしたらしい。


「……とにかく、あのあたりに何か獣がいるぞ」

「なんだ? まさかブラウンベア―か?」


 パンゲリア山系には最強の猛獣ブラウンベアーが生息している。3メートルの巨体なのに走れば時速50キロの速さ、木も登れるし、泳ぐこともできる。追われたら逃げ切る事は難しい。鋭い爪に襲われたらひとたまりもない。


「どうしようか?」キースが訊く。

「私とキースは鳥に変身して飛んで回避できるけど、問題はアレックスね。犬ではとても……」

「申し訳ない……」


 アレックスは素直に詫びた。昨日からチームの足を引っ張り気味なのは間違いない。


(なぜ、俺は飛べないんだ……)


 哲学的な自問をしながら対策を考えるアレックス。名誉挽回しなければ……


「まず、様子を見て来る」


 キースはそう言うと、鷹に変身して飛んで行った。鷹の視力はとてもいい。上空から小動物の存在さえしっかりと捉える。樹々が少し邪魔だが、尾根の真上を飛べばそこにいるのがブラウンベアーなのか別の動物なのか観察は可能だろう。


 一方のアレックスはなかなかいいアイデアが出てこない。自らに痺れをきらしてフラフに訊いてみた。


「そうですね。尾根からいなくなるまで待つのがベストです」

「それだといつ進めるか分からん」

「他の手段となりますと、谷筋に降りて回り込むか強硬突破か、どちらかですね」

「谷筋……無理だな」


 尾根の両側は切り立った崖で、回り込むと優に2時間はかかるし転落など別のリスクが大きくなるのが明らかだった。そのチョイスは無い。


「強行突破か……」

「犬の姿で素早く抜ける事をお勧めします」

「そうだな……」

「危険じゃない?」


 ライラが言った。尾根道は幅が50センチくらいしかない。そこにブラウンベア―がいるのなら、触れずにすます事すらできないかもしれない。

 あれこれ二人で検討していたところにキースが舞い戻ってきた。人間の姿に戻って確認してきた状況を話す。


「案の定、立派なブラウンベア―がいたぞ。1頭は母熊、2頭は子供、親子だな。母熊は3メートルの背丈があって手強い」

「やっぱり! どうする? アレックス」


 心配そうなライラの言葉にアレックスが考え込むとキースが淡々と語った。


「俺かライラが母熊の気を逸らしている間に、アレックス犬の姿で駆け抜ける。それでどうだ?」

「気を逸らすって?」とアレックス。

「向こう側からプラズマソードを持って熊の気を惹くのさ」

「場合によっては戦う?」とライラ。

「そうなったら仕方が無いが、ブラウンベアーは保護されている。安易に殺したりはできない。さらにはこの辺のブラウンベアーは異常に強いやつがいるという噂だ。今回の母熊がそれかどうかは分からないが、ソードを持っているからと言って簡単に倒せるとは思わない方がいい」

「そうなの……その役、私がやるわ」

「それがいい。後ろで俺が援護する」

「ライラ……ありがとう」


 今回のトライアルはライラとアレックスを試すもので、キースはサポートにすぎない。それを知っているライラは自らが母熊をひきつける役を申し出た形だった。アレックスはライラに大きな借りができた。しかしライラは大丈夫なのか……


「じゃあ、まず私達が飛んでブラウンベアーの向こう側に行く。私が合図をしたら母熊の隙を見て駆け抜けて来てね」

「分かった。くれぐれも無理はしないでくれ。俺のせいでライラが傷つくようなことだけは避けたい」

「……分かった。じゃあね、アレックス」


 ライラはそう言うとキースとともに鳥に変身して、飛び去って行った。アレックスは熊のいる尾根に向かって歩き始めた。

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