<短編集> 十の豆を口にする喜び

宇喜杉 ともこ

吾輩は猫ですか?

 猫がいました。

 可愛い可愛いネコちゃんです。

 街に放り出された猫はひとりぼっちでした。

 猫は気ままです。目的もなくオフィス街の大通りから薄暗い路地裏までズイズイと歩いていきます。

 辿り着いたのは駅近くの公園。猫はぶわぁっとあくびをして日向ぼっこをしました。

 しばらく日向ぼっこをしていると、向こうから一人の女の子がやってきました。

 

「あれー、野良猫かなー?」

 

 年齢は十四才くらいでしょうか、制服を着ています。

 猫は警戒しながらその女の子を睨みます。ですが女の子は笑顔でこちらを駆け寄ってきました。

 

「怖くないよー。大丈夫だよー」

 

 優しい声をかけながら女の子は近付いてきます。猫は逃げようかなとも思いましたが、女の子に悪意がないと気付くと警戒を解いて猫からも近づきました。

 女の子は猫を抱きかかえ、そのまま家に連れて帰りました。

 幸い、女の子の母親も優しい人で、家で猫を飼うことを許してくれました。

 女の子は喜んで、猫を頬ですりすりしながら笑顔を浮かべました。

 

 その家の飼い猫になった猫は、それはそれは厚い好待遇を受けました。猫は自分が一国の王様になったような気分でした。

 そんな生活が一ヶ月ほど過ぎたある日のことです。

 女の子がいつも通りの学校生活を終え、家に帰ってきます。

 がちゃん、と扉が開く前に猫は玄関で待機していました。女の子は猫を抱え上げながら、一日の疲れを癒そうとソファへ猫とじゃれあいに行きました。

 猫をゴロゴロ撫でながら、リラックスしている女の子。猫のお腹に向かって猫吸いをしようとしたそのときです——。

 

 ぼふっ、と女の子の目の前が煙で包まれました!

 

 煙が消え、目の前の光景を見た女の子は

 

「ギャーーー‼︎」

 

 という大声を上げました。

 それも当然です。

 女の子の目の前にはおっさんが居たのですから。

 女の子は両手をおっさんの脇腹に添えて、おっさんのへその上あたりにキスをしていました。

 今まで抱えていた猫は影も形もなく、さっきまで猫が居たところにおっさんが居たのです。

 

 そうです、猫はおっさんだったのです——!

 

「だっ、誰なんですかアナタはーッ!」

 

 驚いた彼女は慌てて手を離し、必死になっておっさんから距離をとります。

 おっさんは何も言いません。スーツ姿で頭を光らせながら直立不動をキメています。

 さっきまで猫だったおっさんに驚愕しながら抱えて震えていると、叫び声を聞いた女の子の母親がやってきました。

 

「どこから来たんですか! 通報しますよ!」

 

 母親が警戒心をむき出しにしておっさんに厳しい言葉を浴びせます。

 猫はおっさんですが、おっさんは猫なので、彼女らの言ってることがよくわかりません。さっきまであんなにも優しくしてくれたのにいきなりこんな仕打ちを受けて困惑していました。

 母親に押され、そのままおっさんは家から追い出されてしまいました。

 おっさんはひとりぼっちで、夜のオフィス街を彷徨っていました。

 通りには多くの人々がいます。おっさんを目に掛ける人はどこにもいませんでした。

 路地裏に逃げるように入り、遂にはあの時女の子と出会った例の公園へと辿り着きました。

 夜の公園は静かで、人通りがあまり多くないです。あんまりにもやれることがないので、おっさんは夜空を眺めていました。

 都会の空は星が見にくくて、眺め心地が良くありません。すぐに飽きてしまい、そろそろまた歩き出そうかと考えていました。

 そのときです。どこからか足音がしました。男女二人組です。この二人組に助けてもらいましょう。

 おっさんは手を挙げて二人の視線をこちらに向けました。

 男女がおっさんに気付きます。ですが二人はおっさんの姿を見ると、小馬鹿にして嗤いました。

 彼らの声はおっさんには届きませんでしたし、届いていたとしても猫であるおっさんには理解できることではないですが、それでも初めて向けられた感情におっさんは悲しさと憤りを覚えました。

 猫だったおっさんは、愛されることしか知りませんでした。ですが世界はおっさんには厳しいのです。蔑まれ、罵倒され、笑われるのがおっさんなのです。

 気付けば先程の男女はすでにこの場から立ち去っていました。

 その後も公園に人は来ますが、誰一人としておっさんに声を掛ける人はいませんでした。

 おっさんがそのあとどうなったのかはわかりません。

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