同級生の有栖さん
有栖さん、という人の噂を鈴木は聞いたことがある。数ヶ月前、隣のクラスに転校してきたらしい絶世の美少女。誰もが振り返ると言ったらオーバーな表現だけれど、頻繁にスカウトに逢っていることは鈴木ですら知っていた。それだけなら彼女の興味の範囲外なのだが、有栖さん、という人の噂には続きがある。
なんでも、彼女は昼休みになると普段使われていない北棟へ行くそうだ。図書室も部室もないそこで何をしているのかは、本人以外知らない。教師と逢引きしているとか、アイドルになるためにダンスの練習をしているとか、色々話されてはいるが実際のところ全て嘘だと思う。噂とは尾鰭が付くものだし、単純にクラスの居心地が悪くて北棟に逃げている可能性も否めないからだ。
(この学校、そういうところあるからなぁ)
悪徳と噂の知事の子供が通っているだけあって、不祥事は隠蔽されやすいのだ。かと言って今まで鈴木の生活圏が脅かされたことはないので、どこか他人事ではあるけれど。
噂の子がどんな人であれ、知事の子供がどうであれ、鈴木には関係ない。
関係ないと思っていたのだが、今目の前で川に飛び込んだ少女を見なかったふりをするほど、鈴木の心臓は強くできていなかった。
「ちょ、大丈夫ですか!?」
下校中、土手の河川敷を歩いていたら、いきなり少女が助走をつけて川に飛びこんだ。彼女が泳いで行った先には、小さく跳ねる水面がある。よくよく見てみると子猫のようだ。事故か故意的なものか、流されてしまっていたらしい。川の流れはそれほど早くはないものの、少女の腰の高さまである。足を取られたら一巻の終わりだ。
鈴木は慌てて周囲を見回した。生憎彼女は今スマホを持っておらず、近くに頼れそうな大人も警察もいない。強いて言えばこの先に公衆電話があることを思い出したくらいか。電話ができればレスキュー隊を呼べる。
とにかく、このまま人死をみるのは目覚めが悪いと公衆電話へ駆け出そうとした時、この場に見合わぬ朗らかな声がした。
「大丈夫なので通報だけは何卒〜!!!」
バシャン! と水飛沫が起きたかと思えば、河川敷に子猫を抱えた少女が上陸していた。全身ずぶ濡れで、ワイシャツからは体育着が透けて見える。
彼女を見た時、鈴木は「あ、白髪」と思った。染めている人もいるけれど、ここまで綺麗な長い白髪は珍しい。
右頬に大きなガーゼ、左頬に絆創膏が貼られ、首と手首には包帯が巻かれている。ただ、それを加味しても彼女は綺麗だった。女っ気がないと言われている鈴木が、「お」と声を出すくらいには。
そこまで観察して、白髪の少女が自身と同じ中学の同学年だと気づく。鈴木の通う中学校は学年によってワイシャツのポケットにされるステッチの色が違うのだ。
鈴木は二年生だから赤。目の前の少女も、赤いステッチだった。
少女もそれに気づいたらしい。投げ捨てていた鞄からジャージのズボンを取り出して子猫を拭いた彼女は、去っていく子猫に軽く手を振り立ち上がる。こちらには目もくれないかと思いきや、彼女は軽く微笑んだ。
「びっくりさせてごめんね。私、もう行くから」
「あ、うん…」
不意に、合点がいった。
そそくさと立ち去ろうとする彼女の背中に、鈴木は声を投げかける。
「……もしかして、有栖さん?」
「え、私のこと知ってるの?」
少女——有栖は振り返る。きょとんと首を傾げる姿は、どこかアイドルを彷彿とさせた。
「噂になってるから」
鈴木は言う。有栖は少しの間口を噤み、苦笑した。
「…そっか。うん、まあ、そうなるよね」
「内容、気にならないの?」
意地悪ではなく、純粋な疑問だった。有栖は「ん〜…」となんてことないように首を傾げる。
「そりゃ気にはなるけど、直ぐになくなると思うし。そんなことより、他の大切なことを考えていたいから」
「大切なこと…」
進路、だろうか。確かに、受験シーズンが近づいている今、他人の与太話に耳を貸している暇はない。案外堅実的な人なんだな、と鈴木は勝手に有栖を解釈することにした。その方が、この浮世離れした美人にも親近感が湧くというもの。
「貴方の名前は?」
有栖が問う。背後の夕日の赤が髪を染め、彼女と風景の境目を無くしていく。
「…鈴木」
どうせ苗字で呼び合うのだから、下の名前は言わなくてもいいだろう。そう思い告げた鈴木に、有栖は顔を綻ばせる。
「鈴木さん、ね。改めまして、私は有栖って言います。ええと……よろしく、でいいのかな」
ぎこちない会話。その中で、鈴木は有栖が何かを探っているみたいだと思った。まるで距離感を測りあぐねているかのような、不器用な言葉選びだった。
アリスの談笑 かんたけ @boukennsagashi
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