11話:「ようこそ、山岳部へ」。ようやく見つけた、私の居場所。
月曜、放課後。職員室前。
靴音が、タイルの床にやけに響く気がした。
ただの歩くだけの音なのに、まるで「試験会場に向かってます」みたいな緊張感がまとわりつく。
登った――というには、たぶん違う。
登頂はしていない。
途中で迷って、断念して、引き返した。
目指していた「山頂」ではなく、自分の「限界」まで行った――それが正確なところだった。
それでも、あの土砂降りのなかで、びしょ濡れで、泥まみれで、ただ足を前に出し続けた時間に、意味がなかったとは思えなかった。
菜摘は「いい経験だったじゃん」と気楽に笑っていたけれど、私は、どう報告すべきか、ずっと迷っていた。
正直に言えば、おそらくアウト。
けれど、嘘をついて認められたくなんてなかった。
ノックの音が、職員室の空気をやわらかく切り裂いた。
「……失礼します」
菜摘と並んで中に入る。
いつものようにざわついているはずの職員室は、なぜか今日は静かだった。
地図を広げて、何かを書き込んでいた西田先生が、こちらに気づいて顔を上げる。
「……で?」
たった一言。
でも、それだけで、「お前たちの本気を見せろ」と言われた気がした。
私は菜摘と目を合わせる。
彼女が小さくうなずく。
そして、私が口を開いた。
「……登頂は、できませんでした。途中で道を間違えて……でも、それでも、途中まで登って、雨の中、できる限り進みました。……正直、もう無理だって思うところまでは行きました」
言い終えたあと、空気がぴたりと止まる。
先生は、何も言わずにこちらを見つめている。
私は、続けた。
「でも……それでも、また登りたいって思ったんです。なんでかは、自分でもまだ、よくわからないけど」
すぐ隣で、菜摘がゆっくりと笑う。
「わたしも。もう一度ちゃんと、今度は山頂まで登ってみたいって、そう思いました」
再び沈黙。
でも、今度の沈黙は、どこか柔らかかった。
西田先生はゆっくりと椅子に背を預け、腕を組んだまま、しばらく天井を見上げる。
そして、ぽつりと呟いた。
「……登山ってのは、山頂に立つことだけが目的じゃない」
先生の視線が、ふたたび私たちに戻る。
「苦しくても、自分と向き合って、それでも一歩を踏み出そうとする。その覚悟があるなら、俺は充分だと思う。――よし、顧問、引き受けてやる」
一拍おいて、菜摘が「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをした。
私は、言葉が出てこなかった。
ただ、体の奥にあった何かがふっと緩んでいくのを感じた。
「……ありがとうございます」
やっとの思いで出たその一言に、先生は小さく笑った。
「ようこそ、山岳部へ」
たったひとつの言葉に、すこしだけ背筋が伸びた気がした。
ようやく、自分の居場所を、ほんの少しだけ、自分の意思で踏み込めた気がした。
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